2007年ベスト <本編> 第6位〜


 番外編も書かないとなあ。
 今年は某動画サイトに時間をとられて、
いつもの年の半分も読めなかったのが残念・・・。





 第6位 
 「世界屠畜紀行」 内澤旬子

世界屠畜紀行

世界屠畜紀行

 「本の雑誌」2007年9月号の特集
 「エンタメ・ノンフの秋!」は私にとって大ヒットだった。


 「エンターテイメント・ノンフィクション」
という新しいジャンルの提唱がまず魅力的だし、
そこで紹介されている本の約3分の1が既読で
しかも私の大好きな本ばかり。


 そんなわけで、その特集から新たに読んだ本がコレ。
 「世界屠畜紀行」。
 イスラム圏、韓国、バリ島、エジプト、モンゴル、アメリカ、
そして東京芝浦屠場での豚・牛の屠蓄。


 世界のさまざまな屠畜を、あっけらかーんと、
好奇心いっぱいで取材する内沢さんの視線が楽しい。
 (たくさん挿入されるイラストも良い!)
 しかし、避けられない屠畜者への「差別」にも言及し、
他の動物を殺さないと生きていけない人間の罪も書き、
この本を奥の深いものにしている。


 鳥をつぶすのを見たことも無い私が
こんなことを書く資格は無いかもしれないが。


 アラブの犠牲祭(喉をナイフで切る)を
「野蛮だ」としたフランスの某有名女優や
「残酷だ」とする西欧の動物愛護団体に対し、

なによりも、相手の文化や状況も理解しようとせずに、
「残酷」と言い放つことこそが、
一番「残酷」なのではないだろうか。

 ・・・という内沢さんの言葉は、
本当に、本当にその通りだと思う。




 第5位 
 「前世への冒険」 森下典子

前世への冒険 ルネサンスの天才彫刻家を追って (知恵の森文庫)

前世への冒険 ルネサンスの天才彫刻家を追って (知恵の森文庫)

 そんなわけで「エンタメ・ノンフの秋!」からもう1冊。


 ライターである著者が、ある異能者の元へ行って
 「あなたの前世はルネサンス期にフィレンツェで活躍した彫刻家だった」
 と言われ、それを確かめるため
実際にイタリアまで取材に行ってしまう、という内容。

 
 面白かったのは、この著者の徹底したリアリストぶり。
 懐疑心、というか
 「それは本当か?」と簡単に信じてしまわない、という点が。


 「ルネサンス期の人物を挙げたけど、
  それは“持ちネタ”であって、前世を聞きに来た人全てに
  同じ事を言ってるのでは?」
 「事前の調査で聞かれた好きな場所から
  関連するような人物を探し当てて
  さも、それが前世の人物であったように言っているだけでは?」
 ・・・などと論理的で真っ当な疑問の姿勢を崩さない。


 そして実際イタリアへ行って驚くべき事実を目の当たりにし、
本の最後で著者は前世を信じるようになったかというと・・・
 信じないのである!


 「しかし、それ以来、心の中に一匹の獏が住むようになった」
 という文章で締められてしまう。(単行本の後書き。文庫本は違います)


 これだけ強烈な体験をして「心の中に一匹の獏」である。スゴイ。
 でも、人が日常を生活する上で、
一匹の獏、つまり「奇跡を信じる」心の割合って
それぐらいでいいんじゃないだろうか。

 
 スピリチュアル系や血液型性格判断などのニセ科学には
かなり引いてしまう私にも、この本は充分面白かったです。
 ある種の大変興味深いミステリーとしても読めます。
 文庫版では、前世で恋人だったという作家との後日談も描かれています。




 第4位
 「みずうみ」  いしいしんじ

みずうみ

みずうみ

 いしいしんじの2年ぶりの長編小説「みずうみ」。


 ・・・凄かった・・・。
 評価が分かれる作品とは思うが、
読み終わってもまだ、いしいしんじの世界に揺さぶられている感じ。
 三章からなる作品で。


 第一章は今までのいしい作品のように寓話的な
どこにも無いようなみずうみのほとりの村を描く作品。
 第二章はタクシードライバーと取り巻く世界を乾いた筆致で描き、
現実と幻想を交互に行き来するような。
 第三章は慎二と園子という、著者の名前とその妻を描く私小説に近い章。
 ニューヨークに住む友人の生活、園子の妊娠。


 水によってつながる世界。
 各三章はそれぞれ独立しているようで繋がっており。


 読んでいるうちに自分の体液が漏れ出してくるような。
 水にたゆたい、時間を、空間を行き来するような。
 同時に違う場所へ存在するような。


 死で終わった第一章が生で終わる第三章。
 口から漏れ出ていた水とエウーなど音のはじまりに震えた。

 
 話はちょっと変わるが。
 こういう“凄い”作品に出会うと
 表現という行為は、技術の優劣はともかく。
 (いしいしんじは間違いなく「巧い」が)
どれだけ自分の裡を深く掘れる、ということだよなあ、と
改めて感じ入った。


 他の人が掘る穴の径や形を真似しても仕方なく、
(その掘り方に学ぶところはあるかもしれない)
自分は自身の穴をどれだけ見つめ続け、掘り続けられるか。


 第一章から“水”という対象で、ここまで深く、
そして広く自分の穴を掘り、見つめたいしいしんじに畏敬を感じる。




 第3位
 「ブラバン」  津原泰水

ブラバン

ブラバン

 舞台は1980年代の広島。
 主人公が高校の吹奏楽部(ブラバン)へ入部しようとすることから
話は始まる。
 高校生の時と、25年経った現代の主人公を交えた
ブラバンの登場人物の“その後”が交互に描かれる。
 元・メンバー披露宴のため、ブラバンを再結成しようとするのだ。


 高校生時代も単に楽しかった〜良かった〜ではなく、
青春期ゆえのもどかしさ、熱さが現れているのだが
25年後の大赤字の酒場を経営している主人公を始め、
登場人物それぞれ、現代での生き方が、苦い。


 上手く生きられない人生だからこそ、
無駄なはずの音楽が
かけがえのないものとして感じられていく。


 登場人物それぞれにスポットを当てすぎて
ややゴチャゴチャした印象もあり。
(例えば途中で部活を辞めた永倉くんに焦点を当てたら
 本屋大賞にも推されるほどのサワヤカ作品になりそうなのに…)


 しかし、その熱さ、音楽への想いは
確実に読む人の心に残るでしょう。
 私はいわゆるOB合唱団などは聴くのはもちろん
参加するのも嫌いな人間なのだけど。
 それでもこの本を読んで
 「郷愁と音楽を混同するだけではなく、
  郷愁から始まって、音楽をすることがありえるかもしれない」
 …と少し思い直すことにしましたよ。


 あの頃思い描いた未来に誰もが立てるわけじゃない。
 そんな実感を持つ30代以上の人に力を込めて薦めます。



 この本のラスト、安易な救済は無いけれど
それでも射し込むかすかな光がまぶしい。
 その光が音楽であることが素晴らしい。




 第2位
 「獣の奏者」 1.闘蛇編 2.王獣編  上橋 菜穂子

獣の奏者 I 闘蛇編

獣の奏者 I 闘蛇編

獣の奏者 II 王獣編

獣の奏者 II 王獣編

 「ここ数年の日本ファンタジー界最大の収穫」
 「十二国記が好きな人には絶対のオススメ」
 …など絶賛の言葉が多かったので読んでみました。
 (そういや十二国記の新刊はいつ出るんだろうね?)

獣ノ医術師の母と暮らす少女、エリン。
ある日、戦闘用の獣である闘蛇が何頭も一度に死に、
その責任を問われた母は処刑されてしまう。
孤児となったエリンは蜂飼いのジョウンに助けられて暮らすうちに、
山中で天を翔ける王獣と出合う。
その姿に魅了され、王獣の医術師になろうと決心するエリンだったが、
そのことがやがて、王国の運命を左右する立場にエリンを立たせることに…。

 いやこれは良かった!


 やや硬質な文体でつづられる異世界。
 自然や蜜蜂、そして禍々しい闘蛇、
誇り高き王獣を描く著者の力量は並大抵のものではありません。


 硬質な文体と書きましたが
この手のファンタジーにありがちな
御都合主義的な、感傷的な甘さが
ほとんど感じられなかったのも気に入った要因。
 ヒロイン:エリンでは運命に立ち向かう強さ、意思を
丁寧に描いていますし、登場人物に厚みがある。 


 そして、文章から映像を甦らせる
「文章喚起力」がとても優れているのも魅力でしょう。
 ある飛翔シーンなどは、
本当に映像が自分の周りを取り囲むよう。


 獣を育て、対峙するという行為が、
獣と人、そして自然の理にまで深く広がっていくさまは
「上橋版ナウシカ」という言葉が頷けます。



 読み終えて(2巻をほとんど一気読み!)
 「おお〜!」と声を上げ、初めて知ったこの
「上橋 菜穂子」という作家の
別の本をすぐ探しに行ったのは言うまでもありません。

 
 著者は大学助教授であり
文化人類学を学び、
オーストラリアの先住民:アボリジニを研究していたのが
この世界観、作品の深みにつながっているのかな、と。


 非常に力のある、優れた作品だと思います。オススメ!




 第1位
 「ロング・グッドバイ」  レイモンド・チャンドラー  村上春樹

ロング・グッドバイ

ロング・グッドバイ

「夕方、開店したばかりのバーが好きだ。店の中の空気もまだ涼しくきれいで、すべてが輝いている。バーテンダーは鏡の前に立ち、最後の身繕いをしている。ネクタイが曲がっていないか、髪に乱れがないか。バーの背に並んでいる清潔な酒瓶や、まぶしく光るグラスや、そこにある心づもりのようなものが僕は好きだ。バーテンダーがその日の最初のカクテルを作り、まっさらなコースターに載せる。隣に小さく折り畳んだナプキンを添える。その一杯をゆっくり味わうのが好きだ。しんとしたバーで味わう最初の静かなカクテル−何ものにも代えがたい」

「私はロマンティックなんだよ、バーニー。夜中に誰かが泣く声が聞こえると、いったいなんだろうと思って足を運んでみる。そんなことをしたって一文にもならない。常識を備えた人間なら、窓を閉めてテレビの音量を上げる。あるいはアクセルを踏み込んで、さっさとどこか遠くに行ってしまう。他人のトラブルに関わり合わないようにつとめる。関わりなんか持ったら、つまらないとばっちりを食うだけだからね。最後にテリー・レノックスに会ったとき、我々は私が作ったコーヒーをうちで一緒に飲み、煙草を吸った。そして彼が死んだことを知ったとき、私はキッチンに行ってコーヒーを作り、彼のためにカップに注いでやった。そして彼のための煙草を一本つけてやった。コーヒーが冷めて、煙草が燃え尽きたとき、私は彼におやすみを言った。そんなことをやっても一文にもならない。君ならそんなことはしないだろう。だから君は優秀な警官であり、私はしがない私立探偵なんだ。」

「僕が彼らを必要としたとき、彼らはすぐに駆けつけてくれた。まったくの無償で。この世の中で値札がついていない人間は君ひとりじゃないんだよ、マーロウ」

 好きな箇所を抜粋してみた。
 清水俊二訳の「長いお別れ」を読んだのは20歳の時。

 
 あれから約20年。
 村上春樹氏の新訳で読んでみると
 「あの時は何も分かっちゃいなかったんだな!」としみじみ思う。

 
 ロマンチストであり続ける、というのは困難なことだ。
 さらにそれを実行し続ける、というのはもっと困難だ。
 開店したてのバーなんて、特に輝いちゃいないよ、
一文にもならないことをやるのは馬鹿のやることだ、というのは
もっともだ。正しい。そういう風に生きる人は、さぞかし立派な人なのだろう。



 「ハードボイルド」という風合いが強かった「長いお別れ」が村上春樹氏の新訳で、
見えないものを信じ、
理想を夢み、それを生き方の基盤とする文学作品としての
ロング・グッドバイ」に生まれ変わった。


 いかに村上氏に影響を与えたか、というのを実感しながら
この優れた物語と文章を堪能して欲しい。


 もう使い回されすぎて、
原典がこの作品というのを知らない人もいると思うので、
この作品からの名セリフを。

 フランス人はこんな場にふさわしいひとことを持っている。フランス人というのはいかなるときも場にふさわしいひとことを持っており、どれもがうまくつぼにはまる。
 さよならを言うのは、少しだけ死ぬことだ。


 最後にもうひとつ。

「ギムレットを飲むには少し早すぎるね」