日曜の朝。
車のタイヤが水をはねる音は聞こえるが
雨そのものの音はしない。
ベッドから出て、カーテンを開ける。
雪だ!
この冬はじめての雪。
せっかくなので外へ出ることにした。
北海道にいた頃の習慣で、
雪の日に、つい傘を持たずに出てしまったが
気温が低く、コートに触れても濡れない北国の雪と違って、
こちらの雪はほとんど雨と一緒である。ずぶ濡れ。
雪降る美観地区。
(・・・デジカメのシャッター速度の関係で雪が映りません)
雪降る大原美術館。
(デジカメのシャッター速度以下略)
前に書いたロスコで検索したら
日本で観られる美術館があって。
http://www.b-sou.com/palm-Rothko.htm
・・・その中に大原美術館があった、というわけ。
ちなみに私、大原美術館は4回ほど行ってますが、
ロスコの絵、まーったく印象にありません。うー。
ロダンが作った像も風雪に晒されています。
現代美術の作品が並べられている部屋に
ロスコの作品、「緑の上の緑」はありました。
・・・うーん、これは記憶に残ってなくても
不思議じゃ無いわ。
「緑」と言ってもかなり“くすんだ”緑です。
やや明るめの、しかしくすんだ緑が6の割合、
暗い、やはりくすんだ緑がその下に4。
ハッキリ言って“地味”です。
かなり長い時間この絵の側にいて、
子どもがこの絵にどんな反応を示すのか観察していましたが
ほとんどの子どもは素通り、でした。
しかし、“大人の私”が改めてこの作品に対峙すると・・・。
ロスコの表現、その狙いはこのサイトの文章を読んで欲しいのですが。
http://www.b-sou.com/tec-Rothko.htm
さらに私の稚拙な考えを加えるとしたら
視線の移動と感情の移動も考えられているのかなあ、と。
落ち込んだ時、気分が沈んだ時、
あるいは自分の心に何かを尋ねる時、
人は自然と下を向くようです。
視界いっぱいに広がるロスコの絵。
色面から色面へ、下へ視線が移動する際、
沈鬱な色の効果も相まって、
ロスコの絵は心に何かを落とすのではないか。
私の結論としては
「ロスコの作品で泣く人がいても不思議では無い」
・・・ということです。
もちろんPCの画面や画集ではなく、実物で、という条件で。
あの絵の大きさと色合い、色面の構成は
やはり考え抜かれたものだと思います。
間近で観て、そして反対側の壁まで離れて観て、
訪れた感情は、何とも言えない漠然とした悲しさ、
寂しさやかすかな切なさが入り混じったものでした。
(つづきます)