休日前夜の金曜日のこと

 (昨年1月の仕事始めの頃の日記から)



 いやもう仕事始めの5日間はホントに疲れた。
 仕事終わって、家に戻らず、倒れこむようにいつもの酒場へ。




 いつも座るカウンターの隅には先客の2人がいて。
 どうしようかな、別の席にしようかな、と考えていると
どうやらちょうど席を立つところのようだ。


 トイレに行って用を足し、戻ると。


 ・・・いつも座る席に、箸置きと今日のお通しが乗っている。
 こういうのはウレシイものです。
 今日のお通しはポテトサラダ。
 この店は常に8種類ほど
一皿300円の肴を用意しているのでそれもウレシイ。


 「ご注文は?」という恰幅の良いマスターの声に


 「ギネスっ!」と注文。

 
 某さんとメールのやり取りをしていた時に
キ●ンの発泡酒「黒生」の話題が出て
 「あれも黒ビール飲みたい時つい買っちゃうんだけど飲むと
  “薄い!!”…って思っちゃうんだよねえ」
 「ああ、やっぱりギネスは美味しいよなあ〜」


 …そんな話題が出たらギネス飲みたくなるに決まってるじゃないですか。


 マスターがグラスに注いだギネスを差し出し
 「少し待ってくださいね…」の声のもと、
グラスの中が茶褐色から黒にせり上がる様を充分楽しんで
 「いただきまーす!」
 うう、ギネスってなんでこんなに飲み口が軽いのに
後味がしっかり、なんでしょう。


 ・・・旨いなあ〜。



 目の前のスピーカーからはノラ・ジョーンズ
 音楽は耳に心地よく、酒も味わい深く、ポテトサラダも旨い。


 一息ついたところで、酒場の入り口に置いてある本棚から
選んだ文庫本を広げる。
 今日は村上春樹
 「村上朝日堂はいかにして鍛えられたか」。

村上朝日堂はいかにして鍛えられたか (新潮文庫)

村上朝日堂はいかにして鍛えられたか (新潮文庫)

 村上春樹は新作が出れば必ず読む作家だけど、
今はそう何度も読み返すことはしない。
 10年ほど前までは好きな長編なら2回、
短編集やエッセイなら3回ほど読み返していたと思う。
 (ちなみに一番好きな長編は
  「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」で
  一番好きな短編は「午後の最後の芝生」)
 このエッセイも読むのはおよそ10年ぶり。


 読書を趣味にしていて良かったな、と思うのは
こういう独りで酒を飲んでいるときに、
昔よく読んだ、しかし今は内容をほぼ忘れている本を
酒の友にできること。


 新しく読む本は、アルコールで弛緩した脳にふさわしくない。
 聴きなれた音楽が耳に馴染むように、
かつて読み慣れた本が懐かしく、
そして年月で変わってしまった自分の視点ゆえに新鮮な感動を与えてくれる。


 この「村上朝日堂」シリーズは「変なラブホテルの名前」や
「全裸で家事をする主婦」やら、
実に高尚な話題が多くて私のような人間にふさわしいのだけど。
 その中の一編、
 「テネシー・ウィリアムズはいかにして見捨てられたか」で
しばし硬直してしまった。


 この一編は村上氏が早稲田の文学部映画演劇科で
テネシー・ウィリアムズの戯曲を英語で読むという
講座を受けた時の話。
 その先生はテネシー・ウィリアムズが何故か大嫌いだったようで、
一学期のうち作品を、その作者を、徹底的に凄まじく
批判し、こき下ろし、ぶちのめした。


 ここから(けっこう長いけど)村上氏の文を引く。

 (前略)
 何かを非難すること、厳しく批評すること自体が間違っていると
言っているわけではない。すべてのテキストはあらゆる批評に
開かれているものだし、また開かれていなくてはならない。
ただ僕がここで言いたいのは、何かに対するネガティブな方向の啓蒙は、
場合によってはいろんな物事を、ときとして自分自身をも、
取り返しがつかないくらい損なってしまうということだ。
そこにはより大きく温かいポジティブな「代償」のようなものが
用意されていなくてはならないはずだ。
そのような裏打ちのないネガティブな連続的言動は
即効性のある注射漬けと同じで、
一度進み始めるとあとに戻れなくなってしまうという事実も
肝に銘じておかなくてはならないだろう。


 もちろん僕にも作家や作品の好き嫌いというものはある。
人間に対する好き嫌いもある。
でもその遥か昔のテネシー・ウィリアムズの講義のことを思い出すたびに、
「やはり人の悪口だけは書くまい」とつくづく思う。
それよりはむしろ「これはいいですよ、これは面白いですよ」と言って、
それを同じようにいいと思い、面白いと喜んでくれる人を
たとえ少しでもいいからみつけたいと思っている。経験的に深くそう思う。
これは早稲田大学文学部が僕に与えてくれた
数少ない生きた教訓のひとつである。
(後略)


 自分の考えとして主張していたものが、
およそ10年前に読んだきりの、村上氏のこの文章に見つけ、
赤面すると同時に、改めて「そうなんだよなあ!」と強く、思った。


 この文章を最後に読んだのは
コンピューターに触れることも無かった時だったが。
 それからインターネットの世界に入り、
匿名掲示板などの数々の記述を目にする度に、
自分の中で強く、確信になったのだと思う。



 しかしまあ、若い時に読んだ本から、
いったいどれだけ影響を受けているんだろう!
 そのことをすっかり忘れていることに驚き恐れながらも、
以前読んだものからこうして新鮮な感動と発見があることに気づき、やはり
「読書を趣味にしていて良かった…」と思う
休日前夜でありました。