最近読んだ本

裁かれた罪 裁けなかった「こころ」―17歳の自閉症裁判

裁かれた罪 裁けなかった「こころ」―17歳の自閉症裁判

2005年2月、大阪の小学校で教師殺傷事件が起きた。
加害者である17歳の少年は2度の精神鑑定の結果、
対人関係や社会性に「障害」があると診断された。
この不可解で凶悪な事件に、
少年司法と司法精神医学はいかに向き合ったか。
殺意や犯行動機、責任能力をめぐって直面した難問とは何だったか…。
本書は、公判の傍聴と弁護士を中心とした
関係者への丹念な取材からその実相を描き、
少年事件加害者にとって真の贖罪と更生のために
必要な社会的条件とは何かを問うノンフィクションである。


 まず、この犯人である少年の「広汎性発達障害」というもの。
 前の「ぼくには数字が風景に見える」でも少し書いたが
ひとつに自閉症と言えども、その範囲は広く、
この「広汎性発達障害」も特性がある。


 「広汎性発達障害」についての説明
 http://www.hopstepclub.jp/archives/hf-pdd.html


 裁判で、殺した教師の遺族が沈痛な意見陳述を行い、
その後で裁判長が
 「謝罪の念が心底湧いてこないという気持ちは変わらないか」
 という質問に対し、躊躇なく
 「変わりません」
 と答える少年。


 題名の通り、犯した罪そのものは裁くことができるが、
世間が普通に思うような「こころ」を持たない少年を
どう裁くことができるのか・・・。


 また、少年法の厳罰化が世間で強く言われているが、
この少年のような場合、
少年院(更正のためのプログラムが比較的充実している)ではなく
少年刑務所に送られた場合、
はたしてそれが少年にとって「罪を贖う」ことになるのか、という疑問。


 罪を罪と認識させる事こそが償いになるのではないか。
 しかし、遺族や被害者の感情も考えると・・・というジレンマ。


 ただ、少年法が厳罰化され、
これまでより長い刑期を課せられたとしても
犯罪者はいずれ社会へ戻ってくる。
 その時、刑務所で更正されることなく、
内面的に変わらぬまま社会へ出る事になるのはどうだろうか。

 
 本書でも語られているように「厳罰化」とは
1)犯罪者がふさわしい更正をされること無く、単に長い刑期を終え、
社会へ戻っていく「将来のリスク因子を増大させ」る事を認めるのか。
2)それとも、更正施設も兼ねた少年刑務所への
抜本的な改革のために、多大な税金の負担を肯定するのか、
そのどちらかを選ぶ事だ、ということを考えなければならない、という
本書の問い掛けには考えさせられた。


 断定的に著者の考えを押し付けるのではなく、
加害者、被害者、または検察側、弁護側、
そして精神科医や一般社会の見地、
対立する考え方から慎重に意見を述べようとする
著者の姿勢には敬意を持った。
 またそれゆえに「人を『裁く』」ことの難しさを実感しました。
 大変優れたルポルタージュだと思います。



 さらに詳しく素晴らしい本書の感想はこちらのサイトから。 
http://homepage3.nifty.com/afcp/B408387254/C1551211913/E20070823010159/index.html