クール・シェンヌ第10回演奏会感想 その1


 昨年の11月頃から(そう、全国大会の時ぐらいから)
合唱を聴いても今ひとつ心を動かされない状態が続いていた。
 演奏を聴いた後冷静に批評は出来るが、それだけ。

 喩えるなら、実は私は猫が苦手なのだけど
猫を見て「これは美猫だ」「毛並みがいいね」…などと言うことは出来るが
近寄って撫でるとか抱き上げるとかする気にはなれない。そんな感じ。

 年が変わっても、そんな心の状態は続き、
4年間聴き続けていた、なにわコラリアーズ演奏会の日
大阪にいたにもかかわらず、聴かずそのまま帰った。
 どうしても醒めた眼と耳で演奏を受け取ってしまう気がして。
 
 そして使っていたミニコンポが壊れた。
 さらに後を追うようにPCのDVD/CDも壊れた。

 自分でも驚いたのは、
そんな状態になっても自分が全く「困っていない」ということだった。
 そういえばCDを買っても最初の1回を聴くだけで
後は聴き返すということをしない日々が続いていた。


 加えて「アマチュア」の合唱を聴く、という行為自体にも
疑問を感じるようになってきた。
 もちろん合唱というジャンルを日本で聴くには
プロフェッショナルな演奏が少ないというのもあるが、
技術的にプロより劣り
それで生計を立てているわけでは無いアマチュアの演奏を聴いて、
あれこれ好き勝手書き散らす行為はそもそもどうなのだろう?

 そして合唱というジャンルで限定せずに
「音楽」全体を楽しむ方向に進めば
遠方までアマチュア合唱を聴きに行くなら
対費用効果として、岡山内で
例えばプロの一流オーケストラの演奏会へ行く方が良いのでは?
 大阪へ行く交通費で海外オケのSS席は余裕で購入できる。


 自分が「アマチュアの合唱」を聴く意味とは?



 それでも今回クール・シェンヌの演奏会へ行く気になったのは
日程に余裕があった、
兵庫で横尾忠則展をたまたま開催していた、ということもあるが
何より、新団長に就任した中村君から直々のお誘いがあったからだ。



 前置きが長くなったが小雨が降ったり止んだりする大阪:いずみホール
 2008年6月28日(土曜日) 18:00開演。
 クール・シェンヌ第10回演奏会

 (25周年記念演奏会と副題が付いている)


 女声16人・男声15人(プログラムから)
 指揮は全て上西一郎先生。



 第1ステージは
 メンデルスゾーン「世俗合唱曲集」より
 5曲。
 ■Os justi(正しき人の口は)
 A.Bruckner


 最初に書いておくと、
第1ステージがこの演奏会中、一番素晴らしかった。
 昨年の演奏会でも第1ステージが最高だったし、
5年前の感想を読み返してみると同じ印象だったようだ。
 ・・・シェンヌ演奏会は、遅刻厳禁という結論。



 メンデルスゾーンは1曲目のDer Glückliche(幸せ者)から
軽やかな躍動感にあふれる。
 少し前までのシェンヌなら
自分たちの「響きの良さ」に溺れ、
やや流れが滞っていたような印象があったが
この演奏ではそんなものは微塵も感じさせない。
 リズムの力感による推進力というものが感じられ。
 それでいて決めのハーモニーは
ホールの良い音響も相まってしっかり聴かせる。


 2曲目のHirtenlied(羊飼いの歌)も
一転雰囲気を変え、落ち着いた叙情を表出。


 5曲中、私が一番気に入ったのは
4曲目のFrühlingsahnung(春の予感)。
 「おお、優しく芳しいそよ風よ」との言葉どおり、
ソプラノの明るく優しさに満ちた声、それを彩る和声。
 旋律のはじまりはそれぞれ生まれたばかりのように新しく
滑らかに加えられる美しい力感とエネルギー。


 最終曲のHerbstlied(秋の歌)は
以前、全日本の課題曲になったこともあって
一段上の完成度。
 隅々まで神経が行き渡った、しかし決して神経質では無い
“歌”がある演奏。


 
 その後のブルックナー、Os justiがまた素晴らしかった。
 シェンヌの本領発揮!とばかりに
最初の一音から輝かんばかりの和音がホールへ広がる。
 ゆったりした曲調だが、音符ひとつ漫然と伸ばすことをせず
こまやかなふくらみと弾力が旋律に生命を吹き込んでいく。


 sapientiam(知恵)でソプラノが高みへ。
 背後のパイプオルガンの幻を聴くような響き。
 眼を閉じ、その壮麗さと感動を充分に味わった。



 後の打ち上げでGiovannniの木村さんが
 「あのメンデルスゾーンブルックナー
  録音を聴かせたら
  日本人の演奏と思わない人もいるんじゃ?」
 …という意の事を話していたが、
そういう可能性も否定できない水準の演奏だった。



 (つづきます)