東京混声合唱団 倉敷公演感想 その2

第2ステージは柴田南雄先生の名曲追分節考」を。
尺八は関一郎先生。
この曲の演奏には欠かせない名演奏家です。


演奏を始める前に大谷先生が
「今日は私のヴァージョンの《追分節考》なので
 新しく聞こえると思います」


ステージに女声。
客席の両側に男声が並ぶ配置。


この演奏を言葉で説明するのは難しい。
今までの「追分節考」と違った面を挙げるなら
「響きの美しさを追求した追分」…となるだろうか。
女声の俗楽旋律考の語りの重なり合い。
ロングトーンのうねりと美しさ。


男声の追分節も最初に一人が歌った後、
むやみに音が混じることも無い。


今まで聴いたこの曲の演奏では
混沌とした響きに囲まれるものばかりだったが
今回の演奏ではカオスのような印象を与える瞬間はごく少なく
音のタイミング、会場をねり歩く男声ソロ、
ステージ上の女声:客席の男声との呼応するバランスも計算された印象。
MIWOで何度か聞いた、
北欧の現代曲を思い出すような響きに近いものがあった。


クライマックスは男声、女声ともフォルテッシモが会場に鳴り響く中、
尺八の関先生が吹きながら客席を回り。
はじめは大音量の合唱に隠れ、
到底聴こえない尺八の音へそれでも耳を傾けていると
徐々に合唱が弱くなっていくのと同時に尺八の存在感が増し、
最後は尺八だけの一節を朗々と、そして風に消えていくように
余韻を残し、演奏は終わった。



東京混声のレパートリーとして、幾度となく演奏されたこの曲だが、
まさしく大谷先生が語られたように
「新しく聞こえ」た追分節考。
この曲の魅力を新たに感じた好ステージだった。




休憩後、第3ステージは
高村光太郎:詩、西村朗:作曲
混声合唱とピアノのための組曲「レモン哀歌」


「千鳥と遊ぶ智恵子」「山麓の二人」「レモン哀歌」の3曲からなる
2008年に作曲された最近の作品。


斎藤茂吉の短歌を合唱曲にした「死にたまふ母」のように
西村作品らしい熱さと緊張感が充溢する曲想。
その世界にしっかりと「入って」いる東混の団員たち。
もちろん熱さだけではなく、その表現の切り替えの見事さ。
「千鳥と遊ぶ智恵子」での最後。
「立ち尽す」というフレーズが胸に残る。


圧巻は最終曲の「レモン哀歌」
「そんなにもあなたはレモンを待ってゐた」で始まる
哀切きわまりない詩を抒情的な旋律で彩ったこの作品。
男声の柔らかで優しいヴォカリーズに乗る女声の
「その数滴の天のものなるレモンの汁は」
最後の詩句「すずしく光るレモンを今日も置かう」
言葉にならない想いを込めたようなヴォカリーズと
広がるサウンドの妙。
いずれも涙腺を刺激する時が何度もあった演奏。




(つづきます)