バッハ・コレギウム・ジャパン 倉敷公演


2009年6月5日 19:00開演 倉敷芸文館
指揮:鈴木雅明
野々下由香里〈ソプラノ〉、ダミアン・ギヨン〈カウンターテナー〉、
水越 啓〈テノール〉、ドミニク・ヴェルナー〈バス〉


合唱と管弦楽:バッハ・コレギウム・ジャパン



プログラム:J.S.バッハ  モテット
《み霊はわれらの弱きを助けたもう》 BWV 226
《恐るるなかれ、われ汝とともにあり》 BWV 228
《イエスよ、わが喜び》 BWV 227
(休憩20分)
《主を頌めまつれ、もろもろの異邦人よ》 BWV 230
《来ませ、イエスよ、来ませ》 BWV 229
《主に向かいて新しき歌をうたえ》 BWV 225





おおお、ここ岡山でもBCJが聴けるとは!
仕事を終えた週末の金曜、倉敷駅から歩いて15分の芸文館まで。
ほぼ満員の客席(879席)。
合唱はソリストも含め18人、管弦楽は10人の編成。


いやあ・・・凄かった・・・。
高度な技術に定評のあるBCJだが、
それだけではなく最初から最後まで全力疾走!完全燃焼!の演奏。
鈴木氏率いるBCJのかたまりが炎のように燃え上がり、
その熱さを伝えてくれるようなステージだった。


演奏前の鈴木氏のアナウンスで
「演奏が非常に難しく大変な曲です」と語られていたが。
それを証明するように、演奏者の緊張感も伝わってくる。
器楽、合唱、ソリストの間で交わされる、丁々発止、
一瞬に繰り広げられる、火花が見えるほどの音楽の雷光。


また、そういう熱さや緊張感を充分感じさせながらも、
決して一面的で単調な演奏にはならず、
バッハの作った音楽のさまざまな要素を見せてくれたのも特筆すべきところ。


例えば「恐るるなかれ、われ汝とともにあり」では特徴的な下降音型が
2重合唱や各パート、器楽で受け渡されるのを明解に聴かせてくれたり。
音楽の緊張から緩和、安らぎへの推移。
(あの早いメリスマから瞬時に息の長いフレーズに移る歌唱技術の高さ!)
器楽と一体化した合唱の響きもありながら、
ソプラノとヴァイオリンの、お互いの旋律を彩り合う精妙な美しさ。
(ソリストでは野々下由香里さんの品格ある歌唱が特に心に残りました)
曲の終盤ではユニゾンの力強さ、その歌い分け。
ソリストと呼応する合唱とのバランス、2重合唱の響きの計算など。


鈴木氏の指揮ですぐ感じられるように、大変エネルギッシュなのに
細部まで神経が張り巡らされている印象。


そして、プロ中のプロがここまで魂を傾けて、
ようやく到達する本物の「バッハの音楽」、
その深遠さというものをも感じさせてくれました。




最後の「主に向かいて新しき歌をうたえ」では
中間部、ソリストと合唱で交わされる慰撫するような優しさから
目がうっすらと湿ってきてしまって・・・。
そして神と生命を讃えるような力強く華々しいラストに
この上なく高揚する心のまま、
他の観客と同じように力いっぱい拍手を送りました。



鈴木雅明氏が以前、倉敷に来たのは数十年前、
学生の音楽団体の演奏公演だったそうで。
その時、取材に来たテレビ局のディレクターが
演奏を聴いている最中に立ち上がり
「なんですかこれは?! まるで葬式の音楽じゃないですか!!」
…と叫んだとか。


「よっぽど私たちの演奏が生気の無いものだったのでしょう」
鈴木氏は観客をそう笑わせていましたが。


この日の曲目もある意味「葬式の音楽」。
しかし、ここまで人の心を隅々まで慰め、励まし、
生きていく力を与えてくれるような演奏にはなかなか出合えません。


「人の死に対面した際、
言葉はその人の心に届かない場合があるが、
音楽ならば、心に届く時がある」


鈴木氏は、これらのモテットが葬式で流された背景をそのように説明されていました。
たとえ死に対面していなくても、
言葉が届かないような心の時、
その心を浮かび上がらせ、光を与えてくれるような演奏会だったと思います。


<追記>
BCJのファンサイト「VIVA!BCJ」に
鈴木雅明氏による第85回定期演奏会 巻頭言が掲載されていました。

http://www2s.biglobe.ne.jp/~bcj/09.06.10sc85.html


鈴木氏オランダ留学時の大家さんが亡くなられた時のエピソード。
そして葬儀のために書かれたバッハのモテット、その意味。

愛する人を失った人にとって、人間の慰めの言葉は誠に無力です。
しかし、音楽ならばその心の空洞を埋めることができるかもしれません。