長崎・軍艦島へ


軍艦島」という名前を初めて耳にしたのはいつだったかなあ・・・。



1982年に放送された公共広告機構のCMかもしれない。


丸ごと島ひとつが廃墟という存在の端島(はしま)、通称「軍艦島」。
長崎県の沖合にある、
海底炭鉱のために埋め立てで拡張された人工島である。
1974年閉山で島から人間は一人もいなくなった。


公共広告機構CMでは「石炭を掘りつくした」とされていたが
実際は採算が合わなくなったのと国のエネルギー政策変更が理由らしい。


最近、何気なく手に取った貴志祐介「ダークゾーン」という人間将棋ホラーはじめ
数々の映画、小説、マンガなどが軍艦島を舞台としてきた。
「キング オブ 廃墟」と案内の人が語るように
ひとつの島すべてが廃墟という事実が創作者の心を刺激するようだ。


最近もヤングマガジン軍艦島を題材にしたマンガが始まったとか。
「軍艦少年」(第一話が試し読み出来ます)
http://kc.kodansha.co.jp/content/top.php/KB00000427


写真集なども見るにつれ「上陸したい!」と願っていたが
当時は長崎の漁師に船を出してくれるよう頼むしか方法がなかった。
しかし、3年前から「軍艦島クルーズ」が許可され
一般人でも上陸が容易に可能となった。
http://www.gunkanjima-concierge.com/


そんなわけで連休中の5月1日、14時からの便に予約をしたのだ。





船に乗り込む。
乗り込もうとした10分ほど前から雨が降り出し不安になる。
というのも海が荒れると接岸が難しくなり
上陸ができなくなってしまうというのだ。
軍艦島クルーズHPでは「上陸不可能は4%程度」ということだが
Wikipedia軍艦島の項では
「年間上陸可能日約100日」と書いてあり、
7月にはおよそ3分の2の日で上陸が難しくなるという。



船長の「波は高くなって来ましたが、"おそらく”上陸は大丈夫です」
との言葉でさらに不安ががが。
軍艦島へ近づくまで、「軍艦島コンシェルジェ」と呼ぶ職員さんから
軍艦島の歴史をスライドやビデオで説明を受ける。
(別の仕事を定年退職した人がやっているという印象で
 説明やビデオとの繋がりがぎこちない…)




見えた!軍艦島だ!!






揺れる船からなんとか降りることができた。



軍艦島コンシェルジェの案内を受けながら進む。
道はちゃんと舗装され、道なりに白の囲いがあり
廃墟へは近づけないようになっている。



何十枚も写真を撮りましたが、その一部を。









コンシェルジェさんは道の途中途中で
目の前にある元の建造物が何だったのか、などを説明。
過去の、人が生活していた頃の写真も掲げる。











まあ、私のカメラ(コンパクトデジカメ)と腕がヘボいせいもあるが
その雰囲気をあまり伝えているとは言いがたい写真だ。







上記の写真も中央の崩れかけた階段が独特の雰囲気なのだが…。


1時間弱?の上陸の後、船に戻り
上陸できなかった居住区の周りを。










さて、念願がかなった今回の軍艦島クルーズだったが
もう一度行きたいか?と尋ねられると、それはどうかな…という気も。
島のごく一部分、
定められた数百メートルの遊歩道部分だけをガイドの先導で巡るため、
写真集や動画で観た、「かつてあった生活の空気」を感じにくい。


崩落の危険性もあり、難しいことはわかる。しかし
「もうちょっと内部へ入りたかった!」という思いが強い。




ただ、掲載した写真で伝わったかは疑問だが
その独特の雰囲気にはかなり圧倒された。
自分はそうディープな廃墟好きというわけでもないけれど、
「人間のために作られた人間による建造物」が朽ち
異化されてしまう廃墟の魅力は充分に感じられた。


幼い頃、祖父母の向かいの家が火事にあったらしく
瓦礫の中、入り口のドアだけが残っていた。
妹たちとその廃墟の中で遊び、ドアを開けてみると
「本来なら機能するドアの役割」が消失し、
違う世界が開くような感覚に心が疼いたのを思い出す。



帰りの船では軍艦島でロケをした
B'z のMY LONELY TOWN のPVを見せられたのだが
かなり軍艦島の内部にも入っていた。
コンシェルジェさん曰く
「こういう有名アーティストの撮影には
 長崎県は許可を出すんですね」
あと、かつて人口密度世界一、
日本初の鉄筋コンクリート建造物ということから
「建築の専門家にも許可を出すことがあるみたいです」


・・・有名アーティストと建築専門家、どちらも自分には縁がない。
これを読んだみなさま、軍艦島内部へ入る機会がありましたら
私のことを思い出して下されば幸いです。(←割と真剣に)





さらば軍艦島