CANTUS ANIMAEThe 16th Concert 「新しい音」感想その1


2012 8・11(土)
杉並公会堂




夏のこの時期のためか客席はそんなに埋まっていないよう。


入場時、雨森先生が間を置かず団員と一緒に入場してきたのが面白かった。
最初のステージは


モンテヴェルディ「愛する女の墓にながす恋人の涙」


今までのCAでは熱さや勢いで押し切る印象だったのが、
響きに繊細さ、フレーズにも丁寧な細やかさが出て来たのが今回、
おっ、と思ったところ。


発声の線がやや細く感じられても充分表現を満たし
存在感を意識させる声。
特にソプラノでそういう印象があったのだが
個人ヴォイストレーニングの成果なのかな?


そして雨森先生の指揮自体に大きなアクションは無く
あくまでも交通整理なのに
出てくる音楽は自発的な熱い音楽の奔流、
音楽の隙間を満たす個々人の表現があったのが好印象。
(後半は先生もノッてきたのか?
 アクションがいつものように大きくなっていましたが 笑)



何度も音楽の顔、さまざまな表情が迫ってくる!
「これでもか!」と言わんばかりの
繰り返されるフレーズ終末の泣き節、
そして天国的長調への転調が特に記憶に残っています。



音程やアインザッツの乱れも気になったけど、
音程はともかくアインザッツ
「CAはこういう団」と思って気にしないほうがいいのかもなあ。
個々人の自発的な表現とアインザッツの揃いって相反する部分があるから。



前述のように熱さだけで押し切る表現、声だったら耐え切れなかったのが
発声や響きの繊細さで
「こんなに大量の料理をペロリと!」という感じ。


…いや、やっぱりそれでもかなーり濃厚でおなかいっぱい、だったかな(笑)。




第2ステージは今回初演の秋透「雨のあとには」


最初に作曲家の秋透先生、詩の鳥潟朋美先生、
雨森先生を交えてトークショー。


委嘱ではなく東日本大震災原発事故)を契機に
秋先生の自発的な衝動で出来上がった作品の初演ということ。
春から夏へなど季節の巡り変わり、
再生をテーマにしている?


印象的なフレーズを中心に据える最近流行りの邦人作品とは違い、
詩の一節ごと細やかに音楽を変える、
80−90年代前半にあった、
学生がよく歌っていたような現代風刺の作品群を連想させる。
(ある方は「(秋先生の師匠の)広瀬量平先生の作風に似てるのでは?」と
 言っていたけど、私は広瀬先生の作風は感じませんでした。
 あくまでも「あの時代」に流れていた作品全体の印象)


秋先生は北海道(札幌北高 → 北大 → 京都市芸大)
鳥潟先生は秋田ご出身ということで、冬だけではなく、
夏を表現する作品にも北国らしい透明さや硬質さを感じさせる作品。


それを熱さだけではなく、客観的で冷静な視点を持ち、
先ほども書いたが繊細な響き、ややスリムになった声で
語感を活かし、音楽の変化を丁寧に表すCAの演奏が大変良かった。



3曲目の「静かな森」からアタッカで
この組曲が出来たきっかけになる最初の曲だという4曲目の
「朝に」。


雪、と秋先生が仰られた平林知子先生の美しいピアノ伴奏から
希望と再生を歌う、自在で力強いテーマの流れが特に素晴らしかった。



個人的にはやや古い邦人合唱曲を連想してしまうのと
詩がいわゆる「詩人の言葉」では無いのが少し気になりましたが
それでもこれ以上の演奏をするのは至難の業では?と思わせるほどの
入魂の初演演奏でした。



ちなみにこの「雨のあとには」楽譜
パナムジカさんから発売されております。
http://www.panamusica.co.jp/ja/product/14252/



(続きます)