音楽がその本来の輝きを見せるとき


ドイツ在住の声楽家:山枡信明氏による
ある特別な体験、
「悲しい出来事をきっかけに、みなの気持ちがひとつにまとまり、
ふつうないような響き、音楽となった」という連続ツイート。


こちらで読めますが
http://twilog.org/nobuyamamasu/date-121019
そのまま、順番通りに自分でも読んでみたい、という気持ちから
順番通りに転載します。


音楽がその本来の輝きを見せるときというのは、なぜか順風満帆のときではない。


・・・うん。実感として同意します。



1. 3週間うちの合唱団に来て、来週末演奏会をする予定の指揮者の方のお父様が亡くなった。今日のリハーサルは予定通りやって、明日を休みにして、月曜日にまた来て演奏会は行うという。そのすばらしいリハーサルの進め方、卓越した音楽性、人の良さに皆が惹きつけられてきた矢先だった。


2. 今日もひきしまったリハーサルを淡々と続けていたが、その心中はと考えると、胸がつまってくる思いだった。しかし、それにしても今日のリハーサルの合唱の響きは普通ではなかった。美しく心に沁みわたるようなハーモニー。暖かく包み込むような響き。


3. めったに起こらないようなことが起こっていた。それは合唱のメンバー一人一人が、その声によって、父を失った人を包み込んで、慰めているような感覚だった。私の声はなんどか詰まってくるほどだった。


4. そこにあったのは、合唱の響きとなった「愛」と名づけるしかないようなものだった。また曲目がはまりすぎていた。メンデルスゾーンの三つの詩篇曲とそれに捧げられ、同一歌詞につけられたMäntyjärviの詩篇曲。8声部が完全に溶け合ったときの、やわらかく暖かく、広い音域を満たす響き


5. 今日やった音楽は、「仕事」などと名づけることが似合わないものだった。さまざまな境遇の人間が、さまざまな運命に導かれて、今日、同じ場に集められ、同時にひとつの和音を歌う! これは何たる神秘なのだろう。一度限り、再現不可能の出来事。そしてそれは魂の深みへ降りていくような体験。


6. 音楽がその本来の輝きを見せるときというのは、なぜか順風満帆のときではない。それは何度か経験したものである。人の存在を揺り動かす出来事や、危急のとき、深い悲しみや、大いなる喜びのとき。そういうときに人の心をとらえて、ふだんはまったく考えられないような世界を開いてしまう。


7. だから音楽を贅沢な装飾品とか、高尚な教養とか、すぐれた娯楽とか、(プロにとっては)稼ぎの種とか言う次元でしか捉えられないとしたら、それは悲しいことだ。また音楽を腕自慢やショーの場にしてしまうだけなのも。


8. 音楽は人間性のもっとも深いところから発して、またそこへ入っていくものなのだ。そして人と人を、他ではなし得ないような方法によって深く結びつける。それを今日感じることができた。


9. ひとつの長3和音だって簡単に片付けられるものではない。本当に特別の意識と意味を込めて歌われたひとつの和音は、世界を内部に包み込んでしまうほどのものである。しかし、そのようなものには技術も大切だが、技術だけでは現出させられない。深い意味が必要なのである。


10. ある悲しい出来事をきっかけに、体験した「音楽」、「響き」についての連ツイでした。おつきあい有難うございます。