「コンクール出場団体あれやこれや:出張版2012」(その11)

※この記事は2012年富山での全日本合唱コンクール
全国大会へ出場される一般団体を紹介しております




ぜんぱくさんも書かれていましたが
金城学院大学グリークラブかおりんごさんが
ツイッターで呼びかけていましたね

【全国大会】大学の部が今年で最後なので
みんなで合同合唱がしたいです。
タイミングは一般の部が終わり休憩に入った
10分後を目安にしたいと思います。
曲目は鴎、遙かな友に、夢みたものは、
大地讃頌(ピアノ部分は口三味線で)の
四曲を予定しています。
一般Aのみなさんも是非一緒に歌いましょう♪

https://twitter.com/kaoRingo429/status/269642581518979073


このブログがどれだけ大学生が観られているかわかりませんが、
一般A部門出場の方もぜひどうぞ♪
(おっさんがを使うと違和感があるのは何故だ…)






富山オーバードホール外観
(※建築写真NOさまより転載)




そして今日の
「出場はしないけど富山へ行くお目当てを尋ねたい!」
札幌にお住まいのともこさんのお答えです。

◎今年度で、現在のコンクールの形態が終わってしまうから
◎合唱仲間さんが集うから
◎そもそも去年観に行っていないから
◎直行便があったから
いろいろ理由はありますが、
何はともあれ、観に行きたい!!!
のです。
ミーハーで飛行機乗っちゃいます。笑笑
考えてみればビンボーOLが
そんなにお金かけちゃっていいのかい
という感じですが…f^_^;)


ご縁がなかったり、
逆に出演者だったりしたこともあったりで
実は全国をすべて観るのは今回が初めてです。
噂に聞く様々な団体の演奏に、
素人耳ではありますが
まずは触れられるチャンスを得たと思っています。
しっかり受けとめ、感じたいと思っています。
そして、
すべての団体に拍手を送ることのできる、
大事な役目を持っている!
なんて思って楽しみたいと思っておりますo(^▽^)o♪


ともこさん、ありがとう。


「すべての団体に拍手を送ることのできる、
 大事な役目を持っている!」
おお、それ、かなーり大事な役目ですよ!
楽しみましょうねo(^▽^)o♪




・・・色々無理した感がありますが始めましょう。
今日ご紹介するのは2団体です。






10.愛知県・中部支部代表
岡崎混声合唱団
(混声69人・9年連続出場・第57回大会以来9回目の出場
 「岡崎高校コーラス部OB合唱団」も含めると
 第49回大会以来11回目の出場)



初出場以来、連続出場を続けている岡崎混声合唱団。
指揮は名門:岡崎高等学校コーラス部の近藤恵子先生。
昨年はウィテカーのアニマルクラッカーを
ユーモラスに演出を交えたステージが印象に残っています。


今回の課題曲はG3
自由曲は原民喜:詩 信長貴富:作曲
「廃墟から」より
第一章 絶え間なく流れてゆく


この「廃墟から」は
岡崎高等学校コーラス部・岡崎混声合唱団の
2007年の委嘱作品ですね。
岡崎高等学校コーラス部はこの曲で
第60回全国大会で金賞(2位)を獲得。



出版譜の前書きから信長貴富先生のメッセージを引用しましょう。

第一章 絶え間なく流れてゆく  
原爆詩人として知られる
原民喜(1905-1951)の散文(「夏の花」・「鎮魂歌」)と
詩集(「原爆小景」・「魔のひととき」)から抜粋し、
テキストとした。
曲名は「鎮魂歌」の冒頭の一文
「美しい言葉や念想が殆ど絶え間なく流れてゆく。」
から採ったもので、
作曲の着想は主にこの「鎮魂歌」の文体から得ている。
私は「鎮魂歌」について、フラッシュバック
(強い心的外傷を受けた後、その記憶が鮮明に思い出されたり、
夢に現れる現象)を文章化したものではないかと想像している。
作曲はその心理現象を追体験する行為だった。
被爆から6年後、原民喜は自殺している。
被爆体験は彼に文学者としての覚醒をもたらしたと言えるが、
同時に人間への絶望を決定づけるものでもあった。
原民喜の言葉、そして無数の死者の言葉を聞き取ることが、
いま生かされている私が
表現者としてできることなのだろうと思う。


広島被爆者の母を持つ信長先生が作曲した
原爆投下後の惨状と哀切な鎮魂歌。
過去の記憶が現在のものとして甦るフラッシュバック。
作曲はそれを追体験する行為と信長先生が書かれるなら、
岡崎混声の演奏を聴くという行為も
原民喜の精神世界と同調し追体験する行為なのかもしれません。



この委嘱曲「廃墟から」という自分たちの手で生み出した曲を
今、また改めて観客の前で生み直すという意義。
岡崎混声合唱団のみなさんに
どうかそれを強く問いにして
私達へ伝えていただきたいと思います。










11.東京都・東京支部代表
CANTUS ANIMAE
(混声47人・2年連続出場・第52回大会以来9回目の出場)




昨年シード権(2位)を獲得したCANTUS ANIMAE。
「魂の歌」との団名を持つこの合唱団は
通称CA(シーエー)と呼ばれています。



今年の課題曲はG3 
宮澤賢治:詩 林光作曲
連作「無声慟哭」より鳥のように栗鼠のように


自由曲は宮澤賢治:詩 西村朗作曲
「永訣の朝」より「永訣の朝」


課題曲、自由曲とも
同じ宮澤賢治の詩による作品という今年のCA。
団員のMariさんからメッセージをいただきました。

団員一人一人、みんな違う思い、違う感性をもち寄って
一つの楽曲を作り上げていくのが合唱だと思いますので、
これがあくまでも私個人の思いです、と
前置きをさせてください。



今年の課題曲集を開いたとき、
「おお」と思われた方も多かったのではないでしょうか。
G3の「鳥のように栗鼠のように」とM3の「松の針」、
宮澤賢治の連作「無声慟哭」からテキストを取った作品が
二つ収められていたのですから。
それも林光氏と西村朗氏。
作風は両極端と言ってもいいほど違いますが、
お二人とも現代日本を代表する作曲家です。


CAは、2010年12月の演奏会で「松の針」を含む
「永訣の朝」全曲を取り上げていますが、
私が最初にこの作品に出合ったのは、
同じ年の3月に行われた
「コーラスガーデンin佐賀」までさかのぼります。
合唱団Le Grazie さんが
組曲の1曲目「永訣の朝」を演奏されました。
プログラムでその曲名を見た時、
はるか昔に国語の教科書で読んだ
賢治の詩をおぼろげに思い出しました。
「あめゆじゅとてちてけんじゃ」。
そうだ死んでゆく妹トシのことを歌った詩だった。
でも、途中で不覚にも涙したのは、
歌詞の内容に刺激されたのではないと思います。


この曲をお聴きになったことがある方は
お分かりだと思いますが、
意図的に歌詞が聴き取れないように
書かれている個所がたくさんあります。
実際、その時に私の胸を締め付けたのも、
多分言葉ではありません。
うねる音が言葉を飲み込み一体となって、
聴き手の心をわしづかみにする、そんな感覚を覚えました。
とにかく、「これはすごい曲だなあ」という印象を持って
東京に帰ってきました。
ですから、しばらくして、
雨森先生が12月の演奏会の演奏曲候補に
「永訣の朝」を選んでくださったときには、
すぐに飛びつきました。「やります!」と。


G3 の「鳥のように栗鼠のように」は、
同じ連作から取ったとは思えないほど世界が違います。
どう違うかは、
聴いてのお楽しみということにしたいのですが、
この曲を知って、私は改めて、
「ああ『無声慟哭』は文学なのだ」と思いました。
妹の死を描いた作品ではありますが、
決して感情の発露ではない。
詩人が感性を研ぎ澄まし、言葉を紡ぎ、
己の魂の表出として創作した芸術なんだと。


芸術には、触れた者の心を揺さぶる力があります。
揺さぶられた心は、己の感動を、
新たな言葉や行動や創作として表出します。
何にも縛られない自由で広がりを持った連鎖です。
賢治の詩に心を揺さぶられた二人の作曲家の、
魂の表出がこの二つの楽曲なのだとしたら、
それを演奏する私たちも、一人一人が感じたであろう
何かを演奏表現に昇華させたい。
そして、会場の皆様が、聴き終わったときに
「ああ、音楽って、自由だなあ。すばらしいなあ。」
と思ってくださったら、最高に幸せです。


Mariさん、ありがとうございました。
昨年のCAの演奏、
課題曲のハイドンも、
三善晃先生の「五つの童画」も、
団員さんそれぞれの個性が輝きながら
不思議にひとつの水流となって胸へ届いたのを思い出します。


詩人が紡いだ言葉が、作曲者が織った音が、
演奏者が縫った音楽という名のヴェールが
聴く人を包み、心が揺れたとき。
それは芸術に揺り動かされたそれぞれの自由な心が
いま確かに感じられたときかもしれませんね。





「ああ、音楽って、自由だなあ。すばらしいなあ。」







(明日に続きます)