ブログを書く理由


ぜんぱくさんのブログが10年目を迎えたということで(めでたい!)。


そしてこんなことを書かれていました。

だいたいblogをちゃんと書く人って、
世の中にモノ申したい!という思いが
いずこかにある訳だから、すごいなあと思います。。
自分が大層な人じゃないという自覚が
いよいよハッキリしているので
なかなか書くことがない・・・というここ最近です。
もちろん、わたしもチラチラとは書きます。


「世の中にモノ申したい!」・・・特にないなあ(笑)。
なんで自分は文章を書いているんだろう、と考えると袋小路に入りそうで。
いろんな人から
「文吾さんはブログをやっていなかったとしても
 『文吾さん』だったでしょうね」
みたいなことを言われるけど全然そんなことはなく。
中学校時代は国語の先生が熱心で多く文章を書いていたけど、
それから10年以上、日常的に文章を書くようなことはせずに、
名古屋で入った合唱団のML(メーリングリスト)がたまたま盛んで
それに参加して書き散らしているうちにHP、ブログと続いて
ここまで来てしまった・・・という感じです。
手に入りやすいパソコン、定額のインターネット、盛んなMLのどれが欠けても
今の自分にはなっていなかったろう。
そう考えると不思議だ。


そんなわけで「世の中にモノ申したい!」なんてことはほとんどなく、
下手したら数ヶ月ブログを更新せず、
文章など全く書かなくても平気な人間です。
自分で文章を書くより他人の文章を読んでいる方がラクだし面白いし(笑)。


でもここんとこ、心境の変化があって。
数カ月ブログを更新しないような「文章を書かない時間」が長くなると
やはり再び書きだすのが億劫になる。
頭の中のモヤモヤしたものを「言葉」という目に見えるものへ
変換する能力が著しく低くなる。


運動だって歌だって数日休めば下手になるというが、文章もそうなのだろう。
何か「書きたい!」と思う時に、自分の言葉の管が詰まっていて
諦めてしまったことが何度もあったので。


そんな時にこのブログのこんな記事を読んだ。


「自分の書く文章は価値がない」を抜け出すライティング・マラソンという方法←自己検閲を振り切って書きなぐるために
ブログ 読書猿
http://readingmonkey.blog45.fc2.com/blog-entry-685.html


この「タイマーでのトレーニング」を毎日15分以上することにした。
やってみると15分で書ける意外な量に驚く。
疲れている日には前に書いた文章を読み直すのに5分かけても許したり。
そうやって溜まった文章を日数をおいて書き直し、
こうしてブログに上げている。
最近更新頻度が上がったのはこういうわけです。


一月程このトレーニングを続けて、
文章を書きやすくなった、という分りやすい成果の他に
頭の中で練りに練った(はず)の文章と
15分で読み直しもせず書き殴った文章に
自分の場合は、大して差がない、と感じたのが一番の成果だろうか。
書く。とにかく書く。そして時間を置きながら、徹底的に直すべし。
(…いや直してもコレかよ、という感想は重々承知で)



自分がブログを、文章を書いて、こうして公開する理由は何だろうか。
好きなとあるブロガーさんはこう書いている。

収集癖なのかなあ、記録に残す行為って。
でも役に立つんですよね。
短期では気づかない価値観の緩やかな変化など。
人は、、、慣れるものでありながら変化していくもの。
好きなものを嫌いになり、嫌いなものを好きになる。
(最近のipodにはマイケルジャクソンが歌い踊ってます)
本質的に良いものは普遍的ではあるものの、
気づかずに通り過ぎることも多い。
見逃さないように。


連続していく日常の中では、なかなかその「変化」に気づきにくい。
自分が忘れてしまって、再度の新発見もそれはそれで価値がある、はず。
同じところをぐるぐる回っているようでいて
螺旋階段を進むように実は高度が変わっている・・・んだったらいいなあ。



せめてその螺旋階段では昇っていますように。