「コンクール出場団体あれやこれや:出張版2014」(その5)

 

 

 

 

 

さて、ゾリステン アンサンブルさんの演奏が終わると

室内部門前半の終了、20分間の休憩です。

 

 

出場団体の指揮者の方へ伺う
「思い出の全日本合唱コンクール名演奏」。
その企画に関連して、
コールサル指揮者ぜんぱくさん、
MODOKI指揮者山本さんと
私、文吾の3人で行った座談会。

休憩時間ということで公開いたしましょう。

 


第1回は「初めての全国大会」がテーマです。



山本 初めての全国大会は1989年、
   第42回の福岡大会で
   自分が大学の部で出場した時やったんですよ。

   その時、一般の部を聴いてびっくりしたのは…
   当時双璧の団体だった合唱団OMPさん!
   そして京都エコーさんのブルックナーTE DEUM!


あ~、当時2大巨頭でしたね!


山本 会場の福岡サンパレス大ホールは
   3000人入る大きなホールで。
   その3階席のいっちばん後ろで聴いてました。


ぜん その頃から一番後ろで聴いてたの?(笑)


山本 その頃から(笑)。
   …で、京都エコーさんの自由曲、
   ブルックナーのTE DEUMから 
   「Per singulos dies benedicimus te」。
   ヘルムート・ドイチュ氏のピアノ前奏の後、
   エコーさんが歌いだした瞬間!
   ぐわーッ!って音圧が風圧に感じられてね!


客席の背もたれに押し付けられた!(笑)


山本 それぐらいに感じられた(笑)。
   「な、なんじゃこれは・・・」って。
   もちろんそれまでに京都エコーさんの演奏は
   録音では聴いとったけど、
   実際、生で聴いた時の音圧の凄さね。
   びっくりしましたよ(笑)。


当時あった「コンクール大賞」の演奏ですね。


山本 それが僕が大学3年の時、
   生まれて初めて参加したコンクールやったから。


なんとも強烈な初体験でしたね~。


山本 その時は大学の部、朝1で
   石井歓先生の「風紋」を指揮して。


ぜん 自分はその時、朝2の
   愛媛大で出場してたよ(笑)。


え! 一緒の大会に?


ぜん そう、その時小錦が優勝して
   ホールから出たらオープンカーで
   優勝パレードしててね。
   小錦へ向けて手を振ったら
   小錦も返してくれた(笑)。


山本 自分も同じくらいの場所で見てましたよ(笑)。


へえ~、面白い偶然ですねえ。
ぜんぱくさんの最初の全国大会は?


ぜん 1986年の第39回。
   地元の愛媛での大会。
   初めての全国大会は
   家から文化会館まで自転車で行きました!


自転車(笑)。


ぜん 一般の部はドアマンとして働いていたんだよね。
   山本さんが言っていた京都エコーさんも
   先輩から「凄いんだぞ!」と聞かされててね。
   でも、ドアマンだから聴けなくて。


残念でしたね。
聴けた演奏で印象に残っている団体はありますか?


ぜん あったんだよ! 
   「京都アカデミー合唱団」という団体が。


あ~、桑山博先生が指揮の団体ですね。


ぜん 京都アカデミーさんの流麗な感じが
   とても素敵でね。
   京都って、京都エコーさんもそうだし、
   凄い合唱団が2つもあるんだなあと
   印象に残ってます。


その時は何を演奏されたんですか?


ぜん ドビュッシーの「3つのシャンソン」。
   あまりの衝撃にその日は口がきけませんでした。


そんなに!


ぜん なんか…「良かったね」と言うのももったいない。
   誰にも言えない、みたいなね。
   言葉で表現できない感じ。


山本 その頃は今と違って、
   課題曲も含めて
   12分以内の制限時間だったんだよ。
   だから課題曲で短い曲を選べば
   自由曲もその分、長い曲を選べられた。
   今では自由曲が8分30秒の制限だから、
   その時間で3つのシャンソンを演奏するのは
   かなり厳しいね。


ぜん じゃあ、文吾くんの初めての全国大会は?


えーっと、私は札幌出身なんですけど
高校の修学旅行が
京都と東京だったんですよ。


ぜん&山本 ?


それで、東京を訪れる自由行動の日に
ちょうど1987年の第40回大会が
昭和女子大学人見記念講堂で開催されて。


ぜん もしかして・・・。


そうです!
本当は班行動の6人で
東京ディズニーランドへ行くはずだったんですけど、
「ごめん! どうしても行きたい場所があるんだ。
 先生には黙っててくれ!」と。


ぜん いるよね~。
   そうやって和を乱すヤツ!(笑)


田舎の高校生が一人で人見記念講堂まで行きましたよ。
今から考えれば当日券がよく入手できたな…。


山本 その時憶えてる演奏は?


高校の部だったんで
京都府立加悦谷高校の演奏が・・・。


山本 懐かしい!


ぜん 加悦谷高ね~!


女子生徒を寝かせてその腹の上を
指揮の成毛先生が歩く、みたいな
スパルタ練習なだけあって…もンの凄い声で!
しかも曲が三善先生の「のら犬ドジ」から
「ないてる…」という野犬狩りの曲。
当時は音楽も全然わかってないから
ひたすら「…怖い!」って聴きながら震えてました(笑)。

あと阿部昌司先生から
滝口正彦先生へ代わられたばかりの
山形西高校が西村朗先生の「秘密の花」から「ゆびII」を演奏して
「こんな曲もあるんだ!」と感動したり。


ぜん それからディズニーランドへは行ったの?


今に至るまで行ってません!
あの時、人見記念講堂へ行った選択から
人生いろいろ間違ってるのかも(笑)。

 

 

(明日に続きます)

 

↓ この座談会の続き「第2回 泣けてしまった演奏」

「コンクール出場団体あれやこれや:出張版2014」(その11) - 原動機 -文吾のホワイトボード