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「コンクール出場団体あれやこれや:出張版2014」(その12)

 

 

 

 

 

 

20分の休憩後、15:20分から
混声合唱部門の再開です。


今日は混声合唱部門で昨年1位の団体と
初出場の団体をご紹介します。








7.東京都・東京支部代表

CANTUS ANIMAE

(49名・4年連続出場・第52回大会以来11回目の出場)





山本 今年3月のバッハロ短調は良かったね~。
   「Dona nobis pacem」が始まった時、
   「Gratias agimus tibi」と違ったテンポに
   ぐっと来ました。


あのテンポゆっくりは高まりましたね、泣けました…って
コンクールの演奏をお願いします!(笑)


ぜん 2010年の演奏会で
   前田勝則先生のピアノで聴く
   「光る砂漠」が・・・。


だから! コ・ン・ク・ー・ル!!(笑)


山本 (笑)。
   まあ、CAさんにとってのコンクールというのは
   演奏する場のひとつなだけで、
   コンクールだからどうとか、
   そういうものでは無いからね。
   …自分も、そうありたいと思っているけど。


ぜん 普通はそんな風にはできないよね。   
   コンクールの演奏・・・
   いつも強烈だったからなあ(笑)。


それは同意します(笑)。

昨年の混声合唱部門で金賞1位。
当ブログの観客賞でも1位のCAさん。
http://bungo618.hatenablog.com/entry/2013/12/28/110426

 

f:id:bungo618:20131118025220j:plain

 

 

 


今年の演奏曲は
課題曲はG4 鐘(「青い小径」から)
(竹久夢二 詩/森田花央里 曲)
自由曲は混声合唱のための アウトサイダー第一番〜愛の園
(William Blake 詩/八村義夫 曲)


東京都大会でのCAさんの演奏を聴かれた
課題曲「鐘」の作曲家:森田花央里さんはツイッターで

 

 

 

 …と賞賛。
期待が持てますね。

 

そして自由曲の「愛の園 アウトサイダー1」。
この曲は・・・。


曲紹介の前に今年の特別企画、
「思い出の全日本合唱コンクール名演奏」。
雨森文也先生にお聞きしました。

 


「思い出の全日本合唱コンクール名演奏:雨森文也先生」



大学生の時に広島で聴いた
合唱団京都エコーのマルタンのCredoが忘れられません。
まさに衝撃でした。そして憧れになりました。
そして、もうひとつは、
金沢で聴いた合唱団OMPの
八村義夫さんのアウトサイダーⅠ「愛の園」です。
第一声からハートを鷲掴みにされ、
号泣しながら聴いていました。
このふたつの演奏は、
私の音楽に対する思いや生き方を
根本から揺さぶったものとして
今も脳裏にはっきりと刻み込まれています。
もちろん、他にも山のように記憶に残る演奏はあります。
しかし、それを書き始めると
紙面が全く足りなくなりますので、
続きはまたの機会にしたいと思います。
高校3年生の時に東京の普門館で
初めて合唱コンクールの全国大会を聴いてから
今年で37年経ちました。

 

 

雨森先生、ありがとうございました。
このアウトサイダーという曲は
東京混声合唱団による初演ですが
雨森先生が書かれたように
1994年金沢大会での
合唱団OMPさんの演奏を抜きにして語るわけにはいけません。
OMPさんはこの演奏で金賞1位、そしてコンクール大賞を受賞。
さらにこの年を最後にコンクールを引退されます。
聴かれた審査員の一人が
「これこそ真の芸術だ!」と涙を流されたとか。
まさに伝説の名演と言えるでしょう。


このアウトサイダーとCAさんの関わりについて
団員のMariさんからメッセージをいただきました。

 


自由曲「混声合唱のための 愛の園 アウトサイダーI』
(以下、「アウトサイダー1」)は、
1971年、東京混声合唱団によって初演されました。
合唱愛好家に知られるようになったのは、
1994年、OMP(現・合唱団響)が
全国大会で演奏してからではないでしょうか。
指揮者の雨森文也先生は、
この時の演奏を聴いて号泣したそうです。
それほど、鮮烈で衝撃的な演奏だったそうです。
今回「アウトサイダー1」を自由曲に選んだ理由を語るには、
この曲とCANTUS ANIMAE(以下CA)との
出会いについて触れないわけにはいきません。
少し長くなりますが、ご容赦ください。

CAがこの曲と初めて出会ったのは、
創団2年目、2000年のことです。
今年と同じように、コンクールの自由曲に
「アウトサイダー1」を取り上げることになったのです。
そもそもCA創立のきっかけは、
コーラス・ワークショップでのルネサンス音楽講座でした。
参加していた歌仲間数名が雨森先生の指導に感激し、
友人たちを募って立ち上げました。
なので、当時の団員のほとんどが、
ルネサンス・バロック音楽好き。
1999年、2000年と連続して
オール・ルネサンスプログラムで自主公演を開催、
初めて出場した1999年のコンクールも、
モンテヴェルディの「アリアンナの嘆き」でした。
そこへいきなり「アウトサイダー1」を
突きつけられたわけですから、激震が走りました。
著作権上、楽譜をアップできないので
伝わらないと思いますが、
ルネ・バロ好きには到底理解できないわけのわからなさです。
メロディらしきものは何もないし、
脈絡もなく音が飛ぶし、
歌詞は英語の上にセリフも多く、
最大24声部で、
各声部が半音ずつずれてぶつかり合ってるし、
もうこれどうやって歌うの? というのが第一印象でした。
気が付いたらバラバラと人が辞め、
団員数は24名を切り、
物理的に「アウトサイダー1」を歌うことはできなくなりました。
代わりに取り組んだのが「風見鳥」(三善晃)と
「秋の女」(大中恩)の邦人曲2曲でした。
結果として、この2曲で金賞・北海道知事賞を受賞し、
CAは、ルネバロ好きの団体から
邦人曲にも取り組むことができる団体へと、
大きく変容することになりました。

その後、団員数は

50名前後で推移するまでに増えましたが、
再び「アウトサイダー」を歌おうという話には
至りませんでした。
喉に刺さった骨のように、
常に意識の中にはありながらも、
意図的に封印してきた気がします。
変化は、今年の3月、
バッハの「ロ短調ミサ曲」を演奏したことで訪れました。
古参団員にとっては念願のロ短調でも、
一度もバッハを歌ったことがないという団員も多く、
当初は「こんな難しい曲歌えないよ」という声も。
それでも、ほぼ毎日というほどの自主練習を重ねた結果、
団員の中に「努力がすべて」という
(当たり前といえば当たり前の)感覚が生まれました。
もちろん、それまでも努力を重ねてきてはいたのですが、
「できない」「無理」と言って避けてしまったら、
もったいないほどの素晴らしい世界があるのだということを、
共有できたように思います。
また、監修をお願いした礒山雅先生から
6回にわたってレクチャーを受けたことで、
楽譜に向き合うということの意味を再認識できたことも、
大きな経験でした。
ぱっと見ただけでは「わからない」楽譜であっても、
どう音を取ればよいのかわからなくても、
そこに雨森先生を号泣させたほど
素晴らしい世界があるのであれば、
取り組んでみようよという機運が生まれたのです。
機が熟すのに14年かかりました。

 

 

続けて作曲家:八村義夫、
さらにアウトサイダーについてMariさんから
詳細な解説文を送っていただきました。
引用部分など非常に長く難解ですが、
氏の作曲姿勢、そしてアウトサイダーという曲を理解するために
重要で貴重な補助線となることでしょう。

 

 


「アウトサイダー1」の作曲者・八村義夫は、
1985年に46歳で他界しています。
寡作で、作品番号が付いている楽曲は
16曲しかありません。
合唱曲は2曲。
1970年に作曲された「アウトサイダー1」と、
4年後に作曲された「アウトサイダー2」です。
全部で5曲のシリーズになる予定だったようですが、
作曲者の死によって2曲のみで終わってしまいました。

前述したように、楽譜を見ただけでは、
OMPの演奏がどうして雨森先生を号泣させたのか、
その後も長く語り継がれるほど鮮烈な印象を残したのか、
少なくとも私にはよくわかりませんでした。
それをある程度理解するには、
八村がどのような音楽を志向したのかを
知らなければなりません。
とはいえ、ほぼ30年前に他界した
寡作の作曲家を紐解く手がかりは、
それほど多くありません。
評論としては、丘山万里子氏
「錯乱の論理ー作曲家・八村義夫論」がありますが
(ネットで検索すると全文を読むことができます)、
八村自身が残した言葉を知るには、
死後出版された
「ラ・フォリア 
 ひとつの音に世界を見、ひとつの曲に自らを聞く」(草思社)が
ほぼ唯一の手がかりです。
既に絶版になっているため、
長くなりますが、
引用の範囲でいくつかの文章を紹介したいと思います。


 

(※大変に長いので別リンクで紹介させていただきます)

http://bungo618.hatenablog.com/entry/2014/11/17/160631



いかがでしょうか。
八村は、ジェズアルドやホロヴィッツのような
アウトサイダー型の音楽家をこよなく愛し、
彼らのように
「音楽が全体像としての形を示すことよりも先に、
 より裸の姿で一挙に聴く人の深層心理に突き刺さる」ような
音楽を志した。
彼にとっての創作行為とは、
自分自身の
「意識下の呼吸を聴き取り、誤りなく定着させる」ことであり、
そうやって「根源的に人の本性に触れる音楽」を求め、
そのためにホロヴィッツの
「イレギュラリティの心理的な企み」を盗みたいと欲していた。
要約するとそのようなことになるのでしょうが、
そのような創作行為とは、
具体的にはどのようなものであったのか。
三善晃氏は、OMPの演奏会に寄せた
「アウトサイダー1」のプログラム・ノートに、
次のように書かれています。



~八村さんは「ここまで書けた」と、
冒頭の第1頁を仲間に見せ、感想を求めていた。
そしてまた何日か経って会うと、
「ここまで書けた」。
それが前と同じ第1頁なのだった。
いや、同じ、ではなかったのだろう。
どこか、本人にしか解らないはずの細部が、
書き改められていたのにちがいない。(中略)
こうして紡がれた…いや、刻まれた時は、
八村さんの裡から砕石の流れとなって地表に溢れ出る。
その灼熱のなかに、
八村さんは刻々と燃え尽きていただろう。
だが、それ故にこそ、そこから聞こえてくる歌がある。
優しい歌だ。
恐ろしい凝縮の淵に影を落とした花びらのように優しい、
それは愛の歌だ。~


OMPの演奏が、聴く人の心をわしづかみにしたのは、
そうやって生み出された音楽の細部を理解し、
確実に聴き手の深層心理へと突き刺したからなのだ、
そう思います。
私たちも、
八村が命を燃やすように作り上げた音楽に向き合い、
私たちの歌を通して、
それを具現化しなければなりません。
そうでなければ、歌う意味がない。
当日まで精一杯の努力を重ねていきます。

 

 

 
Mariさん、ありがとうございました。

言及されている丘山万里子氏による八村義夫氏の
アウトサイダーについて触れられているリンクです。
http://homepage3.nifty.com/musicircus/okayama/hachimura/05.htm

テキストのウィリアム・ブレイク「愛の園」も載っています。


作品は創作者の命、いや、創作者そのものなのだ。
そんな言葉を目にすることがあります。
八村氏にとって作曲とは自らの命、
いや、自分自身を曲へ乗り移らせようとしていたのでは。

そんな風にも感じてしまいます。

 

八村が命を燃やすように作り上げた音楽に向き合い、
私たちの歌を通して、
それを具現化しなければなりません。
そうでなければ、歌う意味がない。

 

CAさんが取り上げ、断念してから14年。
雨森先生が心に刻み込まれたOMPさんの演奏から20年。

アウトサイダーがふたたび聴く人の心に刻み込まれる。
八村義夫が甦る。
そんな演奏を高松で聴くことができるのでしょうか。
期待したいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

続いては初出場の団体です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

8.愛媛県・四国支部代表

 

I.C.Chorale

(37名・初出場)

 

 

 

 

初出場おめでとうございます!

 

 

ぜん 「くちびるに歌を」。
   若者らしい歌でしたよ!


山本 四国に新しい混声合唱団が生まれたのは嬉しいな~。
   ぼくも四国の人間なので(笑)。

 

なんと今年の3月に結成された若い合唱団です。

 

演奏曲は

課題曲はG3 夜もすがら(千原英喜)

自由曲は混声合唱とピアノのための「くちびるに歌をより

「くちびるに歌を」(信長貴富)

 

指揮者の村上信介先生にお聞きしました。

「各曲の選曲理由は?」

 

 

 

 

◇課題曲
I.C.Choraleは、
今年3月に結成したばかりの赤ん坊団体でして、
合唱初心者や久しぶりに歌うというメンバーも数多くいました。

そのため、課題曲の選曲にあたっては
取っ掛かりやすい邦人作品を中心に考えてたこともあり、
課題曲はG3を選曲しました。
旋律自体はそれほど難しくなく、
いわゆる千原作品を歌ってみたいという団員の声もありましたので。

もちろん、旋律が難しくないから
この曲が簡単ということは全くないのですが、
初練習の時の合わせでいい音がなったことをきっかけに、
今後の活動に明るい展望が拓けた思い出があります。


◇自由曲
我々の創団のきっかけの1つは、
「歌いたい!」という強い思いを持った
若者たちが集まったということです。
それゆえ技術的には未熟な部分も多いものの、
その「歌に対する純な思い」を
ぶつけられるような曲を歌いたいという思いがありました。
そんな中、団長・副団長から
「『くちびるに歌を』やりません!?」という提案がありました。

ドイツ語によるロマンティックな音像、
力強くも繊細なピアノ、希望に満ち溢れたコラール、
約8分という演奏時間の中にドラマの移り変わりがあり、
感動的なエンディングを迎えます。
過去にいくつもの名演が生まれた
この曲を演奏をすることに躊躇もありましたが、

歌に対する思いをぶつけるには
これ以上の曲はないと思い、選曲するに至りました。

初めは、この曲自身の持つ希望や力を
どうやって引き出すべきか、
表現すべきかということばかりを考えていましたが、
練習を重ねるうちに、こう思うようになりました。
「このうた自身が持つ力強く感動的なエネルギーを、
 次世代を担う若者の声や姿で届けることこそが、
 何よりの"希望"になるのではないか」と。

少子化が進み、
天災などにも苛まれる今の世の中では、
「若者が希望そのもの」たり得ると考えています。
その意味で、この曲を若い世代の意志に乗せて
歌うということに対して深い意義を感じています。



  くちびるに歌を持て
  心に太陽を持て
  ひとのためにも言葉を持て
  そしてこう語りかけよう──
  嵐が吹こうと
  吹雪が来ようと
  地上が争いで満たされようと
  くちびるに歌を持て
  心に太陽を持て
  ひとのためにも言葉を持て



私自身、辛い時や苦しい時、
何度も何度も、この歌に救われました。
今度は私たち自身の演奏を通じて、
誰かに希望を与えることができればと思っています。

 

 

 

村上先生ありがとうございます。

コンクールでは忘れられがちですが

 「歌に対する純な思い」を
ぶつけられるような曲を歌いたいという思い

とても大切なことだと思います。


ここで村上先生へ思い出の名演奏をお聞きしました。

 


「思い出の全日本合唱コンクール名演奏:村上信介先生」


第58回全日本合唱コンクール全国大会、
中学校部門の郡山第二中学校の演奏は今でも忘れられません。
自分の合唱に対する世界観を大きく変えてくれました。

当時、私は中学生として全国大会に出場していましたが、
同世代がこんな音楽を出来るのか…
合唱とはここまで凄いものなのか…と
それはもう生まれて初めての衝撃でした。
いつだって自分たちが一番だと信じていた中学生が
「井の中の蛙だったんだなぁ」と思い知るには容易でした。
完璧に整えられたユニゾン、
重厚かつ美麗なハーモニー、
一切の破綻がない音楽、
どこを取っても今の自分にはないものばかり。
声も出ないほど圧倒されながら、
ただ拍手し続けたのを覚えています。

あの時受けた衝撃が、
それからの合唱活動のモチベーションになったと
実感しています。
自分たちも、あの演奏で受けたような
衝撃や感動を与えられるような演奏を
できるようになろうと。
気が付けば高校・大学・社会人と
合唱を続け早11年目。
一生離れられそうにないですね(笑)。

音楽に「正解」はないとは思いますが、
目標があるから頑張れる、というのは
どの世界でも一緒だと思います。

 



第58回、2005年広島での全国大会で
郡山第二中学校はシサスクとブストを演奏しています。
中学生ばなれ、なんて言葉では到底表現できない
堂々とした混声合唱です。

コンクールに限らず、
多感な時期に衝撃を受けるような演奏を聴くことは、
「この世界は自分が思うよりずっと広く果てがないんだ!」
そうして足を踏み出す強い力になるはずですね。


続けて
「この全国大会に対する意気込みは?」という問いには

 


まずは、この全国大会という舞台で
歌えることに感謝しています。
また、多くの聴衆の方々に
私たちの演奏を聴いていただけることも
嬉しく思っています。

I.C.Choraleにとっては、
この全国大会は結成して
まだ4回目という本番の舞台です。
このメンバーで歌えることの喜びを噛み締めつつ、
前述のとおり一人でも多くの方に
希望を与えるような演奏ができればと思います。

 

 

「聴く人に伝えたいことは?」


初出場ですので、
改めましてI.C.Choraleの成り立ちや
団名の由来などをご紹介したいと思います。

I.C.Choraleは松山市内の若者を中心に、
今年の3月に結成されたばかりの団体です。
前身団体とも言えるものは、
今年の声楽アンサンブルコンテスト
全国大会にも出場した
”Vocal Ensemble Enchante”という団体ですが、
そこから友人に声をかけたり、
あるいは「『くちびるに歌を』を歌いたい!」
と言って集まってくれたりといった具合で、
結成して1年にも満たないながら、
ありがたいことに約40人で活動をしています。

続けて団名の由来についてですが、
「I.C.Choraleの「IC」は
 集積回路の意味ですか?」
なんて質問も受けたりしていますが、
これは、"Independent of Conductor Chorale"
すなわち「指揮者に依存しない、
歌い手1人1人が主体的に音楽を奏でられる合唱団」を
目標として、その頭文字を取って命名されました。

・・・などというのは私の個人的かつ勝手な解釈でして、
実際のところは、愛媛=伊予の国の合唱団ということで
「Iyo Can Chorale(いよかんコラーレ)」という具合です。

それゆえ、略称(というか俗称)は
「いよコラ」となっています!
出来れば、皆さんにも
「いよコラ」と読んでいただけると
団員一同大変嬉しく思います!

また、いよコラの活動を通じて
「愛媛の、四国の合唱を盛り上げたい、
 変えていきたい!」という野望があります。

この全国大会をきっかけに、
一人でも多くの方に
いよコラのことを知っていただき、
応援していただければ幸いです。
どうぞ宜しくお願いします。

 

 


村上信介先生、ありがとうございました!





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四国大会の本番演奏後の写真だそうです。



村上先生は今年23歳。
混声合唱部門、さらに室内合唱部門を併せても
一番若い指揮者です。
若い指揮者、若い団員が、
未来への希望を込めて「くちびるに歌を」を歌う…

谷川俊太郎氏の「未来へ」という詩の一節を思い出します。


未だ来ないものを人は待ちながら創っていく
誰もきみに未来を贈ることはできない
何故ならきみが未来だから




I.C.Chorale、いよコラさんを応援しないわけにはいきません!
初出場、どうかすべてを出して、
聴く私たちに希望を伝えて欲しいと思います。


いよコラのみなさん、がんばれ!!

 

 

 

 

 

(明日に続きます)