九州大会感想 番外編

 

 

今回は各団体の感想では無く番外的なものを。

 

 

 

●審査員とプログラム

 


九州大会の審査員は5名。
敬称略でご紹介すると

陣内 直(指揮者) 
横山潤子(作曲家)
辻 裕久(声楽家) 
伊東恵司(合唱指揮者)
清水雅彦(合唱指揮者)

…と非常に豪華!
しかも北海道、関東、関西からお呼びして
九州在住の方はいらっしゃらないのでは?

さらに九州大会はプログラム(200円)も凄く立派!
出場全団体のプロフィールまであるプログラムなんて
この支部だけでは?

 

 

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●課題曲の重要性

 

これは他の方も仰っていることですが
やはり上位の団体は課題曲をしっかり演奏されているなと。

G1のパレストリーナが
ソプラノばかり主張(そもそも他のパート聴いてる?)、
個々人の主張が無く指揮者の振る音楽だけ、
というのはやはりいただけない。
「言うは易く行うは難し」なんでしょうが、
「課せられた」曲、ではなく、
自由曲と同じくらい魅力が伝わる演奏だったら…。





●指揮者がいる意味、いない意味


指揮者がいらっしゃらなくても
素敵な演奏をされる団体がいくつもありました。

しかし、指揮者がいない演奏にはどういう利点があるのか?


過去の自分の記事から引くと

 


この団体で考えてしまったのは「指揮者なし」には
どういう利点があるのか、また短所はなにか?ということ。
個々人の自発的な表現や
指揮に頼らない細かなテンポ感、アンサンブルなどは
指揮者がいないことで得られる、
または目標としたいところでしょう。
しかし、音量バランスやテンションの加減、
1曲の構成、統一された技巧的な表現は
指揮者の存在、少なくともある程度は歌い手から離れて
指導する人間が必要なのではないでしょうか。

 

 

そう、この「テンションの加減」が
気になる団体が多かったような。
フレーズや音楽の頂点へ向かうところで
指揮者無しで「聴き合う」ことによって
ドライブ感、推進力を失った演奏がありました。

加えて、指揮者無しで「聴き合う」ことによって
表現が内向きになった演奏も。


指揮者がいないことで得られる利点はたくさんありますが
その反面失っているものもあるはず。

最終的に指揮者がいない演奏を目指すとしても、
その過程では録音や、
歌わずに演奏を客観的に聴く人を置き、
演奏で失われるものを最小限にして欲しいと願います。




さて、「順位では無く点数による審査方式」にも
いろいろ思うところはあるのですが、
かなり長くなってしまうのでまた数日後に・・・。

 

(つづきます)