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弥生奏幻舎"R"創立20周年記念演奏会感想

 

 

 

 

札幌特有の7月の透明な夏の光の下、
ポプラの白い綿毛が飛んでいる。
北24条駅から近い札幌サンプラザホール。

2016年7月16日(土曜日)18:30開演。

今年で創立20周年となる弥生奏幻舎"R"の5年半ぶりの演奏会だ。
暗闇の中、ステージの背景には
どこか違う星を思わせる映像が映し出され。
鋭い鐘の音が大きく響くと、ステージが真白に輝き。
照らし出されたR舎員たちはその光に対抗するよう
ホールいっぱいに大きく力強く声を鳴らしていく。

オールバン「昼となく、夜となく」による
演奏会のオープニングだ。

ソプラノ4名、アルト7名、テナー2名、バス4名。
そして指揮者の松岡直記氏。
創立20周年ということで
代表の小嶋隆史氏がマイクを取り
創立の1996年に流行した事柄で
たまごっちやルーズソックスを挙げる。
この後も、松岡氏が適宜マイクを取り
曲の解説を行っていた。

 


第1ステージは「めでたし海の星よ」と題された
前期ルネサンス・ポリフォニーの世界。


オケゲム「Kyrie」は個人個人の自発性により
フレーズの中のリズミカルな部分が輝く。

最初の2曲から今まで聴いたRの演奏より
豊かに響いていることに気付いた。
それは北海道大学合唱団を指揮していた
尾崎あかり先生のヴォイストレーニングが
功を奏したのかもしれないし、
3年前のTHE THREEやコンクール全国大会のホールよりも
このサンプラザホールが
Rにはふさわしい大きさだからかもしれない。


デュファイ「Ave maris stella」
グレゴリオ聖歌の節回しの美しさ。
そしてハーモニーに移り、力強く広がる声のイメージ。
最後のグレゴリオ聖歌は内に沈む祈りを感じさせ、
Amenまで集中して聴くことができた。

このステージ最後のジョスカン・デ・プレ
「Salve Regina」
各パートから湧き上がる声!
軽やかなリズムの入れ子。
フレーズが繰り返されるたびに喜びは広がり、
高みへ、高みへ、光を掴むように。
この曲の演奏が一番良かった!


15世紀の作品を揃えたステージだったが
ある合唱指揮者の
「古典は昨日作曲されたかのように演奏すべきだ」
という言葉を思い出す。

まさに昨日作曲されたように
同時代の自分たちの音楽として歌われた曲ばかり。




第2ステージは
「来たれ聖霊よ」と題された現代宗教曲選のステージ。

スウェーデンのサムエルソン、
ノルウェーのウーデゴール、
オーストリアのヘルツォーク、
キューバのアルバレス、
ヴェネズエラのカリージョ…と
作曲者も国もまったくバラバラな20世紀の作曲家たち。
どこから見つけたんだろう?と感心してしまう。

どの曲も音楽上の工夫があり、個性豊か。
3曲目に演奏されたヘルツォーク
「Kyrie」はミニマルミュージック風に
8分の5拍子で繰り返されるフレーズと、
4分の3拍子でゆったり歌われるフレーズが
同時に演奏されるリズム的な対比の面白さ。
哀切なソプラノソロも入り、ドラマティック!

4曲目に演奏された
アルバレス「Lacrimosa」
ステージ前方に集まったオーソドックスな男声合唱と
後方の特徴ある土俗的な女声合唱とのコントラスト。
ヨルバ教(西アフリカの土着宗教)だそうで
男声へのスポットライトから全体へと変化する
照明の効果も相まってインパクト抜群な演奏だった。

そしてこのステージで一番良かったのは
最後に演奏された
カリージョ「Salve Regina」。
ホモフォニックで歌われるフレーズが実に美しい。
プーランクのような神秘性、ブストのような美しさもあり
思い入れたっぷりに歌い上げられたラストは圧倒的。

プログラムでは
「恐らく今後、混声合唱の重要なレパートリーになると予想」
「現代作品でありながら既に古典(マスターピース)の風格と
品を湛えた、傑作です」と記されていたが、
それも同意できる作品だった。



12分の休憩後、第3ステージは
「病めるは晝の月」と題された
明治・大正期文学作品による邦人合唱曲集。

 


”多くの人間が声を合わせて唱えるのに相応しいか”という
精神的(政治的?)問題や、
”視覚(文字)でなく聴覚(音声)でも
言葉が認識できるか”という点を踏まえると、
合唱曲に使われるテキストは必然的に、
平坦な語り口と穏健なテーマの同時代詩が多くなります。
そこで今回のステージでは、敢えて逆に時代を遡った
古いテキストの合唱曲を特集しました。


(プログラムから抜粋)

 


そのように同時代性、穏健なテーマとは
異なるテキストに作曲された作品のステージ…なのだが、
私は評価が少し辛くなってしまう。

というのはRの主に発声面の問題によるものだ。
個々人の自発性あふれる歌唱は素晴らしい。
しかし、パート内で発声、響きを揃えるとなると
その自発性が邪魔をする部分がある。
さらにR内での実力差により、
ディヴィジョンが多い箇所になると表現が薄くなる。
加えて、私が作曲家の作品を知っている場合、
どうしても理想の音像を重ね合わせてしまうのもあるだろうし、
日本語という言葉がラテン語よりも
響きにくい理由があるかもしれない。


そういうわけで最初の「蛍に…」
(詩:北原白秋、曲:萩原英彦)
フランス音楽風の軽やかさ明るさを
指向しているのはよくわかったが、
より統一された響きによる萩原作品の音像を追及して欲しい。

3曲目の委嘱初演作品
女声合唱のための無伴奏曲「みな去る」
(詩:室生犀星、曲:五十嵐彩香)
オーダーメイドと呼ぶほど
R女声陣に合わせた曲なのは理解できたが、
縦のハーモニーや主旋律と他のアンバランスさが気になる。
詩の持つ寂しさや抒情性などは伝わってきたのだが…。

最後の「葬り火(はふりび)」
(短歌:斎藤茂吉、曲:西村朗)
弱音に声楽としての強度と美しさがあれば
演奏へさらに陰影が加わったと思う。
それでも高音域の続く演奏の困難なこの作品を
ずっとテンション高く歌い切ったのは賞賛に値する。

気に入ったのは2曲目の
混声合唱のための「風景」よりIII
(詩:山村暮鳥、曲:中西覚)
不穏な導入部で開始されたあと、
有名な「いちめんのなのはな」が
詩と同じように繰り返され、
音から風景が見えるよう。
その音響空間を堪能した。

日本語の発語の繊細さに光るものがあったり、
今と異なる時代、過激なテーマのテキストには
非常に興味があるので、
ぜひまたRの日本語の作品を聴いてみたい。



最後のステージは
「うそつきぃ!」と題された世界の現代世俗作品より。

このステージからRの本領発揮!
…と感じられた方も多かったのでは。

はじまりの「CHUA-AY(米搗き唄)」というフィリピン民謡は
民謡的な発声でのリズミカルな歌がまず楽しい。
中間部の美しいヴォカリーズを経て、
あとは足踏み、手拍子、ボディパーカッションと
最後まで一気に盛り上げる! キメのポーズもさすが!

続いての「Silent Love」(ヴァヴェル作曲)
美しいソプラノソロが雰囲気を変える。
松岡氏のロマンがあふれた演奏。

現代作曲家ジョン・ケージの「Story」
「Living Room Music(居間の音楽)」の中の1曲で
他の曲は題名にあるように
居間に置いてある日用品を使って演奏するが
この曲は声だけを使う作品。
いわゆる「speaking chorus」?
「once upon a time」の語句がリズムに乗り
さまざまに変化し、口笛、息の音が絡んでいく大変面白い作品。
舎員の演技にも感嘆!

松下耕先生編曲の「落水天(雨の降る日)」
台湾客家民謡。
一列となり、声の織り成す美しさと抒情をストレートに。

このステージ最後は「El Guayaboso(うそつき)」。
キューバの作曲家ロペス・ガヴィランの作品で
「ナイフの上で、ズボンを履いた蚊とシャツを着た蠅が
ワルツを踊っているのを見たぜ!」といったホラ話。

「生を謳歌する情熱と楽しさに満ちた、
 私たちの大好きなナンバーです」

言葉通り、楽しさが直に伝わってくるよう。
キューバの楽しいリズム、さあ祭りだ!そんな空気を充溢させ
うねりを持って熱く、熱く、動きを伴い歌い上げた!

うん! カッコいいぜ、R!!

 


アンコールは
94年の第1回札幌ヴォーカルアンサンブルコンテストでの
グループがRの前身?だとか。
「そこで高評価を得て調子に乗って今に至ります(笑)」とは
指揮者:松岡氏の弁。
その時演奏された、モンティヴェルディの「私は若い娘」
生き生きと躍動感あふれる演奏で。


アンコール2曲目の前に何人かの舎員が退場したのに疑問を持つ。
やがてかすかに聞こえる金属音のような…。
突如暗転し、オープニングと同じように
ステージ背後へ満天の星空の映像が映し出される。

退場した舎員は水を満たしたワイングラスを持って再入場。
金属音と思った音はグラスハープ。
そう、ラトヴィアの作曲家エセンヴァルズの「Stars」だ。
この曲を最後に演奏するとは!

驚きながら、変化する星空の映像と
グラスハープと声の夢幻に魅了されているうちに演奏は終わり、
大きな拍手の中、幕は閉まった。

 

 

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演奏会を振り返り、まず、これだけの幅広い選曲。
現代合唱作品だけならまだわかるが、
邦人作曲家の中西覚氏や
現代作曲家のジョン・ケージの作品まで取り上げる、
アンテナの高さに驚く。
さらにそれらの曲、前期ルネサンス・ポリフォニーから
邦人作品、民謡の編曲や海外の現代宗教作品まで、
技巧による演奏の出来不出来はあれど、
1曲たりとも気が入っていない演奏は無い。
すべて自分たちの曲として心から熱く歌っている。
合唱、いや、人の声の深さと広さ、可能性を
渾身の力で「どうだ!」と問いかけられたような演奏会。


さらにステージングの素晴らしさ。
演奏の響きや演出のため、
1曲ごとに立ち位置、並びを変えていたのだが
それが実になめらかで漫然とすることが無い。
「隣が動くのをじっと見て待っているのって嫌なんですよね」
…とはある舎員の話。
照明、演出、曲に合わせた動き、曲間のMCなども
飽きさせない。
指揮者の松岡氏、代表の小嶋氏ともに
合唱だけでは無く、
現代のポップスに深く通じているからではあるが。

「デートに連れてきた
 合唱に興味の無い彼女が飽きないような、
 そんな合唱の演奏会にしたい」と代表の小嶋氏。

おそらくその目的は果たされたのではないか。
こういう形式の演奏会をする理由として小嶋氏打ち上げでの
「だって俺たちPerfumeと同じ時代に生きてるんだぜ?!」
とともに思い出す。



前述のように発声面や音程で難しい部分はあるが、
それを補って余りあるRの音。
つまりRでしか出し得ない
オリジナルの音、その空気、その存在が
伊東恵司さんや松下耕先生主宰の
本州のイヴェントに呼ばれ、
青森、仙台、東京、筑波、鳥取、岡山、福岡、
はては沖縄からまで
多くの合唱ファンがこの日の演奏会のために
札幌まで駆けつける理由となってしまうのだ。


松下耕先生が寄稿された文章のように
Rの始まりからその団名や演奏スタイルを
揶揄する人も少なくなかった。
創団当時、「Rって面白いな!」と言う私に
「あんな団体、花火みたいにすぐ消えるよ」
と悪しざまに言う人もいた。

オリジナルであること、そしてオリジナルであり続けること…。
「自分たちだけの音」を夢見る人は多いが、
それを長年貫ける人は、団体は、少ない。
20年間オリジナルを貫く、何がRにあったのだろうか?

それは、プログラムはもちろん、
ステージに上っている舎員ひとりひとり、
それぞれの全力疾走とも言うべき姿から明らかだろう。


R演奏会前に、たまたまこんな文章を目にした。

「伝統とは、灰を崇拝することではなく、燃え盛る火を守ることだ」
作曲家マーラーの言葉。

 


かつて「すぐ消える一瞬の花火」と嗤われたその人たちは、
絶えず、絶えず燃え続け、遂に多くの人の心を灯す大きな炎となった。

 

 


弥生奏幻舎"R"、創立20周年本当におめでとう!

 

 

 

 

 

 

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(おわり)