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立花隆「武満徹・音楽創造への旅」

 

 

 

 

立花隆「武満徹・音楽創造への旅 」を読みました。

武満徹・音楽創造への旅

武満徹・音楽創造への旅

 

 


とても内容が濃く深い上に781ページの厚さがあるので
この夏少しずつ読んでいました。



立花隆氏が武満氏の音楽のファンであったので、
武満氏への膨大なインタビューはもとより
周囲の人物への聴き取りも幅広く、
「日本、いや世界における現代音楽の黎明と発展史」
のようにも読める本です。


 



最初の50ページほどで心のメモの許容量がいっぱいになるほど。
ストラヴィンスキーが武満の音楽を表して有名な
「この音楽は実にきびしい」。
違和感を持った立花氏が調べた、
この「きびしい」の元は「intense」という言葉であった、とか。

戦時中、半地下壕の蓄音機で聴き、
音楽家として生きることを決意させた1曲のシャンソン。
このエピソードはとても素晴らしい。

「彼はうつむきながらなにかを語り、
 一枚のレコードをかけた。
 それは、私にとってひとつの決定的な出会いであった。
 その時、私の心は他の学生たちとおなじように、
 おおうことのできない空洞であり、
 ただその歌がしみこむにまかせていた。(中略)
 私はそれと出会ったことで、
 もう昨日の私ではなかったし、
 その歌もすがたを変えてしまったのだ」 


有名な「ピアノのある家へ訪れ『弾かせてください』と請う話」など
始まりから実に読ませます!



そして、武満氏の知性の豊かさ。
探偵小説に造詣が深く(自分でも執筆している)
詩にも批評眼があり、美術評論にも明るい。
(ルドンやパウル・クレーの作品から
 イメージを想起されたこともあるそう)
早坂文雄、清瀬康二などの作曲家だけでは無く
瀧口修造、大岡信、谷川俊太郎などの交流も描かれている。

他に、湯浅譲二、秋山邦晴などが参加していた
芸術家集団「実験工房」での音楽と美術を結び付ける試みなど
日本の若き芸術家たちの黎明期を見るよう。





こういう文化的に感心することばかりではなく、
笑っちゃうようなエピソードも満載。
武満氏は非常に多くの映画音楽を手掛けたことでも有名ですが
黒澤明監督との仕事ではこんな話も。



 

それで武満氏は食事の時に黒澤氏をつかまえ、
ちゃんと話し合いましょうと言うと黒澤氏は
「うん、いや、きみの音楽、悪くはないんだけど…」
と要領の得ないことを言い、
じゃあいいのかと引き下がると、
またドアの下から紙が…だったらしい(笑)。

黒澤明氏は各映画で、
テーマ音楽にクラシックの名曲を元に映像を作り
(「乱」はマーラー「大地の歌」「巨人」)
スタッフに徹底させるそう。
もちろん音楽担当の武満氏にもその徹底は及び。

「どですかでん」ではビゼーの「アルルの女」を使い。
その映像を観た武満氏が、
こんなに音楽と映像が合っているんだから
(新しく作曲などさせずに)
「アルルの女」をそのまま使えばいいじゃないですか!
と言うと黒澤氏
「バカいっちゃいけない。これを越えてもらいたいんだ」

・・・武満氏の嘆きが聞こえてくるようである(笑)。


他にもジョン・ケージと親交が深かった武満氏。
27「ジョン・ケージ・ショック」では
ケージの有名な「4分33秒」に触れ、
その後に若い前衛音楽家による
似たような作品が書かれるのだが、
これがもう笑ってしまう作品ばかり!

ラ・モンテ・ヤング「コンポジション1960、第5番」は
「一匹あるいは数匹の蝶を会場に放ち、
 会場の窓を開けておいて、
 蝶が外に出ていったら演奏終了」とか。(…詩的?)
ロバート・ワッツ「チューバ二重奏」では
ふたつのチューバが用意され、
一方にはコーヒーが注ぎ入れられ、
もう一方にはクリームが入れられたという。
入れる時のチューバ奏者の哀しみを想像すると…。

これはほんの一例なので、
もっと知りたくなった人はぜひ本文を!


安保闘争時に音楽家はどういう立場にあるべきか?
と武満氏だけではなく、
湯浅譲二や松平頼暁などの当時の考えが知れて興味深い。
高橋悠治氏との政治的対立も。

東京カンタートの「三善晃の伝言」から、
音楽と政治との関わりについて考えていただけに、
当時の作曲家の考えを知れたのは良かった。
そうそう、武満作曲の
「死んだ男の残したものは」は
反安保集会のために作られたもので、
谷川俊太郎が詩を持ってきた
翌日か翌々日の本番のために急いで作曲されたとか。


音楽まわりでは50年以上前の現代音楽のステージで、
観客席から上がってきた男と
あの皆川達夫氏が取っ組み合いのケンカをして、
観客席の床に落ち、それでもまだ止めなかったとか(笑)。

「ノヴェンバー・ステップス」、
初演時のリハーサルで琵琶と尺八の奏者が演奏を始めると、
その途端にニューヨーク・フィルの多くの音楽家たちが笑い出し、
ステージを駆け下りて笑い出す人もいて
リハーサルが中断してしまったとか。



まあ、ジョン・ケージ「4分33秒」にしても
音楽の基本的骨格をなしていると考えられてきた
構成要素を破壊していくものであり、
武満氏の音楽も12音からセリー、
ミュージック・コンクレート、調性引力表、
ラッセルのリディア概念、クセナキスの推計学的音楽…等々。
さまざまな音楽的思想に影響され、
試行錯誤し、自身の作風を確立させていったのがわかります。




19「ソン・カリグラフィと村上華岳」より

(前略)ぼくは書こうと思えば、
自分でもいやになるくらい甘美な音楽を書くことができるんです。
実際、映画音楽の中には、そういう曲がありますよ。
だけどぼくはいつもそういう甘さの中に
自分が溺れてしまうことを警戒しているんです。
陶酔的な響きは作りたいけど、
自己陶酔はしたくない。
だからいつも『もっともっと厳しい音楽を書かなければ』と
自分で自分に言い聞かせながら書いているんです。(中略)

”もっと厳しい音楽”というのは、
もう少し具体的にいうとどういうことですか。

「具体的なイメージでいうと、
そのころ考えていたのは、
ウェーベルンやヴァレーズの音楽ですね。
特にウェーベルンかな。
彼のように、できるだけ少い音で自分の言いたいことを
表現するべきだと思っていました。
こうすればわかりやすくなる、
こうすればもっと面白くなって、
評判がいい作品ができるとわかっていても、
余分なことはいっさいいわないほうがいいと思ってました。
一般にわかりやすくするためには、
繰り返せばいいんです。
しかし、繰り返しは余計なおしゃべりだから、
あまりすべきではないと思っていました」


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18年の歳月と100時間に及ぶインタビューによって
作られた大著。
ひとりの天才作曲家の内宇宙の豊かさと広がり。
そして、その人を取り巻く人間と世界の深さについて
さまざまに考えてしまう本です。