合唱団訪問記:中締め

 

 

 

この回は訪問記ではなく、
訪問記への意見などをふまえた中締めとなっています。
合唱団の訪問記では無いので再掲載を止めようかと考えたのですが
読み直すと、意外と現在の自分の書く動機にも
通じるものがありました。

相変わらず空回りする熱さが鬱陶しいですが、
これもまた自分ということで。


(HP公開日:2002.1.28)

 

 

 

 

 

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 まだこのコンテンツは終わりませんが。
 一度、なぜこの内容が出来たのか、
 なぜこの「合唱団訪問記」を書くのか、と言うことを
書いておこうと思いました。

 長い文章ですが、読んで下さると幸いです。


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 産まれてから、つい数年前まで札幌にいた。

 札幌にいた当時は、いわゆる「カリスマ」指揮者や
コンクール全国大会常連の合唱団とはあまり縁がなかった。

 周囲の反応も、そういうカリスマ指揮者に対しては
否定的、というか。
(「月に1度、指揮者が練習に来る程度で、
 合唱団員との心のつながった練習は出来るわけない!」…とか)

 合唱団自体に対しても、
 「お金いっぱいかけて、有名指揮者やヴォイストレーナーの先生を
雇ってるんだから、上手いのは当然」
 「合唱団員の中に、音大卒の人が多いんだよ」
 ・・・と訳知り顔で言う人もいた。

 そして否定的でなくても、
 「自分たちの合唱団とは世界が違うんだよ!」…と
全く“別のもの”として、考えている人が多かった。

 ・・・自分たちとは、違う、ということか?

 聞いていると。それらの合唱団の“素晴らしさ”は
まるで天から降ってきたようで、それぞれの合唱団が
自分たちの手で造り上げてきたように、感じていないようだった。


 そうなのかな、そうなのかなあ、と
 ずーっと長い間疑問に思ってきたのだ。

 それではあまりにも、理解しよう、分かろうとせずに
ただ「箱にしまってしまう」行為だと思っていた。


 それから名古屋に渡り、「合唱団ノース・エコー」を経て
さらに宇都宮に越して、「宇都宮室内合唱団ジンガメル」さんを
見学させていただいたとき、疑問が氷解するのを感じた。

 確かにお金の面等はあるかも知れない。
 しかし、その演奏、合唱団自体の「素晴らしさ」は
決して天から降ってきたものなどではなく、実際に
「素晴らしい練習」をしているからだ。

 結果だけがあるのではなく、ちゃんと「理由」があるのだ!
 ・・・と言うことを肌で感じた。感じ入った。感動した。


 そのころは勤務時間の都合で、どの合唱団にも満足に
練習に行けない状態になってしまった私は、そこで決意する。

 「ようし、満足に歌えないにしても1回ほど『見学』するのは可能だ。
  “素晴らしい“と思った合唱団の“素晴らしさの理由“を
  しっかり見てこよう!」

 そして「CANTUS ANIMAE」さん、「合唱団MIWO」さん、
などと見学が続いていく。


 どの合唱団も予想以上、というか、その個性と素晴らしさに
圧倒された、と言っていい。
 本当に毎回、驚きの連続であった。
 私の拙い文章では到底表現し切れていない事が多すぎる。
 この「合唱団訪問記」で各合唱団に興味を持たれた方は
是非とも見学に行ってみて欲しい。
(もちろん先方の了解を取ってから、だが)


 各合唱団を見学させて頂いて気づいたのは。
 いわゆる「カリスマ指揮者」を常任指揮者とされている合唱団が
多かったのだが、団員の方の様子や、お話をお聞きしてみると。

 見学前に予想していた指揮者の方に団員が強引に

 「引きずられている!」

 ・・・という印象よりは。


 指揮者の方と

 「同じ方向を向いている!!」

という印象が正しいような気がした。

 指揮者が望む音楽を最大限活かす努力をしている、というか。
 団員が望む音楽と指揮者の望む音楽が重なっている、というか。

 そして、さらに意外だったのは練習の雰囲気が
とても良いところがほとんどだったこと。

 単に明るい、とか笑いが多い、というだけではなく、
決して練習が単調にならず、指揮者の方はもちろん団員の方も
積極的に雰囲気作り、練習がスムーズに進むように
意識している所が多かった。


 尊敬する指揮者:田中信昭先生のお言葉で

 「悪い合唱団は存在しない。
  悪い指揮者がいるだけだ」

 ・・・という名言があるが。

 もちろんその言葉に納得する気持ちもあるし、指揮者自身がその言葉を
胸にして行動するのは大切であろう。

 しかし「良い演奏をする良い合唱団」には
「良い指揮者」と同時に
「良い合唱団員」が必ず存在している、
というのが私の結論だ。


 「1回見学に行っただけで何が分かる?!」
 ・・・というご批判もいただいた。
 確かに、その通りかも知れない。

 しかし未熟な私の体験談から言わせて頂くと
札幌にいる時、創立当初からブランクを数年挟んで
5年以上在籍していた合唱団があるのだが。
 在籍していた当時、外部の人に
 「今いる合唱団って、どんな団?」と改めて聞かれたとしたら、
うーむ、と唸ってしまった事だろう。

 「混声で、人数が○○人で・・・」と、新入団員でも
言えそうなことを言ってしまうような気がする。
 深いことを言おうとすると、必ずその裏の面までを考え、
口が重くなってしまう。
 自信を持って、断定的に言えるのは、やはり新入団員でも
言えるような、本当に客観的な言葉だけ、となってしまう。

 さらに2001年度の全日本のコンクールで、約2年半在籍していた
 「合唱団ノース・エコー」の演奏を聴き、感想を書いたのだが、
その時は、結構厳しい評価になってしまった。
 それ自体はまあいいとしても。

 その「厳しい評価」が妥当なものか、自分では分からなくなってしまったのだ。

 2年半いて、育ててきたノースへのイメージの高さや
「思い入れ」のために厳しかったのだろうか?
 それとも、(ナンセンスな仮定だが)ノースに在籍していなかったとしても
同じような評価だったのだろうか?

 ・・・分からなかったのだ。


 物差し、は自分自身の長さを測れないように、
「自分の在籍している合唱団」が「基準そのもの」になってしまい、
その基準そのものを客観的に評価しようとすると、
「う~む」と悩んでしまうことは、他の人にも多い事と思う。


 もちろん長く在籍している人の、その合唱団に対する発言は
重みがあり、深いことが多い。
 しかし、私自身長く在籍している合唱団でも、
入団したての新入団員の言葉に、
見過ごしてきたり、当然、と思っていた事を指摘されて
「ハッ」…とさせられることも多かった。


 1回見学しただけの私の視点は、長く在籍されている方からすると、
確かに浅いかも知れない。

 しかし、浅くても、それはまた、違った角度での
それはそれで確かな現実からの「印象」である。
 長く在籍された方だけの印象 “だけ” が
「正しい」と言うわけではない、と私は思っている。

 (念のために。この「合唱団訪問記」の文章はHP上に
  UPする前に、必ず見学先の合唱団の方のチェックを受け、
  了解を得られた上でUPするようにしています)


 話がかなり長くなってしまった。

 好きな小説の話で(その話は落語家が主人公なのだが)

 「噺に手を抜くことは出来ない。
  なぜなら、現在の自分の噺を聞いているのは
  落語を聞き、そして落語に憧れ、落語家を目指した
  過去の自分自身だから」

 ・・・という趣旨の言葉があった。

 その言葉をしっかり受けとめるとするなら。
 この「合唱団訪問記」は見学先の合唱団ではなく、
誰よりも、札幌にいた時の自分自身に捧げたいと思う。

 さまざまな合唱に憧れ、その素晴らしさを、本質をなんとかして知りたい、と
思っていたあの時の自分に。

 そして、その同じ思いを抱いている限り、
この文章を読んで下さる方が

 あなたがどこにいても

 あなたが男性でも女性でも

 あなたが若くても、ちょっとお年を重ねられていても

 ・・・あの時の自分と同じだと、勝手に私は思っている。


 世界は様々な、そして美しい歌の響きに満ちている。
 「合唱団訪問記」を始めて、それが実感できるようになった。

 さらに過去の自分に言うならば、
 「あなたが今いる合唱団にも素晴らしい、輝くものはあるんだよ」
 と言いたいのだ。

 それは私が在籍していた合唱団に限ったことではない。
 その素晴らしさが微かで、輝きが、今はわずかだとしても
“あなた”がいる合唱団に、それは存在している。確かに。


 ここに載せてあるのは、現在、まぶしいほどに
光り輝いている合唱団ばかりだが、
その輝きはどの合唱団にも無関係ではなく、どこかに
通じているものだと私は思っている。



 この「合唱団訪問記」が、少しでも“あなた”の合唱団の
輝きが増す力となりますように。


 文吾  記