合唱団訪問記:雨森文也先生へのインタビューその3

 

 

合唱団訪問記の再掲。

第3回は雨森先生が合唱を始めてから
現在に繋がるものとは?

(文豪の部屋HP掲載時 2002.4.23)

 

 

 

 

 

合唱団訪問記

 

第23話

 

 

雨森先生の根底に流れるもの。

 


 

「合唱団訪問記」

 

 『雨森先生へのインタビュー』

 

その3

 



<合唱団MIWO誕生エピソード>


雨森先生「大学の合唱団を辞めてから
     一週間ほどたった日かなあ。
     3つか4つ下の高校の後輩から電話がかかってきて。

     『高校の合唱部のOBと話をしていて。
      もう一度、僕の指揮で歌いたい、と。
      そういう合唱団を作ったら、振りに来てもらえますか…?』
     ・・・という電話があったんだよ。

      僕は『いいよ』と言って。
      その時、三十数人集まってたのかなあ。

      それでできたのが『MIWO』なんだね」

文吾  「あ。そうなんですか~!」

雨森先生「それでその時、最初に言ったのが。

     『高校の同窓会の仲良し合唱団にするなら僕は行かないよ。
      やるからには、自分たちはアマチュアだけれども
      上を向いて、合唱で最高のものを目指そう。

      最初は高校のOB合唱団で良いけれど、
      OBで固まらずに、一般に門戸を開放して
      自分たちと思いを一緒にしてやる人を
      受け入れる、という態勢ならやるよ』って」

文吾  「はあ~!」

雨森先生「そうしたらね。
     やっぱり『イヤだ!』『それなら辞める!』
     …とか言う人間がいっぱいいて。
     せっかく立ち上げた合唱団が潰れそうになったから。

     『それなら最初の1年はOBだけでやろう』…と。

     でも2年目から一般に門戸を開放したら
     ・・・だいぶ辞めたかなあ・・・」

文吾  「やっぱりOB合唱団じゃないと辞めちゃうんですねえ…」

雨森先生「でもその代わりに、やる気のある人が入ってくれたんだね。

    僕のことを、高校生のときから見ていた人が何人もいて。
    『高校生が指揮して、活動してる合唱団がある!』ってね。

    それに『ぷちッ』ときて辞めた
    名古屋大の某合唱団の中でも、
    僕に賛同してくれる人はいたわけ。
    『雨森が振るなら、やりたい』…と。

    それでMIWOも5年目には高校のOBも半分以下になり。
    3分の1ぐらいが名古屋大の某合唱団のOBになって。
    残りが一般から入ってくれた人の、
    普通の一般合唱団の団体になったんだね。

    まあ長くなったけど、これが合唱にたどりついたいきさつ、かな」

文吾  「(つぶやいて)炎のようだ…」


<雨森先生の“座右の銘”は?>


雨森先生「やっぱりね、根底に流れていたのは小学校の時の
     『巨人の星』ですよ」

文吾  (笑)。

雨森先生「親父にとことん叩きこまれてね。
     ピアノを練習していて弾けない所があると
     『そこだけを100回でも200回でも
     練習して弾けるようになれ!』

     ・・・で、弾けるようになったら
     『前から通して詰まらずに100回でも200回でも
      弾けるようになれ!』
     『音楽というのはそこまでやらなければ極めることができない。
      どんな名ピアニストでもそういう練習をしてるんだ!』

     …そういう練習を小学生のときに叩きこまれてたから。

     『音楽というものはいい加減にやっちゃいけない!』
     …というのがあって」

 ・ ・ ・ 一同 沈黙のあと。

「…み、耳が痛い」という団員さんの声が…(笑)。

文吾  「先生、私なんかもその、大変、耳が痛いお話なんですが~(苦笑)」

(他の団員さんから『先生の“座右の銘”は?』との声が。
 『臥薪嘗胆?』とか『合唱命?』など聞いていると)

雨森先生「ま、敢えて言えば
     『根性』、だね」

一同  「『根性』!!」

 しばらく「『座右の銘』は“ざうのめい”って読むんだよ」
 「へー」など、団員さんの雑談の後。

雨森先生「…あとね」

文吾  「ハイッ!」(一同耳を傾ける)

雨森先生「現在につながっているとしたら、高校のときに。

     自分はピアノと管楽器しかやっていなくて
     発声も、指揮法のこともなーんも知らない。

     だけど部活で一生懸命やろう。
     あそこの高校に勝ちたい、とか
     コンクールに出るときに。
     相手の高校は音楽の先生が
     指導しているんだよね、みんな。
     …それなら知識とか技術では、かなうわけもなくて。

     でも、いつも思っていたのは。
     『音楽が好きだ!』
     『一生懸命やりたい!』
     ・・・そういう気持ちなら
     絶対負けるはずが無いと思ったわけ」


文吾  「・・・・」

雨森先生「だから高校の練習のときに、
     最初から、いつもみんなに言ってたのは。

     『オレも中途半端で、勉強中だし、
      全然分からないことばっかりだけど。

      でも一生懸命やろう!とする気持ち。
      音楽がこんなに好きなんだ!という気持ちを
      ステージの上でお客さんにアピールすること。
      それだけなら絶対できるだろう?』って。

      ・・・それが、現在にも、
      ひょっとしたらつながっているのかも。

      いや、今も、何も変わって無いのかもしれないな・・・」

文吾  「・・・・」



 ちょっと先生のお話を聞きながら感じ入ってしまった文吾でした。


 インタビューが終わった後、
 先生と駅まで歩いた時に。
 「音楽がこんなに好き」、という言葉を受けて。

 雨森先生「だから、練習は『来て良かった!』
     …と団員が思うようなものに、したいんだよね」

 とおっしゃられていたのが、印象的でした。
 あの高井戸駅での会話は忘れられません。
 (録音しておけば良かった!)


 その4では雨森先生の音楽観やコンクールについて、などを
お聞きする予定です。


 

(その4へ続きます)