2007年聴いた演奏を振り返る その2

 長くなったのでプロムジカ女声合唱団の感想を
こちらへ移しました。


 <7月>
 プロムジカ女声合唱団による合唱講習会及び演奏会
 7月7日(土) 
 松山・松前総合文化センター広域学習ホール


 わー、この感想を書かなかったのはもったいなかったなあ・・・。
 振り返ってみると次の週に4年ぶりに帰郷したことで
書く機会を逃してしまったような。


 で、いま改めて感想を書こうと思ったら・・・メモが残ってない!


 見つかったらもっと詳細な感想を書けるかもしれないけれど。
 とりあえず今回は簡単なメモのようなものを。


 ●サボー先生の指揮


 講習会では日本人の才能ある方が指揮をしていたんだけど、
その方と比べて、
日本人はフレーズごとに指揮を収めてしまう傾向があるが、
サボー先生は体が常に“起きて”いて、
結果、大きく長い音楽になっていたような。


 リズムもやはりサボー先生が振ると、
リズミカルにダイナミックになった気がするが・・・
指揮にこれといって違いは見つからなかったので
私の思い込みのせいかもしれぬ。



 ●歌い手個々人の空間と響き


 歌うときに隣り合う人との距離。
 「私も始めはこうしていた」として、
密集させた状態でプロムジカを歌わせると
・・・これが笑っちゃうほど平べったく浅く、
ある意味、よく聴く日本の合唱の響きに似ていて。


 「歌い手は密集したこの状態のほうが安心するが、
  指揮のこちらは安心できない」・・・みたいな。


 1メートル弱ぐらいに各々を離して歌わせると、
おー、この広がりと響き、『プロムジカ』だ!


 「自分と隣り合う人との空間、“円”を意識すること」
 というような事を言っていたかなあ。


 実際、会場内に散らばって歌う
プロムジカの団員さんに注目すると、
常に安定した状態で歌っているのは凄いけど、
あの素晴らしい響きから想像されるほど、個々人の声は
大きく鳴っている訳じゃないんですね。


 ただ、自分が歌うのと同じくらい、隣の、周囲の声に気を配り
声を同調させ、重ね、ふくらませようとしているのが
ひしひしと感じられる。
 

 やっぱり合唱は“聴く”ことですよ!…と納得しました。



 ●声と響き、そしてイメージの豊かさ


 演奏会へ行かれた人はご存知のように、
プロムジカは客席で歌うことが多いのだけど、
最近日本の合唱団もそういうことをする団が多くなってきて。


 特に今年は宝塚国際室内合唱コンクールで
シアターピース部門があったため、
そういった団体と比較することにもなった。
 あとノルウェー・ソリスト合唱団ね。


 まず選曲。
 あまり多声部に分かれ、音の持続が短い曲は
聴く側の位置により、その曲本来の狙いが伝わらないのでは、と。
 具体的には根音以外を担当している歌い手が
ずっと聴く人の側にいるような場合など。


 主旋律と他とのバランスもそうだし、
客席を取り囲んでただ歌えばイイ、ってもんじゃないこと。
 これはプロムジカが一歩も二歩も先に行ってるなあ、と。


 そしてコダーイの「山の夜」の、豊潤なイメージ!


 これはシェーファーの「音さがしの本」も思い出したのだが
音、表現がどんな風に聴く側へ届き、
どんな風に聴く側の心でふくらむか、ということを良く考えられた演奏。
 プロムジカに取り囲まれて聴いてこそ、
その真価を味わえることが出来る、とまで思えるように。


 定番のホルストアヴェ・マリア」も良かったなあ。
 主となるフレーズが立ち現れ、消えていく。
中音域のフレーズにかぶせる高音域のフレーズ、
音色の柔らかさや音楽の開始、表現の多彩さなど、
2年前と比べても明らかに音楽が進化しているような。
 何回も、何回も聴いている曲のはずなのに、
涙腺に来てしまった・・・。


 明らかにデッドな、「普通の」多目的ホールで
ここまでの演奏を聴かせてしまうというのは
本当に凄いことだと思いましたよ。


 5年ほど前に聴いた時は(そのときの感想にも書きましたが)
 「日本人なら角を削って丸くして提供、のところを
  “そのまま”で!」…のようだったのが
今回は角も丁寧に磨いているような印象を受けました。


 今までプロムジカは5回ほど聴いていますが
その中でもベストの演奏会だったと思います。


 何回も紹介していますが
最後にそのプロムジカ女声合唱団:ビーブル「アヴェ・マリア」の映像をどうぞ。