クール・シェンヌ第10回演奏会感想 その4

 全体を通してとても良い演奏会だった。
 それは良い演奏が多かった、というのもあったが
その演奏に現れる志(こころざし)のようなものが
今まで聴いたシェンヌの演奏会と比較し、一層出ていたからだ。


 最初に「アマチュアの合唱を聴く意味とは?」と自分は書いた。


 確かに今回のシェンヌの演奏と言えども
プロフェッショナルな演奏と比較すれば
難しい部分は多々あるだろう。


 ただ、シェンヌが目指すもの。
 その多くは実際の演奏では完璧に実現していたとは言い難いが、
それでも聴く自分の中で、素晴らしい音を響かせていた。


 バッハで「歌えないかも・・・いや、それがどうした!」のような
足を一歩前へ踏み出し、正面を強く見つめる。
 「自分たちの出来る事はここまで」、と線を引いて
その中で小器用にまとまってしまうのではなく、
「失敗しても、その先へ!」と彼方へ手を伸ばす姿勢が
多くの演奏に現れていたのだ。


 私が「合唱」というジャンルをずっと好み、
いままで蓄積していた理想の合唱演奏のイメージ。
 それがシェンヌの、小さくまとまらず、
さらにその先を目指す姿勢と一致した時、
自分の中で結実し、それは素晴らしい演奏となった。


 これこそ「アマチュア合唱を聴く喜び」だなあ!と強く感じた。
 失敗が許されない、
完成されたプロフェッショナルの演奏ももちろん素晴らしいが、
失敗を恐れない演奏が、聴く自分の中だけで創り上げられる、最高の演奏。


 そして、メンデルスゾーンブルックナーの演奏のように
何度か訪れる「プロにも匹敵するような一瞬」。
 聴き続け、求め続けた果てに
こんな演奏と出会う・・・これももちろん最高だ。




 演奏側は小さくまとまるのではなく、
高く、そして強く理想の音楽を目指すこと。
 聴く側は、そのジャンルを愛し続け
心のどこかに理想の演奏を持っていること。


 その2つの条件を満たしている時、
「アマチュアの演奏」を聴く意味はあると確信した。
 自分がアマチュア演奏を聴く理由はそれだ、と。



 そんなことを拍手しながら考えていると
作曲者の松下耕先生が紹介され(相変わらずかっけー!ですね)
ステージに上がり、自作品の「はる」を指揮する。


 次に上西先生が指揮の位置に立ち、
松下先生は歌い手に加わり(!)
木下牧子先生の「夢みたものは…」をアンコールとして。


 ああ、いいなあ・・・。
 広がったシェンヌ団員たち、
アンコールの解放感が歌に乗ってホールの隅々まで運ばれていく。
 この喜びにあふれた音と光景を紹介しない理由があるだろうか。



 クール・シェンヌの目指そうとするもの、
それは変化と言っても良いものに触発された自分がいた。


 
 変わっていくことを良し、とする存在を見つけること。
 既存のものへ文句を付けるくらいなら
自分の中の理想のイメージを確固としたものにするため動くこと。
 それによって自分自身が変わることを畏れず、変わることを喜びとすること。


 そういったものに気付かせてくれた演奏会だった。
 ありがとう、クール・シェンヌ!



 (おわり)