大阪ハインリッヒ・シュッツ室内合唱団札幌公演について


 *この文章は大阪ハインリッヒ・シュッツ室内合唱団
(以下、大阪シュッツと略させていただきます)を
貶めるために書かれたものでは無い事を強調しておきます。




 2008年8月13日 18:30〜
 札幌コンサートホールKitara


 プログラム


 T.L.de ビクトリア Ave Maria
 H.シュッツ  ドイツ・マニフィカート SWV494
 J.S.バッハ 主に向いて新しい歌を歌え


 休憩10分


 千原英喜 「月天子」
        混声合唱団のための「きりしたん 天地始之事」


 休憩10分


 鈴木憲夫 混声合唱組曲「永久ニ」
 木下牧子 「44わのべにすずめ」「鴎」


 女声(ソプラノ・アルト)21名
 男声(テノール・バス)18名
 カウンターテノール1名、コントラアルト1名
 (※プログラムから)


 指揮は当間修一先生
 ピアノは木下亜子先生、木下太陽先生


 こちらの合唱団は
毎年オーディションで選ばれたメンバーによって構成され、
創立33年の歴史を誇る。
 耳に挟んだ話によると初見もかなり出来る、
能力が非常に高い合唱団とのこと。


 チケットは一般3000円(当日3500円)
学生2000円(同2200円)高校生以下1000円という
札幌の合唱演奏会では大変高価な部類。
 期待が高まります。


 最初のビクトリアから無理の無い発声が
高くしなやかにホールへ立ち昇る。
 Bassまでも深みはあるのに声質は軽やか。
 またその声質が他パートと合い、
混声合唱として素晴らしい一体感を醸し出す。


 シュッツも躍動感や表情の使い分けがさすが、と思ったがしかし。


 しかし・・・ソプラノがダメだあ、ダメダメだああ!!!
 キツイ書き方をすれば声が「死んでる」。


 元は大変能力が高い人たちだと思うんですよ。
 だけど、だけど、声が非常に疲れている印象。
 響きが当たらない、音も痩せ、音程も不安定、高音域も出ない。


 男声は疲れを感じさせず充分巧いけど
アルトもどこかハスキーっぽかったり、
まとまりに欠ける部分があるような?


 この演奏会、12日が函館、13日が札幌、15日が釧路、という
2連続公演のハードスケジュールなために、
それが原因だとしたら・・・。
(ちなみに函館→札幌間は約270km、特急で約3時間)



 バッハの「主に向いて新しい歌を歌え」は難曲で
よく演奏している方だとは思うけど
やはりソプラノの声の疲れからか
今ひとつ音楽に推進力が見えない。



 千原英喜先生の「月天子」も照明の変化ほどには
演奏は歌い分けが出来ていない印象。
 「きりしたん 天地始之事」はグレゴリオ聖歌の自然さに唸るが
女声の響きの少なさから理想としている音楽のスケールより
一回り小さくなっているような。
 カン!と音を合わせるときに、
ソプラノが当たらないのでハーモニーが作りづらい。


 全体に優しい、柔らかい音楽はさすがに巧さを感じさせるものの
減衰ばかり目立ち、高揚感が希薄なのでメリハリが少なく、
ドラマを感じさせない。
 従ってぼやけた印象の音楽になってしまう。


 歌い手は体を揺らし、熱演なのに、
聴く自分の心になんだかちぃとも伝わらない!


 ・・・これは、あれだ。
 長い透析療法の末、腎臓ガンで亡くなった叔母。
 まだ存命な叔母が行きつけにしていた中華料理店へ初めて同行したとき。
 見た目は美味しそうな料理の数々。たしか蟹の餡かけだった。
 それを口に入れると。


 塩の無い料理が、心をこんなに不安にさせるなんて。


 腎臓病のため厳しい塩分制限をされていた叔母。
 見た目と裏腹なぼんやりとして切なく、希薄な味。
 そしてこんな料理をずっと食べ続けている叔母への悲しさ。


 本来はとても巧いはずなのに、
声の疲れのため、あるべき音楽を出せない大阪シュッツの演奏と重なった。



 もちろん音程の精度は高い合唱団だし
上方向へ柔らかく広がる軽めの発声は
爽やかな響きを生み出していたが・・・。
 ソプラノが不調だと、他パートがどんなに頑張っても
ドラマを作れず音楽の頂点が低いものになり
肩透かしを食らわされたような印象になってしまう。
 改めて、合唱団の中のソプラノの重要性を感じました。



 10分の休憩後、鈴木憲夫先生の「永久ニ」の
「星の降る丘」から、ようやく復調したのか、
大阪シュッツの熱い演奏が伝わるように。



 木下牧子先生の「44わのべにすずめ」は
柔らかなハーモニー、繊細な表現が曲調に合う。
 その軽やかさが早いテンポと相まって好演。
 ただ、やはり細かな部分の音程や響きが
ソプラノは当たらなく、カウンターテナーの一人は
大変上手な方なんだろうけど、
いつもは他の女声と交じり合い一体化されているはずの声が
一人だけ目立ってしまい、
ソプラノではなく、パート:カウンターテナーになる違和感がしばしば。



 「鴎」はテノールの単旋律が意外と硬い印象に疑問を持ったが
表現のひとつひとつは充実していて
さらにオーケストラ版の音楽を意識してか
最初から最後までひとつの曲想で通すありがちな演奏と全く違い、
様々な音楽の、明確な変化をしっかり聞かせ面白かった。


 ・・・だけど、やはり。声が最後まで持た、な、い。
 本当にお疲れなんですね、みなさん・・・。


 アンコールも終えた後、
会場にいる千原・鈴木両先生への拍手。


 さて、これからかなり不思議な事態が起こるのだ。





 アンコールも終えた21時。
 指揮者の当間先生がマイクを取って


 「これで演奏会は終わりますが・・・しかし!
  あと1ステージ演奏をしたいのです!!」


 30分はかかる曲だし、
ご予定のある方はどうぞお帰りください、と。


 さらに
 「お客さんが一人もいなくなっても演奏します!」の発言に「?」


 私も、思わぬ不調な演奏に疲れたし、
きっと期待できないだろうから帰ろうか、と迷ったが
ここまで聴いたのなら、と残ることを決める。


 しかし、その段階で帰られた他の観客は多かったようだ。


 そして10分間の休憩後、
私服に着替えたメンバーの登場。
 千原英喜先生新曲の「雨ニモマケズ」



 この演奏が・・・良かったんだ!
 ソプラノも完全復活、とまでは行かないけれど
混声体の響きがバッチリはまっていたし、
表現のひとつひとつが練られ、実に生き生きとして
これまでのステージとはまったく別物の感があった。
 まったくの主観だが、
これこそメインステージ!という意気込みまで感じられるような。
(念のため、他のステージも練習不足という水準ではありませんでした。
 「雨ニモマケズ」が突出していたということ)


 おー、残って良かったなあ。
 これで3000円の価値は・・・まあ、あったかな・・・と思ったけど。


 でも別の疑問が思い浮かぶ。それは


 この30分の特別ステージ、最初から予定していたのか?


 ということ。
 もし最初から予定されていたのだったら、
歌い手はこの特別ステージまで喉を“保つ”ように
21時までの正規の演奏会中、色々と抑えるはず。
 それって「演奏会」を聴きに来た人たちにとって
なんだか不誠実じゃないか?


 どうしても特別ステージの曲を演奏したいのだったら
最初からプログラムに組み込めば良いし。
 それをしないで、正規の演奏会の内容が不調なのは
納得がいかない。


 まあ、演奏会終了後に
単なる指揮者の思いつき、いやワガママで
この「特別ステージ」をやっただけ、そんな可能性もあるけれど。


 函館、札幌、釧路の3公演それぞれ、
プログラムもかなり変えていたり
意気込みは感じられるのだけれども、
そういう面でなんだか「不誠実さ」を感じてしまう演奏会だった。



 それからしばらく経ち。
 大阪シュッツの「演奏会後の30分」がずっと心に引っかかっていた。
 知人にも意見を求めてみたが
 「演奏会後に気まぐれでホールの使用時間を延長なんて出来っこない」


 ・・・すると、あの30分は初めから予定されていたことになる。


 そして「大阪コレギウム・ムジクム」HP
指揮者:当間修一先生のエッセイ「マイヌング」内
8月26日に更新された「北海道公演《札幌》8月13日(水)」で
http://www.collegium.or.jp/~sagitta/ocm_homepage/html/meinung_backnumber/mbn120.html
とんでもない記述を目にする。



 以下抜粋


 >このホールでCD制作のために録音を、との計画を立てていました。


 >この日、プログラムを外して千原英喜「雨ニモマケズ」を録音したのですが



 つまり、あの「アンコール後のおまけ30分」は予め計画されていたということ。
 しかも録音したのは「雨ニモマケズ」だけだったということ。


 夜に読んだ瞬間は「…ふーん」と眠りについたが
次の日、仕事しながらふつふつと怒りが沸いて来た。(遅いよ!)


 
 この合唱団はいったいこの公演で「何を優先しているのか」。
 演奏会、なのか。それともCD制作のための録音、なのか。


 優先するのが演奏会だったら、
演奏会“後”に録音、というのがそもそも疑問だし
どうしても演奏会にこの曲を組み入れたい、というのなら
正規のプログラムを削ってこの曲を入れればいい。


 リハーサルの段階でソプラノの調子が悪いことはすぐ分かるのだから
そこまで曲数を多くするのは自殺行為だし
演奏会後に録音すると演奏会前から予定していれば
ただでさえ悪い喉の調子を、「最後の録音」まで持つように
演奏会自体はセーブしたものになるだろう。


 日記ではホールの響きに苦労していることから


 「この合唱団が良いホールで良い録音をしたいための
  ダシに観客は使われた」


 …そんな黒い考えまで出てくる。


 こういう考えっておかしいですか?
 私が怒ってることって変??



 元来、怒りの表出が苦手な人間である。
 この段階ですぐブログに感想を載せても良かったのだが
一応、今回の件を文章にし知人へ読んでもらったら


 「怒るのはもっともだ!」…という意見が複数人から返ってきた。


 それでも慎重に、怒りを抑えた。
 私が気づかない合唱団側の都合や言い分もあるかもしれない。
 それを確認してからでも遅くは無いだろう。



 そういうわけで大阪シュッツへ質問メールを送ることにした。
 書いてから1日置き、見直したのだが
まだ心が荒れているせいか文章が怒っている。
 というか「という」が多いよ!という。
 「不調を助長」ってなんなんだ!
 ここに転載するために改めて読み、
書き直しの欲求が強く襲ってきたが
一言一句変えずに転載する。



 件名「大阪ハインリッヒ・シュッツ室内合唱団札幌公演に関しての質問」
 2008年9月4日 5:13送信



 大阪ハインリッヒ・シュッツ室内合唱団さま。
 はじめまして。文吾と申します。
 8月の北海道演奏旅行お疲れ様でした。
 私も8月13日、キタラホールでの札幌公演を聴かせていただきました。


 札幌公演を最初から最後まで聴き、
いくつか疑問に思ったことがありますので質問をさせていただきます。
 ご回答いただければ有り難く思います。



 1)スケジュールに無理はなかったでしょうか?


 正直に書くと最初から、
特にソプラノの声が大変疲れているように思われました。
 前日に函館で演奏会、
そして団員さんは当日に札幌へ移動して演奏会という
特急でも3時間かかる道程での後、
リハーサルをして演奏会本番というのは
体調、喉を考えるにスケジュール的に無理があったのではないでしょうか。



 2)演奏会後の「雨ニモマケズ」演奏の意味は?


 アンコールも終わり、当間先生が
 「お客さんが一人もいなくなっても歌います!」という意のことを仰り、
休憩後に着替えて「雨ニモマケズ」を演奏されましたね。
 この演奏は大変素晴らしく、
この日の演奏の中では一番、というか
飛び抜けていたように個人的には思いました。


 ただ、何故演奏会後にあの曲を演奏しなければならなかったのか?
という疑問がずっと残っていました。
 興が乗り、思い付きで演奏するには時間が長すぎますし、
ホールの退出予定も考えると
演奏会前から予定していたと考えるのが自然です。


 終演後に
 「あの曲(雨ニモマケズ)があそこまで演奏できるなら
  最初からもうちょっとちゃんと歌って欲しいよね・・・」
 「演奏会が終わった、で帰ってしまった人が可哀想・・・」


 という声も客席から聞こえました。



 疑問に思いながら大阪コレギウム・ムジクムHPの
当間先生の日記:北海道公演《札幌》8月13日(水)を読んで
目を疑いました。
 

http://www.collegium.or.jp/~sagitta/ocm_homepage/html/meinung_backnumber/mbn120.html


 >このホールでCD制作のために録音を、との計画を立てていました。


 >この日、プログラムを外して千原英喜「雨ニモマケズ」を録音したのです


 この、録音する「雨ニモマケズ」を演奏会後に持っていく、
そしてそれが最初から計画されていた、というのは
「演奏会」に来た観客にとって非常に不誠実なのではないか、ということで
す。


 演奏会前のリハーサルの段階でソプラノの不調は分かっていたはずです。
 それにもかかわらず、
演奏会後に“録音する”“30分もの曲”を演奏予定、とするならば、
どうしたって演奏会自体は喉を騙しながら抑えたものになるでしょう。


 たとえ喉が不調でなくても「演奏会後に録音」というのが解せません。



 ※演奏会前に「雨ニモマケズ」を録音するわけにはいかなかったのか?


 ※どうしても「雨ニモマケズ」を演奏したかったのならば
  他の千原先生の曲を削って
  演奏会中に「雨ニモマケズ」を演奏すれば良かったのではないか?


 もちろんそちら側にも色々と事情があるとは思います。
 しかし何故演奏会後に、録音する曲を持っていかなければならなかったの
か?



 当間先生のリハーサルでの調整に苦しむ文章を読んで


 「・・・より良い録音をするために、ホールの特性をもっと知り、、
  そしてウォーミングアップのために演奏会をしたんじゃないか?」という
考えが浮かんでしまいます。
 (この考えは私だけではなく、当間先生の文章を読み、
  同じ意見な他の人もいる事を記しておきます)



 大阪ハインリッヒ・シュッツ合唱団はお世辞抜きで
日本を代表する合唱団のひとつだと私は思っています。
 生演奏自体を体験したことは少ないですが
CDも購入し、その素晴らしい演奏水準に感心・感動しておりました。


 今回の札幌公演を知った時から、
知人に触れ回り、宣伝したのも
その感動があったからこそです。
 それがこういう形で裏切られたのが大変悲しくてなりません。


 人間ですから体調、喉の調子の悪い時もあると思います。
 それは運に左右されるものでもあります。
 しかし不調を助長するように曲数を増やし、
しかも演奏会後に録音する曲を持ってくる、というのは
運不運ではなく、そちらの意志から来たものです。



 最後にひとつだけ質問させていただきます。


 3)この公演で優先したのは演奏会ですか、CD製作のための録音ですか?



 どうかご回答をお願いいたします。


 注)もしご回答頂けた場合、その文章は
   私と同じように疑問に思っている知人達へ転送・転載する事をご了承下
さい。



 文吾拝


* * * * * * * * * * * * * * *


 返信はすぐ返ってきた。


 件名「メールのお返事です」
 2008年9月4日 20:31受信


 (※メール内では本名のフルネームだが
   ここでは“Oさん”という表記にさせていただく。
   それ以外は全く変えずに転載しています)



文吾       様


大阪コレギウム・ムジクムのゼネラルマネージャーOと申します。



札幌公演に来て頂き、誠にありがとうございました。
また CDもお聴き頂いていたこと、嬉しく思います。
メールをいただきました件に付きまして、お返事させて頂きたいと思います。



>  大阪ハインリッヒ・シュッツ室内合唱団さま。
 はじめまして。文吾と申します。
 8月の北海道演奏旅行お疲れ様でした。
 私も8月13日、キタラホールでの札幌公演を聴かせていただきました。


 札幌公演を最初から最後まで聴き、
いくつか疑問に思ったことがありますので質問をさせていただきます。
 ご回答いただければ有り難く思います。


>  1)スケジュールに無理はなかったでしょうか?


ハードスケジュールではありましたが、過去5回行っております
ドイツ公演、ヨーロッパ公演では1週間に5回の公演を行い、リハ本番ー移動ー
リハ本番と毎日続いた経験は何度もありました。


今回はホールの空き、そして現地で事情、そして演奏者のスケジュール
の兼ね合いで、コンサートスケジュールを決めました。
もちろん日程はベストではありませんでしたが、諸条件の中では3カ所での公演
が行えて、各地で聴いて頂け、良かったとの思いです。


ただホームページでも記述していますように、「キタラの響きのムラ」には、リ
ハでかなり苦労しました。
なんとかホールの響きをよりよく鳴らそうと、位置を変えたりしてぎりぎりまで
リハを行いましたので
声に少々疲れがみえたところがあったかもしれませんが、全身全霊、で音楽をし
ていたことは
当日頂きました沢山のアンケート、そして後日頂いたお手紙やファックスで
聴いて頂いた方々にも届いたことと確認しました。
ただ、席によってはかなり響き方が異なってびっくりしました(私自身リハの際
に席をいろいろ変えて聴きました)


文語様はどのあたりで聴いて頂いたでしょうか?


是非今後の参考に、お知らせいただけましたらと存じます。



>  正直に書くと最初から、
特にソプラノの声が大変疲れているように思われました。
 前日に函館で演奏会、
そして団員さんは当日に札幌へ移動して演奏会という
特急でも3時間かかる道程での後、
リハーサルをして演奏会本番というのは
体調、喉を考えるにスケジュール的に無理があったのではないでしょうか。



札幌公演でのプログラミングを考える際には、指揮者、そして
作曲家の千原氏、鈴木氏とも相談しておりました。


「キタラ」の響きは期待できそうと聞いていましたので、
本当に楽しみに曲目を考えました。
千原氏からは「是非 きりしたん天地始之事を!」とリクエストがあり、千原作
品として
函館では「雨ニモマケズ」 札幌では「きりしたん天地始之事」そして
釧路では「東方のマリア」とそれぞれ決めました。


どの曲も大曲で、すばらしく、また歌唱力のいる難曲ばかりでもあります。
このような大変な選曲は外来のプロ合唱団ではしませんね(笑)
しかし私どもは「とにかくどの曲も素晴らしいので、聴いてもらおう!」との思
いでした。


嬉しい事に、3都市追っかけをして、これらを聴いてくださった方々も
おられます。


札幌公演当日のアンコールのあとの
「雨ニモマケズ」は本当に凄かったですね。
私が言うのもおかしいのですが、本プロだけでも
大変な曲ばかりでしたのに、あのあと30分の大曲をやりとげた
メンバーは本当につわものだと思いました。


「雨ニモマケズ」は函館でライヴ録音を済ませていました(どの公演もライヴ録
音していましたので其の中から
CDに収める予定です。今までのCDもそのようにしています)ので
絶対にやらねばならないわけではなかったのですが、
「雨ニモマケズ」も本当にすばらしい曲で、札幌の方々に聴いて頂けたら!
そして、其の空間の音も残せたら!との思いでした。


しかし本プロが済むまで、本当にそれをするかどうか
は聴衆のみなさんと、そしてメンバーの状況で決定することになっていました。
みなさんからの沢山の拍手で決定とさせて頂いたわけです。
聴いて頂いている方々と、「音楽で本当に心通わせたい」と、
そういつも考えて演奏会をしています。


毎回毎回真剣勝負で、33年間演奏を続けてきました。


ライヴがしたくて演奏会をしています。
作品を生み出してくださる人間、演奏する人間、聴いて下さる人間
その人間の創る空間で、2度と同じ事のできないライヴを創造し、それを伝え続
けたいと思っています。


真剣に取り組み続けています。


文語様の質問に対してお答えできたかどうか
わかりませんが、経緯と考えを書かせて頂きました。


また是非お聴き頂ける機会がありますように
と願っております。


メールをありがとうございました。



大阪コレギウム・ムジクム

ゼネラルマネージャー


* * * * * * * * * * * * * * *


 あー・・・。
 一言で感想を言えば「肩透かし」、だろうか。
 声の疲れに関しての返答がいつの間にか
ホール座席による響きの違いの話になっていたり。


 私の質問に対して、ちゃんと答えてくれていないな、という。


 おそらくこのOさんというゼネラルマネージャーは
論理的に物事を展開するのが苦手なタイプなのだろう。


 感情に引っかかった物事へすぐ反応し、
物事の筋道は脇に置き、本人もそのことに気づかない。
 改めて自分のメールを見直すと、かなり強い筆致だと思うが
その返信に対し (笑) を使ったり


「私が言うのもおかしいのですが、本プロだけでも
大変な曲ばかりでしたのに、あのあと30分の大曲をやりとげた
メンバーは本当につわものだと思いました」


 控えめな擁護でもなく単純に自分の団をここまで褒め上げる。
 確かに「私が言うのもおかしい」。


 質問と本来関係無い話を長々と付け加えたり、
自分の世界へ没入してしまうタイプだとも予想される。


 まあ、私のメールだって決して褒められた文章ではないけれど、
それにしてもこのメールの内容には困った。
 経験上、こういうOさんのようなタイプは
感情に引っかかった部分へすぐ飛びつくので議論に向いていなく、
さらにその事を指摘するとまた指摘中の一部分だけに反応し、
物事が全く展開しないことが過去に度々あったのだ。




 悩んだ末、返答をOさん以外の方へ頼み、
それだけでは説得力が無いので
返信メールの矛盾点とさらに出た疑問点を細かく記して
もう一度メールを出すことにした。
 ある意味衝撃的な内容の返信に心を落ち着かせるのと
それにどう応えるかを考えていたら時間がけっこうかかってしまった。
 ふたたびメールを送る。



件名「札幌公演ご回答についてのお礼とお願い、再度の質問」
9月9日 0:33送信

(※ゼネラルマネージャーさんの本名をOさんにした以外は
 一字足りとも変えていません)


 O様


 文吾です。
 早速のご回答、ありがとうございました。
 何度も読み直し、知人にも読んで貰い意見を聞いたので
お礼のメールが遅くなってしまったことをお詫びします。


 そして、O様のメールを読み、
知人の意見を聞いた上での考えなのですが
前回送った私のメールを大阪ハインリッヒ・シュッツ室内合唱団の
他の関係者の方へ転送し、その方に返事を頂くわけにはいかないでしょうか?


 せっかくO様からご返信を頂いたのに本当に失礼とは思いますが、
残念ながらO様のご返信の内容は
私との間に認識の違い、問題の本質の誤解、
矛盾、そして当間先生との考えの違いが散見しているため、
それを追求し、議論が出来る段階になるまで
相応の時間と手間がかかってしまうと予想されるからです。
 (それらの具体的な内容については後で述べさせていただきます)


 違う方のメールアドレスを教えていただければ
O様が私のメールを転載しなくても
私からその方へ送らせていただきます。
 以上、本当に勝手な内容ですが
どうか宜しくお願いいたします。




 それではO様から頂いたメールについて、
さらに疑問に思ったことを書かせていただきます。



>>1)スケジュールに無理はなかったでしょうか?


>ハードスケジュールではありましたが、過去5回行っております
>ドイツ公演、ヨーロッパ公演では1週間に5回の公演を行い、リハ本番ー移動ー
>リハ本番と毎日続いた経験は何度もありました。


 非常に失礼な言い方とは思いますが
「過去5回行っ」た事自体は大きな成果であったとしても
そのまま全ての公演が成功に終わった、と私は信じることが出来ません。
 確かに過去のドイツ公演のライブCDは素晴らしい水準でしたが
他の全ての公演もそうとは限らないのではないでしょうか。
 参考までに一番新しい「1週間で5回の公演」で
O様が思われる札幌公演の様な
 「少々疲れがあるように見られる」状態、
またはそれ以上に演奏に疲れがあった公演は
全く無かったのでしょうか。
 もしあったとしたらどの時期に何回ほどあったのでしょうか?

 
 
>ただホームページでも記述していますように、「キタラの響きのムラ」には、リ
>ハでかなり苦労しました。
>なんとかホールの響きをよりよく鳴らそうと、位置を変えたりしてぎりぎりまで
>リハを行いましたので
>声に少々疲れがみえたところがあったかもしれませんが、全身全霊、で音楽をし
>ていたことは
>当日頂きました沢山のアンケート、そして後日頂いたお手紙やファックスで
>聴いて頂いた方々にも届いたことと確認しました。
>ただ、席によってはかなり響き方が異なってびっくりしました(私自身リハの際
>に席をいろいろ変えて聴きました)
>文語様はどのあたりで聴いて頂いたでしょうか?



 これは問題のすり替えではないでしょうか?
 私が問題としているのは「声の疲れ」であって
「会場内での響きの違い」ではありません。


 例えば音程が不安定、
ソプラノ“だけ”最初のアタックができない、
著しくパート間のバランスが悪い、
声がまとまりきれず突然カウンターテナーが飛び出す・・・等々。
 これは会場内の響きの違いでは片付けられない問題だと思います。


 あと、気になったのは「声の疲れ」と「会場内の響きの違い」を
私が混同しているように思われたのでしょうか?
 補足で説明しますと、私はキタラホールがオープンした時から
数十回にわたり、合唱だけでは無く、オーケストラ、声楽など
たくさんの演奏会を聴衆として経験しています。
 また出演者としてもしっかりしたリハーサルを含む演奏会を2回、
そして合唱の全国大会で1回、キタラ大ホールの舞台に立っております。
 もちろん他のホールで演奏していた合唱団が
キタラ大ホールで演奏する、という機会も数多く経験しております。
 ですから「声の疲れ」と「会場内の響きの違い」を
混同していることは、まず無いと思って下さい。


 ちなみに座った席はCBブロック7−23あたりでした。
 http://www.kitara-sapporo.or.jp/contents/facility/pdf/great.pdf
 逆にお聞きしたいのですが、「今後の参考に」とは
どのようにシュッツ内で参考にするのでしょうか?
 非常に興味があります。どうか教えて下さい。



 さらにO様は札幌公演に関して


 >声に少々疲れがみえたところがあったかもしれません


 …とのご認識のようですが私は
「少々どころではなくハッキリと疲れているのが分かる状態」と感じました。
 あの状態が「少々疲れがみえたところがあったかも」なら
私が唯一生演奏を経験した6年前、東京:トッパンホールでの
木下牧子先生HP開設2周年記念コンサートでの演奏は
奇跡に奇跡が重なって出来た信じられないほどの最高の演奏だったのでしょうか。
 そして数多く出されているCDでのソプラノは
編集による非常に細かな音程調整とバランス・音量調整の賜物なのでしょうか。
 (失礼な文言、お許し下さい。
  私の耳としては「少々」どころではなく、
  それほど大きな違いがあったということです)



>「雨ニモマケズ」は函館でライヴ録音を済ませていました(どの公演もライヴ録
>音していましたので其の中から
>CDに収める予定です。今までのCDもそのようにしています)ので
>絶対にやらねばならないわけではなかったのですが、
>「雨ニモマケズ」も本当にすばらしい曲で、札幌の方々に聴いて頂けたら!
>そして、其の空間の音も残せたら!との思いでした。


 この文章の前に


>「キタラ」の響きは期待できそうと聞いていましたので


というものがありますが、
これは録音をする動機としてかなり強いものでは無かったのでしょうか?


>絶対にやらねばならないわけではなかったのですが


このような消極的なものではなく
「キタラで『雨ニモマケズ』を演奏しよう!」という強いものを最初から決めていたのでは?
 当間先生も


>このホールでCD制作のために録音を、との計画を立てていました。


 ・・・と書かれていましたし。
 その辺が当間先生とO様との間に矛盾がありますね。



 再度質問しますが、この札幌公演では
演奏会後に録音用の『雨ニモマケズ』を演奏することを
演奏会前に決定していたのではないでしょうか?



そして
>どの公演もライヴ録音していましたので其の中から


これは「雨ニモマケズ」という曲は「すべての公演でライヴ録音した」という意味でしょうか?
それとも「公演で演奏したすべての曲をライヴ録音した」という意味なのでしょうか。


後者だと当間先生の日記の


>この日、プログラムを外して千原英喜「雨ニモマケズ」を録音したのですが


と矛盾することになります。
結局、札幌公演で録音したのは「雨ニモマケズ」だけなのでしょうか。
もしそうなら「プログラムを(録音から)外した」のは何故でしょうか。



>「雨ニモマケズ」も本当にすばらしい曲で、札幌の方々に聴いて頂けたら!
>そして、其の空間の音も残せたら!との思いでした。


 これは当間先生の「お客さんが一人もいなくなっても私たちは演奏します!」
との言葉と矛盾しますね。
 当間先生はキタラホールでの録音が主目的で
観客に聞いてもらうことは2の次だったのでは?と思ってしまいますが
この言葉を違う解釈が出来るものなのでしょうか。



>しかし本プロが済むまで、本当にそれをするかどうか
>は聴衆のみなさんと、そしてメンバーの状況で決定することになっていました。
>みなさんからの沢山の拍手で決定とさせて頂いたわけです。


 まるで観客の拍手があったから「雨ニモマケズ」を演奏することを
決定したようですが、それは違うのでは、と私は考えます。


 根拠となるのは、
まずホールの退出予定時間を前もって決めておかないと
演奏会後に30分の演奏など出来るわけが無いという事。


 そして「観客の拍手」は、ほとんどどんな合唱の演奏会にも
ありますよね?
 私も数百回合唱の演奏会へ行っていますが
終演後に拍手が無かった演奏会は一度としてありません。
 ましてや両作曲家がホールにおられたこの演奏会で
「沢山の拍手」が起こらないわけは無い、と予想、いや確信できるのでは。


 それで「みなさんからの沢山の拍手で決定とさせて頂いた」というのは
演奏を決定する理由にならないんじゃないでしょうか。



 結局、「演奏会後に」 「30分の」 「録音のための曲」を
演奏することを 「演奏会前に」 決定した、と考えるわけです。




>毎回毎回真剣勝負で、33年間演奏を続けてきました。


 最初のO様の文章で


>全身全霊、で音楽をしていた


・・・との言葉もありますが、その事を否定する訳では無いんです。


 ただ、たとえとして1500mと2000mを同じ人が
「真剣勝負」で「全身全霊」で走ったとしたら
絶対1500mの方が早くゴールしますし、
ラップタイムも速いに決まってますよね?


 演奏会の時間を1500mとし、
あの「雨ニモマケズ」を後の500mとします。
 調子が良い場合は1500mに後の500mを加えても
ラップタイムはそう変わることは無いかもしれません。
 しかし、あの時の調子はどう見ても「良い」とは言えなかった。
 さらに後の500mが記録に残るよ、と伝えれば
最初の1500mは流す、とまでは行かないまでも
体力を最後の500mまで温存するのが自然でしょう。


 総合的に見たら2000mを「真剣」に「全身全霊」で走ったのかもしれません。
 しかし1500mを同じように「真剣」に「全身全霊」で
走っていたらどうだったのでしょうか?
 さらに2000mでは無く「1500m」の走りを期待して
演奏会に来た観客にとって、走る側からそれは「真剣」「全身全霊」と
いかに強く主張されても納得がいくものでしょうか??



 少しぐらい不真面目でも、全身全霊からちょっと欠けていても
しっかり走ることの出来る準備と
2000mではなく「1500m」を走る演奏会を私は求めます。


 意思が肉体を超えるのは稀にあるとは思いますが
精神論だけでは限界があると思いませんか?



>ライヴがしたくて演奏会をしています。
>作品を生み出してくださる人間、演奏する人間、聴いて下さる人間
>その人間の創る空間で、2度と同じ事のできないライヴを創造し、それを伝え続
>けたいと思っています。



 O様がライヴを大切にされていることはよく分かりました。
 では、この「ライヴのCD製作」はO様にとっては
どのような意味を持っているのでしょうか?


 最後にお答えいただければ有り難く思います。



 色々と失礼な文言、申し訳ありませんでした。
 再度のお願いですが、シュッツ内で他の方への私のメール転送、
もしくはシュッツ内で他の方のメールアドレスを教えていただくこと、
どうか宜しくお願いいたします。



 今回もご回答頂けた場合、その文章は
私と同じように疑問に思っている知人達へ転送・転載する事をご了承下さい。



 文吾 拝


* * * * * * * * * * * * * * *


 書いてからも数日置いて見直したつもりだが
正直、陰険なメールだと反省する。
 ・・・なかなか怒りを抑えるというのは難しいなあ。




 さて、このメールへの回答だが。
 1日待った、来ない。
 2日待った、来ない。
 3日待った、来ない。
 4日待った、来ない。


 「無視されたのか?!」とまた怒りが湧き
この時点で演奏会の感想とまとめて公開しよう!とまで思ったが
やはり抑え、次の日に確認のメールを出すことにした。
 万が一、あちらで受信していない場合もあるかもしれないではないか。
 念のため大阪シュッツと
Oさん個人のメールアドレス2つへ送ることにし、
前に送った内容も転載することにした。



 件名「メール到着のご確認をお願いします」
 9月14日 3:44送信



 大阪ハインリッヒ・シュッツ室内合唱団さま。
 O様


 文吾と申します。



 O様から頂いた返信に、他の方へ返答を求める事と
O様ご自身へご返信を求める内容のメールを9月9日に送ったのですが
そのメールに関しては未だにご返信を頂いていません。


 9月9日に私が送った、
前のメールがそちらへ届いているかどうか、
そのことだけでも出来れば早急にお知らせ願えませんか?


 また、前のメールがそちらへ届いていない場合を考え、
9月9日に送ったメールの内容をこちらのメールへ転載しました。
 さらにO様がご返信されたメールも転載しております。


 このメールはoffice@collegium.or.jpのアドレスと
(※Oさんのメールアドレス)のアドレス2つに同じ内容のものを送っております。


 改めてお願いしますが、私のメールが届いているかどうかの是非だけでも
出来れば早急にお知らせ下さい。


 尚、このメールとそちらからのご返信が行き違いとなった場合は
お詫びいたします。



 文吾 拝


* * * * * * * * * * * * * * *


 返信は次の日、来た。


 (※繰り返しますがゼネラルマネージャーさんの名前を
  「Oさん」にした以外は一切変更していません。
  パソコンの調子が悪く、受け取ったものの
  最初のメールは消去してしまったので
  このメールは数時間後に再送してもらったものです)


 件名「大阪コレギウムのOです。再送」
 9月15日 12:41受信

 

文吾      様


9月9日のメール、そして昨日14日のメールは確かに読みました。
最初のメールの質問には誠心誠意答えさせて頂いたつもりでしたが


 「O様のメールを読み、
知人の意見を聞いた上での考えなのですが
前回送った私のメールを大阪ハインリッヒ・シュッツ室内合唱団の
他の関係者の方へ転送し、その方に返事を頂くわけにはいかないでしょうか?


せっかくO様からご返信を頂いたのに本当に失礼とは思いますが、
残念ながらO様のご返信の内容は
私との間に認識の違い、問題の本質の誤解、
矛盾、そして当間先生との考えの違いが散見しているため、
それを追求し、議論が出来る段階になるまで
相応の時間と手間がかかってしまうと予想されるからです。」


とのお返事でしたので、
先日室内合唱団の練習時間を割いて
文吾様とのメールのやりとりをプリントアウトし、メンバー全員に読んで
もらいました。
そして話し合いました。結果、私からの返信内容は、先日札幌公演で演奏しまし
たメンバーの意見と同じであり、私Oがお答えしたことがメンバーの総意であ
ると確認いたしました。
(貴重な練習時間を割いてまでの話し合いの結果を、信じて頂くしかありませ
ん)



申し訳ありませんがこれ以上何をお答えしていいのか
何をお聞きになりたいのかわからないのです。
メンバーも「これ以上何がご不満かわからない」というのが率直な感想です。


それからもう1つ大切なことがあります。


私も、団のゼネラルマネージャーとして、責任をもってお答えしたつもりです。
意見を言うこと、は一人一人が責任をもって行う事だと思います。
私は「文吾さん」としかわからない方に一生懸命お返事させて頂いたつもりです

本来は、自分は何々ですと本名を名乗ってから、意見を述べられるのが
責任をもった行いだと思います。
きちんとお名前をお知らせくださいますか?


私どもは毎月のマンスリーをはじめ、沢山のコンサートを行っています。


33年間何を発し続けてきたか、そしてこれからも何を伝え続けようとしている
のか、是非演奏会でそれを見て、聴いて、感じていただけましたら
嬉しいです。


今後このような形でメールのやりとりを続けるよりも、
私どもの演奏をできるだけ沢山聴いていただいたほうが、多くを理解していただ
けると思います。


演奏会でお会いできる事もあるといいですね。



大阪コレギウムムジクム
ゼネラルマネージャー


* * * * * * * * * * * * * * *



 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 。
 読み終わった後、しばらく放心してしまった。
 もしもこの時の自分を傍から見ていたら
目はうつろにモニターを見、口はだらしなく開けて、
さぞかしマヌケな顔に見えたであろう。



 「かっ、完全スルーか!」


 まさかここまで質問を完全に無視されるとは予想していなかった。
 知人に読んでもらったら
 「全く何一つ質問に回答をしない具合にひとごとですが笑ってしまいました」
という意見が複数あった。
 ・・・これは非常にシュールな『ギャグ』なのだろうか?
 残念ながらハイセンス過ぎて、私には理解できない。



>申し訳ありませんがこれ以上何をお答えしていいのか
>何をお聞きになりたいのかわからないのです。


 私は前のメールに何を書いたんだろう?
 途中から文字化けして読めなかったのだろうか??


 あと気になったのは“貴重な練習時間を割いてまで”
検討していただいたのは申し訳なく思うが
この合唱団にはメーリングリストが存在しないのだろうか?
 練習時間内に焦って話し合いをするよりも
コピー&ペーストで団員へ送るほうが
プリントアウトより遥かに簡単だし手間は少ないはず。
 “貴重な練習時間を割いて”貰うのは私も心苦しいので
メーリングリストの実施をどうかご検討下さい。
 パソコン所有率が少ない合唱団なのだろうか。



 さらに、言及されている「本名」について私個人の考え。
 ピアニストも含まれる芸術家は
名前を広めることが仕事のひとつかもしれないが、
単なる会社員の私が
個人情報の流出と悪用が取りざたされている今、
しかも信頼関係を到底築けているとは言えない相手に
本名を教えることの意味が分からない。


 上記の理由は実は些細なことで。
 まあ、Oさんには知らせていないので分からないのも仕方が無いが
この「文吾」というハンドルネームは
33年ほど長くは無いが、8年間、合唱というものへ
ネットで関わるようになってからずっと使っている名前である。
 「真剣」に「全身全霊」に…とは言えないが、
それなりに一生懸命合唱を聴き、感想を書いてきた
自分の中の「合唱」を体現した名前だとも言える。
 大袈裟に言えば「文吾」という名前を使う時は、
私の「合唱」すべてを懸けている、とも言えるのだ。


 「文吾さん」としかわからない方、とOさんは書かれているが
もしOさんがこの文章を読まれているなら
このブログ内で「合唱」タグや
「文豪の部屋」HPでの
演奏会感想や合唱団訪問記などを是非読んで欲しい。
 「文吾としかわからない」という事にはならない、と思う。
 少なくとも読む分には
私が大阪シュッツの演奏会へ行くように交通費もチケット代もかからない。



 後、気になったのは私からの確認メールが無かった場合、
このOさん、大阪シュッツ他団員の方々は
無視したまま済まそうとしていたのではないか、ということ。


 「誠心誠意」・・・か。



 いずれにせよ、質問に対し、全く答えてくれないことで
この合唱団の姿勢はハッキリしたし、
私がこれ以上質問メールを送っても無駄だということだ。
 そして大阪シュッツの他の関係者も知らない私には
これ以上打つ手が無い。


 そこで、このように感想とメールのやり取りを公開した意味がある。
 もし、この文章をお読みになった人で
大阪シュッツ合唱団と関係がある方、
団員さんと親交がある方、
どうか私の疑問を解決するために力を貸してくれないだろうか?
 札幌公演で、あの「雨ニモマケズ」だけを録音したのかどうか、
ということさえ、結局明らかにされてはいない。


 私は知りたい。知って疑問を解消したい。
 これを読まれているみなさん、どうか、本当に、宜しくお願いいたします。



 そして、この文章を書いた意味はもう一つ。
 私とOさん、そして大阪シュッツ合唱団、と。
 主観の違いが多くあった。


 私の「大変疲れた印象の声」に
Oさんの「少々疲れがみえたところがあったかも」


 Oさんの「誠心誠意」で書かれた返信に首を捻る私。


 私のメールが全く意味不明だとするOさん、等々。


 客観性をできるだけ持った上で自分の主観を表明したい、とは
常々思ってはいるが不完全で未熟な人間ゆえ、
その思いは果たせないことばかりだ。


 私とOさん、そして大阪シュッツ団員さんとの主観の違い。


 感想とメールから読み取られるその違い等について。
 あるいは他、全体の感想など。
 思ったことをコメントとして書いていただければ大変有り難い。
 その意見や感想を元に、
より客観性を身に付けたいと思っている。



 改めて書くが、この文章は
大阪ハインリッヒ・シュッツ室内合唱団を
貶めるために書かれたものでは無いことを強調しておきます。
 この文章を読まれた方も
大阪シュッツの演奏会にどんどん行って欲しいし、
CDもどんどん買えば良いと思う。



 最後になったが感想とメールのやり取りに対し
貴重な感想や助言をしてくれた知人のみなさん、
そしてこの長い文章を最後まで読んで下さったみなさんに
心からお礼を申し上げます。