17年前のコンクール

「勝手にプロフィール大賞」での
MODOKI@指揮者さんの書き込みを目にして
しばらく思い出にふけってしまった。


※17年前・岡山全国大会の結果
http://www.jcanet.or.jp/jca/concour/kako/con44.htm


そうか〜17年前は「金賞=シード」だったんだなあ、とか。
(違うようになったのは何年前からだっけ?)
当時は銅賞の下に「優良賞」というのもあったなあ、とか。
「OMPがタイムオーバー」でそういえば
OMP(現「響」)団員さんのこんな記事があったなあ、と
最初から最後まで読んじゃったり。
(・・・破天荒な合唱団だ 笑)


http://homepage3.nifty.com/choirkyo/article/compmemo.htm


あの時は千葉大の演奏も素晴らしかった!
新実徳英先生曰く「千葉大らしからぬ名演(笑)」で
フランスの香りを充溢させたセンスあふれる演奏でした。



MODOKI@指揮者さんの
「あの大会で私たちが今回の演奏で出ても銅賞も取れない」
という言葉にさあてどうだろう?と思ったり。
逆に当時の金賞団体が今年の岡山大会に出たら
金賞はまず間違いないと思うけど
集中力や緊張感や密度の違いに違和感を感じるんじゃないかな?
(18年前の札幌全国大会であまりに白熱した演奏が続いたため
 途中で気分が悪くなりホールのソファで寝てた私・・・)
あと、今大会のESTやあるの演奏を17年前へ送って
どういう評価になるか知りたいな(笑)。


今が悪い、過去が良い、あるいはその逆、という単純なものではなく、
過去の演奏があってこそ、今の演奏があるんだ、ということを
しみじみ感じてしまいます。



山本さんの

理想とか頭の中にあってもなかなか具体化できないものですが、
いろいろな演奏を聞く事によって何が素晴らしいのかという事も
自分の中で色々決まってくる部分もある。
そしてまたそれを裏切られて、
さらに違う感動が生まれる…やっぱり色々なものを聞かないとですね。

それは表現の技法の種類と深さを知る、ということなのかも。
目標というものが具体的な形となることで
自分の理想と対比させ、理想がより現実的なものになることなのかも。


常に感動は驚きと一緒だ、と私は思うのですが
自分のアタマの中では想像できないようなもの、
驚きに接することで感動が生まれるのかもしれませんね。
そして、それによって自分の世界が広がっていくような気がします。


まあ、アレです。
コンクールにも色々問題があるし、
私自身、コンクールが活動の中心となっているような団は
正直言ってあまり好きじゃないんだけど。
でも。「コンクールぅ?」みたいに斜に構えて参加したり聴くよりは
のめり込んで、つま先から頭のてっぺんまで浸かりきって。
・・・それで体の芯まで染み込むように得た経験を、
コンクール以外の場で活かすようにすればいいんじゃないかなあ、と
思うわけですよ。

今でも私の中ではあの岡山大会は色々な軸になっていると思います

山本さんの岡山全国大会のように
なかなか軸ができるような出来事は滅多に無いけれど。
それでも、どんなときも、軸を作るために動いていきたいですね。