全国大会:一般の部 感想<その9>

広島県(中国支部代表)
合唱団ある(混声65名)


課題曲はG3:寺嶋先生の「全身」。
お、やや速めのテンポでフレーズも短めで
ちょっと「ぶつ切り」の印象。
「ある」って課題曲はけっこう個性的な演奏をするんですよね。
リズムも強調し、声自体も軽めに作っているような。
(ソプラノは少しだけかすれ声の印象でした)
最初こそ「不思議な作り方をするなあ」と思いましたが
曲中の音楽の違いを明確に表し、
後半へ行くにつれ、少しずつテンションを高く、
熱を加えていく曲想には説得力を感じました。
個性的な演奏でしたが、これはこれで!



さて、自由曲は注目の「ラプソディー・イン・チカマツ」から「貳の段」。
感想は ・ ・ ・


DVD観ましょう! …終わります。
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えーと次は九州支部代表 佐賀県












“アレ”を言葉で説明しろって無茶でしょ?!
またこの書き方かよ、とか言わないでー)


…みなさん、せめてハーモニー誌での「ある」の写真を見て下さいね。


入場する打楽器奏者のお二人が着物だったのに「これは…?」と予感し。


語りのリズムと旋律のレガートの対比が良く。
課題曲と同じようにソプラノは艶を消したように弱めで
全体に表現を抑えた静かな印象で進んで行く音楽。


ところが、演出、とこれはもう言っていいのか。
そんな言葉では表せないくらいの凄さ。
黒一色だった団体が極彩色の着物の集団に!
番傘を振り回し見得を切り、歌舞伎の蜘蛛の糸は飛び出す!
そして大奥の女たちに対し遊女の踊り、南京玉簾に纏は高く翻り・・・
見せ場の演出がひとつだけではなく、
合唱団のあちらこちらで同時進行している!!
過去のコンクールで、
ここまでのパフォーマンスをした団体はあったのか?と
唖然・呆然としてしまうほど。


もちろん「これじゃ演出と音楽、どっちが主だかわからないよ」
という声もあるかと思います。
ただ、私はこの演出を含めた「ある」のステージを高く評価したいのです。
演出は、確かにカオス一歩手前ぐらいに派手でしたが
音楽はそれとは全く対照的に静かで、抑えた表現でした。
これが音楽までダイナミクスの幅が広く
濃い表現だったら興醒めだったでしょう。


この「ラプソディー・イン・チカマツ」の「貳の段」。
個人的には濃厚な死の香りが漂っていると思うのですが
華やかな演出を「生」とするならば、
抑えた音楽は「死」。
その静かな音楽が背景にあるからこそ、
派手な演出が幻のような、冬の日の花火のような、
深い哀しさをもって胸に迫ってきたのです。


「生」と「死」の対比。
どんなに人が活発に明るく生きているように思えても
その裏側には必ず「死」が潜んでいること。


(楽譜が手元に無いので言葉を間違えているかも知れません)
曲終盤に万感の思いを込めて歌われた


「夢の夢こそあわれなれ・・・」


その箇所では死んでしまった知人たちや
儚い、人というものの生への想いが湧き起こり、
涙腺に来るものがありました。


それでも演奏が終わった後は
ペシミスティックな思いに囚われることなく


「生は一瞬! だからこそ楽しめ!!」


そんな前向きな自分に気づきました。
それは「ある」の本質がやはり、向日性とでも言うべき
生を強く肯定する団体、そして音楽だったからかもしれません。



名演は記憶に残ります。
ですから2003年の大久保混声と同じ曲を演奏するのは
不利と言えば不利。
しかし「ある」は演出の面では極限まで究め、
音楽の面では大久保混声とは全く違うアプローチで
この曲を表現しました。
2つの新しい側面から攻めた結果、
このステージは大久保混声のとは全く違うものになりました。


だからこそ、この「ある」の演奏は大久保混声と同じように、
記憶に残り続ける演奏になったと思うのです。





(続きます)