全国大会:一般の部感想<その11>

続いて
兵庫県(関西支部代表)
混声合唱団はもーるKOBE(混声65名)


課題曲はG2。
うむむ・・・縦の和音が大切なこの曲で
今ひとつ音程、ハーモニーが惜しいような。
サウンドがどのような狙いなのかも
私には見えず、残念。


ただ、優しい雰囲気、
フレーズの流麗さという横の線は
良かったように思え好感を持ちました。


自由曲はストゥルーブ「星々への信望」。
ううう・・・すいません。
予習のために曲名で検索して
かなーり上手い演奏を事前に聴いてしまい
どうもこの演奏では曲への掘り下げ、
イメージが不足しているよう感じてしまうことに。


大変分かりやすい曲なので
正攻法な演奏だと合唱団の地力が問われ
「…もう一味欲しいなあ〜」という気になったのかもしれません。
曲の持つ勢いは表現されていましたし
ピアニッシモからの静かなクレッシェンドも良く、
後半の静寂さを感じさせる雰囲気は
とても上手く表されていたような気がしました。





北海道(北海道支部代表)
THE GOUGE(混声50名)


初出場おめでとうございます!


服装は統一せず色々なスーツ姿や学生服、
セーラー服の団員さんもいるこの合唱団。


…えー、まず最初に謝らなければいけないのは
私はいわゆるジョイントコンサートなどの合同合唱、
公募合唱団などの
「短期で集まって練習する合唱団」の演奏に対し
心から湧き出るものがほとんど無い、のですね。


ひとつの合唱団として、固有の音、
表現を培い、確立させたものを伝えてくれることによって
合唱団と聴く側の私の間から、何か言葉が出てくる、と言うか。


そういう面でこのGOUGEの演奏は
私にとって「ひとつの合唱団」として認識されず、
残念ながら公募合唱団のような音に聞こえてしまい
演奏に対し言葉がほとんど出なかったのです。
申し訳ありません。


そして服装が統一されていないのは
それ自体は全く構わないのですが、
「THE GOUGEという合唱団固有の表現」として
元々受け止められない印象が、
統一されていない服装で、さらに増してしまったのです。


課題曲G4:上田真樹先生の「家居に」。
女声は声、表現共に硬い印象はありましたが
全般に素直な発声を目指しているようなことは
好感を持ちましたし
自由曲:信長貴富先生の「夏のえぐり」では
男声の弱音の説得力が欲しい部分もあったにせよ
その曲の持つ訴えは
団員みなさんへ浸透しているように思いました。
(ただ、この曲の良さ、というものが
 上記の理由もありますが私には理解不能でした…)
あと、女声の語りも良かったですね。


指揮者:平田先生の音楽性の確かさも感じましたし、
北海道で大型合唱団が誕生したのは本当に喜ばしいことです。


できれば「ひとつの合唱団」として練習を積むことで
「THE GOUGE」ならではのサウンド、表現を確立させ、
聴く者にそれを伝えて欲しいと願っています。




山形県(東北支部代表)
鶴岡土曜会混声合唱団(混声44名)


課題曲G1。
女声と男声の対比、というのかな。
混然となるのではなく


「女声がこう来たから男声がこう。
 男声がそう来たなら女声がこんな風に!」


…みたいな明確さが好印象でした。
テノールの軽やかさもあったし、
ホモフォニックな場所では力感も加わり
構成が上手い印象がありました。


自由曲:三善晃先生の「嫁ぐ娘に」から
「3.戦いの日々」「5.かどで」
うっひゃあ、コンクールでこの曲を今聴くとは!
(…って実は1月前に高松の全国大会にて
 「中学生の演奏」で
 この組曲を聴いていたりするんだけど 笑)


ソプラノが全体に細く、
高音域も辛くハラハラしましたが
バスのソロは良く
曲の持つイメージをちゃんと伝えてくれます。


(やっぱり良い詩、良い曲だなあ…)


と、しみじみ思えるような演奏でした。




そして前半最後の団体。
愛知県(中部支部代表)
岡崎混声合唱団(混声66名)


課題曲G3:音楽はそんなに変化せず
個人的な好みでは
弱音部に表現の深みが欲しかった気も。
ただ、声の統一感と
力強い発声の説得力は素晴らしかったです。
もう、最初の一声で
「上手い合唱団だな!」と思わせる力と言うか。


自由曲は「ラプソディー・イン・チカマツ」から「貳の段」。
これも力強い声に「うむ!」と頷いてしまうような。
ピアノからフォルテまで
その優れた発声のため変化が明確で安定感があります。
女声ソリも表現力豊かで
和音のそこかしこもピターッとハマり
さぞかし練習を積んだのだろうなあ、と思うほど。


ただ・・・ほとんどイチャモンで申し訳ないのですが
個人的にこの曲は「死」が背景にあるようなのに
残念ながら岡崎混声の演奏にはそれが感じられない。
つまり「曲の半分」だけを歌っているような印象。
コンクール的には3位金賞という結果にも
納得が行く大変優れた演奏だったと思うのに
私には「上手い」を越えるものを感じられない。


もちろんこれは私が
「貳の段」の理想の姿は
「生と死、表裏一体なのだ」と勝手に思っているからだろうし
大久保混声、そして直前に「ある」の同曲演奏を聴いていて
そのイメージを引きずっているからなのかもしれません。
岡崎混声を先に聴いていたら
「ある」への感想も変わった可能性もあります。


しかし、後半の手拍子などは
「ある」は観客も巻き込んだような空気を感じさせたのに
岡崎混声の手拍子は何故
「ステージ上だけでやっている」感があったのだろう?



誤解を招かないように何度も書きますが
岡崎混声がコンクール的に上位なのは
私も非常に納得が行っていますし、
優れた合唱団だということは全く揺るぎません。
演出もメリハリが効き、
歌を邪魔するどころか、
動きが声の伸びやかさをさらに増し
最後の「見得」も見事というしかない決まった!ものでした。


誰からも文句が出ないような「上手い合唱団」だからこそ
「上手いを越えた表現」を求めてしまうのは・・・
・・・やはり贅沢、ですよ、ね・・・。



(続きます)