2009年4月27日 19:00〜
倉敷芸文館
はじめっから書いちゃうけど
東京混声合唱団(以下、東混と略します)の演奏には
そんなに良い印象を持っていなかったのだ。
10年ほど前、名古屋や他の地域で2回演奏会へ行ったのだけど
個々人の能力の高さは「さすがプロだなあ」と思うものの
今ひとつ“合唱”としての響きが感じられなかったり、
ソプラノは高音域の安定感はあっても中音域に艶とふくらみが無かったり
バスは独特の喉で鳴らすような発声法がどうにも馴染めなかった。
(この記述はおそらく、いや確実に間違っていると思うが
良い表現が思いつかない・・・過去の東混の演奏を聴いた方は
ああ、あの発声ね、と理解してもらえることを願います)
何よりも、楽曲に対し、突き放しているような、
醒めた表現や空気が全体にあったのが私の好みでは無かった。
もちろんアマチュアと比べ、そんなに熱の入った演奏は
日常的に演奏する必要があるプロとしては難しいのも分かるが。
で。上記のような東混への不満を数年前、
合唱団MIWOの打ち上げで指揮者:大谷研二先生へ言ってしまった!
大谷先生は私の無礼な発言に対し、静かに、それでもキッパリと
「そんなことは・・・無いと思うよ」と仰られた。
いつもMIWOで素晴らしい音楽を私に聴かせてくれる大谷先生の言葉である。
信じないわけにはいかない。
そして今回の倉敷公演!しかも指揮者が大谷先生!!
前2回聴いたときはいずれも指揮は大谷先生では無かったのだ。
東混への印象を改める機会としては最高では無いか。
そんなわけで倉敷駅から美観地区を横目に10分ほど歩き倉敷芸文館へ。
白壁が目立つ、城のような洒落た雰囲気の建物である。
ホールは定員885名。
2階席は見ていないが1階席は8割ほど埋まっているよう。
入場から、観客へ笑顔を振りまきステージへ進む女声メンバーを見て
「…え? 東混、だよね??」
(すいません、失礼だとは思いますが前2回の経験からすると
あまりに意外だったもので)
そしてピアニストの湯浅加奈子さんに引かれて登場する大谷研二先生。
全4ステージ、最初の曲は
三善晃:作曲、谷川俊太郎:詩
混声合唱曲集「木とともに 人とともに」
女声18名が前列、男声14名が後列へ。
1曲目の「木とともに 人とともに」。
おー! この人数とは思えないほどの音が響く。
個々人の能力の高さはもちろん、その「喉の強さ」を感じさせ。
そしてソプラノが上手い。
以前気になった中音域はふくよかで艶があり、
全体にスッキリしたノン・ヴィブラートの聴きやすい声。
(バスはまだ特徴的な発声がやや残っていましたが・・・
ほとんど気にならない範囲)
さらに、なかなかテンポの早い曲だというのに
音程の精度が高く、そこかしこに三善作品の和音が聴こえ。
フレーズもリズミカルな部分からレガートへの切り替えが鮮やか。
これは・・・ほとんど別の合唱団だ・・・。
“プロの技”を存分に聴かせ、
最後は演奏会終わりのような力のこもったフォルテッシモ!
客席は大拍手! いや〜、最初からつかみますねえ。
ここで大谷先生、マイクを取り。
事故にあって体がこのような状態なのを説明し、
「今日が東混の(指揮者として)再デビューなんです」と語ると
客席から拍手が。
大谷先生「ありがとー!」・・・いいじゃん、倉敷のお客さん(笑)。
2曲目の「空」も、
(これは単純な技術面では無い、なかなかの難曲だと思うのだが)
余裕から生まれる表現は、この曲にふさわしい空気を醸し出すのだなあ、と思わせ。
3曲目の「生きる」はユニゾンの混じり合った声の説得力。
そして東混、こんなに日本語の発語が明晰だったかなあ?
谷川俊太郎の詩句が、音楽に乗って、心に響いてくる。
後半のヴォカリーズでの抑えた声の表現も意外だった。
声楽家が集まる合唱って、いつでもどこでも「声を主張」する印象があるのだけど
この演奏では良い意味で声を殺し、結果表現の幅を広げているようだった。
正直に書くと、私はこの曲を苦手としていて。
(三善先生の曲を聴く前に、このページでの
谷川さんご本人の朗読を聞いていたせいもあるかもしれない)
http://www.1101.com/com_aid2002/2002-09-27.html
しかし、この演奏ではヴォカリーズに現れるような抑えた表現のためか
不思議なほど心に染みいる演奏となった。
(続きます)