東京旅行記 その2「佐倉・川村記念美術館」


次に千葉県の佐倉市へ向かう。
佐倉って初めて行く土地なんだけど
車窓からの風景が本当にのどかな田園風景で少し驚く。
本当に東京から1時間も経ってないの?…みたいな。





着いた、佐倉駅! いい天気だなあ。
さて、目当ての川村記念美術館へは駅からバスに乗ります。
ただいま12時52分。
バス時刻表は、と。







12時50分・・・2分前に出発したのか!
次は・・・・・・・・・・・・・・・・・・1時間後。



一応、タクシーの運転手さんにも聞いてみる。
あのー、川村記念美術館ってどれくらいかかりますかね?
「20分ぐらいかなあ」
いや、時間じゃなくって。
「ああ、2500円ほどだよ」



…決定! 「バスを待つだけの簡単なお仕事です。時給2500円」


1時間後。暑さに溶けそうになった頃、バスが到着。


美術館の説明を車内で聞きながら25分後に美術館に到着。






美術館入口。








うお、すっげー!
池が!噴水が!鳥が!!


川村記念美術館は自然散策路も有名です。
DIC(大日本インキ)、凄い会社だなあ。





http://kawamura-museum.dic.co.jp/
(公式HPから)





驚いてばかりもいられないので、
美術館の中へ。


ピサロ、モネ、ブラック、ピカソ、レンブラントシャガール
目当ての作品は最後にあるので足早に通り過ぎる。



展示室の最後、これから観る2人の画家の説明を読み、通路へ。
控えめな照明、静まった空気。
今までとは明らかに雰囲気の違う通路。
左手にこの美術館へ来た最大の目的があるが・・・
始めは右手の2階への階段を選ぶ。






バーネット・ニューマン「アンナの光」
(ロングポストカードからのスキャン)



「ニューマン・ルーム」と名付けられたこの部屋は
バーネット・ニューマンの「アンナの光」一点のみを
展示するために設計され作られた部屋。



「絵画そのものがあり、それが独自の主題を持ち、内容を持つのです」
http://kawamura-museum.dic.co.jp/collection/barnett_newman.html


「カンヴァスの構造と色面の関係を厳格に吟味し、
視覚的な表現のみで自立する作品を目指した」という
ニューマンの制作の姿勢が到底私には理解できたとは言えないが、
芸術活動においてニューマンが最も大事にしていたという
「崇高さ」は
作品両側の窓から目に映る自然、
薄いカーテンを透かして入ってくる陽射しから
さらに際立つようだ。
なんて凄いプレゼンテーション!




「鑑賞」という行為そのものについて提示されたような
驚きを持ちながら階下の目的の部屋へ。
その部屋には、私一人。










ロスコ・ルーム
(ロングポストカードからのスキャン)




約2年半前のこの日記で記したように
http://d.hatena.ne.jp/bungo618/20080114/1200316706
この場所へ入るのを焦がれていたロスコ・ルーム。


全部で6枚の絵を1枚1枚、じっくり観て行く。
(…途中、床と同じ黒色の低い敷居に気付かず
 絵に近づき過ぎ注意される)
見終わり、さらにもう一度。


2年越しの願いがかない、見終わった感想は・・・



「うん、絵だな」


というものだった。
いや、はるばる千葉まで来てその感想は無いだろうよ!
と、自分でも思うけど。だってさあ、
「ロスコ・チャペル」での感想を読むと
ロスコの絵を観て泣いちゃう人だっているみたいなんだもん。
もっと、こう、観た瞬間に涙があふれる!などの
劇的な体験を期待してしまっていたのだ。
「うん、絵なんだなあ・・・」



ふう、と息を吐き、中央に据えられたソファに座る。
座った視界へちょうど収まるように、
ロスコの絵が入ってくる。



あああ、疲れたな、今日は飛行機や仮眠でうたたねした以外
全然寝てないしな・・・。
緊張を解いた状態で、そのままロスコの絵を目に入れる。
見ているのではなく、単に視界に入ってくるだけ。



窓枠のような曖昧な暗色の長方形が
くすんだ黄色のような、オレンジ色のような光で囲まれている。
そういえば、この絵に似たような景色をいつか見たような…。



突然、その時の風景、いや体験と感情が甦ってきた。
10数年前、仕事を失った時。
昼夜逆転し、陽が傾いた頃にのっそり起きだして
カーテンから漏れ出す西陽を見ていたあの日。
思い出したくも無かったあの時の記憶と感情。
今の今まで忘れていたはずなのに。


鼓動が少し早くなっているのがわかる。
ゆっくりと左隣の絵に視線を移す。
「観る」んじゃない、「視界に入れる」んだ、と自分へ言い聞かせて。
これは、もっと幼いあの日。
夜が明ける前の暗闇でひとり目覚め、
父も母もいないのがわかり不安になった時。
右隣は、巨大な赤茶けた錆びた鉄板。
棄てられた工事現場へ入り込んだ少年時代・・・。



絵を触媒とし、過去の体験が波紋を呼び、
自分の中で共鳴しているのを感じる。
目の前の絵は、絵であると同時に、
自分自身を映すスクリーン。


さらに次の絵は・・・と視線を移したときに
2人組の中年女性が喋りながら入ってきた。
甦った記憶は嘘のように遠くなり、
その時の感情がわずかに漂い残っているだけだった。




もう一度、ロスコ・ルームの6枚の絵を入り口から眺め、
通路を戻りながらつぶやく。「これは、凄い」



私の体験に「自己暗示なのでは?」と疑問を持つ方もおられるだろう。
そうだ。そういう側面があるのも否定はしない。
ただ、夕焼けが多くの人に
郷愁や切なさなどの共通した感情を及ぼすのと同じように、
ロスコのあの色面、タッチ、グラデーションなどが
観る人に共通したある感情を及ぼす可能性も否定できないだろう。


ロスコの自死の一因が
「医者から1m以上の大作の制作を止められ絶望していた最中だった」
という話もある。


「夕暮れどきに感じられる悲惨、
恐怖、挫折といった感覚を作品に込めたい」
そう語ったロスコ。
実物を前にしたあとの感想は、
そのような感覚を引き起こすための
極めて意識的な絵の大きさ、色、グラデーションやタッチなのだと感じる。



川村記念美術館を出て次の日、
知人と飲み会の席で同じくロスコ・ルームを体験した女性に


「あの部屋は年代で感じ方が変わるのよ。
 積み重ねたものが絵から返ってくるのよ」


そんな意の発言を聞いた。
いま目の前のこの風景、この記憶、この感覚も、
時が経ってまたロスコ・ルームへ入ったとき、
ロスコの絵から甦ることがあるのだろうか。
自分でも忘れていた記憶が甦ることがあるのだろうか。



いつか、きっとまた行こう、ロスコ・ルーム。