京都国民文化祭「合唱の祭典」




土曜から月曜まで京都へ行って来ました。
そう、「国民文化祭 合唱の祭典」のため。


日曜の午前10時から午後7時まで
日本全国の合唱団25団体が出演する大イヴェント。


全団体を聴いたわけでもないのですが(…すみません)
コンクールとは違う「お祭り」として、
メモも書かず、楽しくリラックスして聴いていました。




会場の京都コンサートホールでは
マスコットキャラの「まゆまろ君」がお出迎え。
中には「蚕」が入っているのだとか・・・うげぇ。
(じゃああの目のようなものはそう見える模様なだけだな、きっと)



演奏で印象に残った団体を短めに記していくと
京都西城陽のカラオケ伴奏による「タマシイレボリューション」は
ダンスが滅茶苦茶凄かった!
演奏はコンクールの全国大会で一度聴いたように思うけど。
こんな合唱団だったんだね〜。
住友金属混声合唱の「やわらかいいのち」は
曲の良さが非常に伝わる演奏。
岐阜のCoro Giovanniはペンライト?の演出がお洒落。
信長先生の「ほほえみ」という曲でもその洒落っ気を良く伝える演奏。
佐賀のMODOKIは歌いだすとざわついていた会場が
一瞬で集中した空気に変わったのが、さすが。
隅々にまで神経が通っている「風紋」で
「あなたは風」で身を乗り出して聴いていた隣の女性は
コンクールとは違い音楽をゆったりと変えた「おやすみ砂丘」で
目を閉じリラックスして聴いていたのが印象深かったです。
なにわコラリアーズは大横綱の演奏。
「Set down Servant」は
ソリストも含め往年のグリー調を思い出させるワクワクさせる演奏。
偽ヨイクは何度も体験している演奏だけど、
やっぱりあの演出と表現力はウケるし楽しいよね!
会場中、大盛り上がりのなにコラステージでした。
おかあさんコーラス2団体合同の
京都:フラワー・コーラス&Frisches Ei
演出、ダンスがプロ的な水準。
こういう比較的大人数のダンス、動きって難しいと思うのに
非常に洗練されていました。
宮崎学園は熱の入った、力強い声で
Nコン課題曲と高嶋みどり先生の「父の唄」を演奏。
Nコンは人数制限があるから全員乗れて良かったね〜とか思ったり。
徳島男声合唱団「響」
演奏前に指揮者の白神さんとお会いして
「…お耳汚しですが・・・」などと言われましたが
いや、良かったですよ!
「阿波」の「たいしめ」は自分たちの故郷の歌としての説得力が。
北川先生「歩く」、松下先生の「今、ここに」も
リズムに乗り、フレーズで揺れ、体全体で表現する姿が自分たちの歌としての雰囲気。
「コンクール」と「お祭り」の違いとは?なんて考える今回の機会だったけど、
「響」は間違いなく「お祭り」にふさわしい、好感が持てる演奏だったと思います!
三重のヴォーカルアンサンブル《EST》はコンクール課題曲&自由曲をそのまま。
技術力の高さを感じさせる演奏で、
自由曲ではコミカルな演出もありました。
全国大会まであとどれほど磨かれるか、期待ですね。
長野の合唱団まい
「指揮者の雨森文也先生は日本でもっともご多忙な合唱指揮者で…」と
司会の方が紹介されているのに雨森先生歌い手の中に入っているので
「・・・誰?」という会場の雰囲気に(笑)。
信長先生「白い雲」、
フォーレのマドリガルも平林知子さんのピアノが良かった。
あとやっぱり、シャンソン:Costeleyの「恋人よ、薔薇を見に行こう」は
素敵だったよなあ〜。
感情と音と言葉が密接に繋がり、決して切り離せない。
「オトナ」の雰囲気が濃密に漂い、ここだけお酒が欲しくなっちゃう(笑)。
おっさんおばさんがどんなに若ぶっても若者には勝てないんだし、
じゃあ長く生きてきた分で得たものを音楽に活かそうよ!
…と勝手にそんなメッセージを受け取りました。
P席に陣取っていた宮崎学園高や他の高校生たち、
人数が少なくても、合唱を続けていればこういう世界があるんだよ?
まいの演奏から、何か伝わっていればいいな・・・。
大トリは京都エコー
三善先生の「生きる」が大変、そのメッセージ性が伝わる演奏でしたね。


後は全体合唱で、岩手の不来方高をステージに上げたのは
京都エコーのおっさんたちが女子高生と手を繋ぎたかっただけじゃん?!
…とか思ったり、
「京都 大原 三千院 恋に疲れた女がひとり〜♪」の「女ひとり」を
女子高生も混じえて会場中で歌うのはシュールだなあ、とか思ったり。


でも、「合唱のお祭り」って「お祭り」「フェスティバル」と銘打っても
私はあまり「お祭り」の雰囲気を感じたことがなかったんだけど、
今回の合唱の祭典は、その雰囲気を感じられて楽しかったなあ。


おかあさん、職場、大学生、高校生、そして一般、という団体が
混じり合っての祭りというのもその理由だし、
全体合唱が主にポピュラーソングをユーモアたっぷりの先導で
演奏したというのもあるし。
あと、司会の足立さんが今回企画のMVPだと思いますよ!
合唱団に対し、的確で愛情あふれる紹介をし、
ユーモアを交え、機転が効いたその司会ぶりは
間違いなく「お祭り」の雰囲気に大きく貢献していたと思います。


関係者のみなさま、ありがとうございました。
合唱の良さ、楽しさを大変実感できた素晴らしい企画だったと思います!



それでは最後に、
聴いた中で私が最も印象に残った団体の感想を。
岩手県の不来方高等学校音楽部の演奏。


雪や氷を連想させる透明な、凛、とした声から生まれる
PaulmichiのAve Maria
そして雪原に光が射した時のように明るく輝くデュファイ。
この2曲だけで、人の声の美しさと強さに打たれ。


そして中島みゆきの「時代」。
最初、ヘンな振りだなぁ、と思ったら、
これは手話コーラスなんですね。
「今はもう、こんなに悲しくて 涙も枯れ果てて
 もう、二度と笑顔にはなれそうもないけど・・・」
絶望と、それを時が癒やす希望の歌。
「今は別れた恋人たちも 生まれ変わって巡り合うよ」とか、
どうしても「死の別れ」を深読みしてしまう。
自分でもセンシティブかなあ、と思うけど。
でも今年のNコン中学課題曲「証」も、
中学生は歌うのは辛かったと思う。
そういう捉え方になってしまう「今」なのだ。


そしてトドメは「瑠璃色の地球」ですよ。
今まで女声に溶け込んでいた5人の少ない男声からイケメンヴォイスで
「…夜明けの来ない夜はないさ」と歌われてごらんなさいよ!
それを受け継いだ優しい女声を聴いてごらんなさいよ!



「ふるさと復興の祈りをこめ」た4曲のラスト。


「朝陽が水平線から光の矢を放ち 二人を包んでゆくの 瑠璃色の地球


もう、会場中が涙、涙。
そりゃ会場中、目に手を持っていく人があふれるわ。鼻をすする人も多いわけだわ。


純粋に音楽としての実力の高さ。
そして絶望と、希望の光を、
歌として確かな説得力で伝えてくれた不来方高には本当に感謝です。






最後に不来方高指揮者:村松玲子先生のこの言葉を転載しますね。

歌でおなかはいっぱいにならない、でも歌ってみよう。
心が満たされるかもしれない。
歌で電気は点かない、でも歌ってみよう。
心がぽっかり明るくなるかもしれない。
歌で瓦礫は片付かない、でも歌ってみよう。
心が洗い流されるかもしれない。
(不来方高校・村松玲子先生)