「コンクール出場団体あれやこれや:出張版2011」(その10)


青森の天気予報を見ると
http://weather.yahoo.co.jp/weather/jp/2/3110.html
19日、20日ともに曇り時々雨ですね。
傘が必要なようです。
最高気温は19日が19度、20日が8度。
最低気温は19日が6度、20日が2度と
20日の日曜日はかなり寒くなりそうです。


そして出演者の方へ注意として
「練習場所の学校施設などは床面が非常に寒いため
 温かい室内履きと場合によっては
 足に貼るカイロも必要かもしれません」
…との文も目にしました。


防寒に気をつけて、最高のコンディションで
本番に望みたいものですね!



さて今回は、私が書き手だった
「文豪の部屋」HP(※更新停止)内の
http://alpin.lolipop.jp/
とあるコンテンツが8年ぶりに復活します。






12.佐賀県・九州支部代表
MODOKI
(混声40名・13年連続出場)




<合唱団訪問記>
 MODOKIさんの巻



2011年10月29日、午後6時を少し回った頃。
まだ夏のように蒸し暑い暗闇の中。
京都府立大学のキャンパス。
今日のMODOKI練習場所である第二体育館の多目的室を探す。


サークル練をしばらく横目に見ながら奥へ奥へ入っても
それらしき建物が見つからない。
不安に思い始めた時、前方から歌声が。


多目的室の中へ入ると
練習指揮者のおよいけさんが発声練習をしている。
少し遅れて、指揮者:山本啓之さんが到着。
この日の練習は男声14人、女声8人。
女声は明日3人増えるというが、
それでもフルメンバーが約40人のMODOKIにしては、少ない。
この時期、大学生の団員は
掛け持ちしている他団の活動が忙しく、
今日の練習は社会人しかいない
「アダルトメンバー」ということ。


明日、京都の国民文化祭「合唱の祭典」で演奏する曲は
石井歓先生作曲の「風紋」から2曲。
練習は「おやすみ砂丘」から始まった。



最初の、気合が入った女声(団員は全員立っている!)の
「おやすみ砂丘」初めから山本さんの鋭いダメ出しが。


「お《よ》すみ砂丘、になってる!
 口をいっぱいにして開けて歌うんじゃなく、
 口を硬めにして声を一定に鳴らしながら語りかけてよ」


「やっぱり『あ』の母音が全部抜ける!」


「『ここへ来ぬまに』って《こ》ばっかりやけど
 おんなじ《こ》が3つ並んだって
 意味が違うんだから子音の分量が変わるでしょ!」


日本語の曲ということで、発語に対する
細かく具体的な指示がどんどん飛ぶ。
テンション高く、流れを止めず、気になったらすかさず指示。
そしてタメ無く、すぐ歌わせる。


あらかじめ書いておくのだけど
文字に起こすと、山本さんの指示は
練習見学時よりもかなり厳しい印象になってしまうのだが、
実際の練習の雰囲気では、
集中しているが緊迫はしていないし暗くもない。
それは山本さんのキツい言葉が軽い口調なのもあるし
「「お《よ》すみ砂丘」の指示の後に
「この世(よ)の中に用(よう)が無い人はいらない!」…などの
軽口、ギャグを頻繁に挟むためでもある。


「団員との信頼関係もある、かな?(笑)」
…とは後に聞いた山本さんの説明。


そもそも「怒る」という行為は山本さんも好きでは無いようで


「技術的なもので怒る気は一切ないよ。
 ただ、精神的にダラけているのだけは腹が立つ」と語ってくれた。


そして
「音楽的にできないから怒る、というのは指揮者の負け。
 自分からなんも発信できんから怒る、ということやから。
 『怒る イコール 自分の能力が無いです』だと自分は思ってる」


団員が一生懸命やっているのに怒る、
というのは時間の無駄という発言も。
「怒る暇があったら練習しよ!」
時間がもったいない、と。


さすが、月に1回しか練習がないMODOKIと思った。
どんな手を使っても良くする。
あくまで前へ進む。
倒れるときでも前のめり、と。
(そしてMODOKI以外の他団体への指導時は
 山本さんは言葉も雰囲気も
 全く厳しくないことも記しておきます。
 それはまるで別人のように 笑)



山本さんの指示はもちろん発語だけではなく、
和音についても。


「その音の属性ってどっちか知ってる?
 みんな前の属性の終わりやと思ってないか?
 だから終止に聞こえるんや」
「ベース、第3音だけ歌い方変えんかったらハモらんよ。
 アルトはその代わり根音なんでしっかり鳴らしていかんと!」
「ここは不安定な和音なのに
 何も感じていない歌い方で雑になってる。
 次に解決し、安定した和音になるのを分かってよ!」



他に音程、リズム、発声に関しても非常に細かい指示が。
最初、不思議に思ったのは歌い方について
山本さんはあれだけ細かい指示を出しているのに、
先生と学生などの関係団体ではよくあるような
「指揮者の歌マネ」とMODOKIの演奏は全く違う。
演奏の隅々まで神経が通っているが
同時に団員さんそれぞれの自発的な歌が入っている印象。
これは不思議だ、何故だろう…?と思いつつ見学していると
疑問が解決した。



「テノール、なんで2回目の『Lululu…』でテンションが下がるわけ?
 2回繰り返す音楽の意味があるでしょ!
 こんなシンプルな譜面だから
 繰り返す時になんかないと面白くないよ、考えてよ!」


「百万本の・・・『ひゃく・まん・ぼん』
 …言葉を平均に歌ったらおかしいやん!
 ひゃくまんぼ…までちょっと動いて
 助詞の《の》をキチンと歌うとか工夫してや!
 人間の歌にしてよ、機械じゃなくって!」


「テノールにはespressivoだけでmoltは付いてないわけね。
 だからクレッシェンドの幅もどうしたらいいか
 考えないといけん!」


「考えてよ!」「工夫してや!」「もっと頭使って!」…等々。
団員さんに考えさせ、自発的な歌を引き出す。
つまり、山本さんが団員の手を取り目的地まで引きずる…のではなく、
目的地を示し、そこへ行くための助言を山本さんはするが
実際目的地に向かい、足を踏み入れるのは団員、ということ。



「こうしてこうしてこうしなさい!と
 最初から最後まで指示を出せば早いけど、
 やっぱり団員に考えてもらいたい」と、山本さん。


「イメージを作るのはみんなに任せないとね。
 もっと小さくして!大きくして!…とか言うのは簡単やけど
 それは指揮に合わせているだけであって
 歌う側から出てくるものは何もないよね」


「あくまでも演奏する団員への演出指導であって、
 自分が音楽を作っているという気持ちはあまり無い」とも。


そして一番山本さんの考えが現れていると思ったのは
練習中のこの発言。


「そこは指揮で示してないでしょ。
 なんで指示しないかと言うと
 自分たちで考えて欲しいわけ」



・・・なるほどなあ。




フォルテの指示を出した後、
その後のピアニッシモも前の勢いを引きずる団員さんを止めて


「アっホやなぁ〜〜〜」と山本さん苦笑い。
見学している私へ突然向いて
「文吾くん、分かってくれる?
 こんな連中を相手にして練習する辛さを!
 これ、しっかり書いといてね!!」


今度は団員さんが苦笑い(笑)。



本番前日とは言え、
団員さんは自分たちのパートが休みでも漫然とせず、
他のパートの音楽、指示をしっかり聴き、
自分のパートへ活かそうとする。
自分のパートが始まる何小節も前から
身体は歌う体勢、準備が備わっている。さすがだ。



ちょっとだけ疲れてきた練習の後半は
「コンクールの時は自然の情景・摂理と
人間の愛情の中間点を取っていたけど
今回は全くそんなつもりは無い!
自然の風景なんてどーでもいい!!
《エロ〜く》行きましょうっ!!!」
…と山本さんがさまざまな具体例を出して練習は笑いの連続。
そのひとつを書こうと思ったけど
このブログが18禁になってしまうのでここまで!



密度が濃く、スピード感があり、
集中し、そして非常に熱い2時間練習でした。



翌日、本番。
かなり客席が埋まった京都コンサートホール。
まだざわついていた客席が
MODOKIの演奏が始まると、
一瞬でステージに観客の耳目が集中し、
静寂の中、MODOKIの音だけが響く。
「あなたは風 あなたは来る 暗い海を渡ってくる…」


言葉、音の隅々にまで神経が通った、
熱く、血液の流れを感じさせるその歌。
そして「おやすみ砂丘」では
男性である風が愛する女性の砂丘へ
柔らかく眠りに誘うような大人の雰囲気。


最後の音が空間へ吸い込まれ、
MODOKIの作り出した風と砂丘の愛の世界が消えて行くと、
眠りから覚めたような観客から大きな拍手が沸き起こった。















<山本さんへインタビュー:コンクール編>



練習後、打ち上げの京都駅に近い居酒屋で
山本さんへ今年のコンクールについて話をお聞きしました。
なお山本さんはバリバリのネイティヴ讃岐弁なので
「読むと、高飛車な印象になるのでは?」と
このインタビューを読んで心配されているのですが、
ご本人は大変紳士で人当たりの良い方なので
誤解なきよう!(笑)




今年の課題曲はG2のハイドンを選曲されたわけですが、
これはなぜですか?



「うーん、課題曲で恋の歌が出た時、
 MODOKIは結構それを選曲しててさ。
 ホラ、coolinとか」



あ〜、coolin!あれは良い演奏でしたねえ。
(2006年熊本全国大会のG2。
 S.Barber作曲「The coolin(巻き毛の娘)」)



「で、今年のG2も恋の歌じゃん。
 こりゃ、やらなあかんやろ、ってね」



やらなあかんやろ(笑)。



「あとね、ハイドンの曲は滅多に演奏できんよ」



それはそうですね。



「ハイドンの作品に真剣に取り組めるコンクールという機会。
 この機会を逃したら、ひょっとして一生ハイドンに
 触らんかもしれん、とか思ったから」



あー、その可能性はあるかもしれませんね。


 
「それにコンクールはやっぱり、
 やったことがないのをCHALLENGEしていくことに
 意義があると思ってさ」



おお、今年も「CHALLENGE!」ですね。



「・・・そう思って選曲したら、エライ目に遭った」



エライ目って(笑)。



「やっぱり様式感とドイツ語の発音というものね」



難しそうですね。
かっちり様式を守るのと、
自分たちの音楽とのバランスをどこで取るか…。



「G2をやってみると、
 ドイツ語の発音が凄く音楽に関わってくるのが分かるわけよ。
 イントネーションで音楽が作られているとか。
 そのことが分かっていなくて音楽を作っても、
 良い音はしないんだな」



は〜。



「やりがいはある曲よ。
 やる団体が少ないのも分かるけど(笑)」



一般の部ではAグループはゼロ。
BグループではMODOKI含めて3団体だけですね。



「まだ全然仕上がってないんやけどね。
 九州大会が終わって、
 合宿を経て、ようやく少し見えてきたかな…。
 でもそれじゃいかんから、練習のほとんどは課題曲!」



えっ、そうなんですか?!



「課題曲の最初の2小節に2時間かけた時もあったなぁ。
 それで自由曲はちょこちょこ〜っと(笑)。
 もちろん両曲とも密度は濃くやってるつもりやけど」



その自由曲なんですけど、
A.Brucknerの
Christus factus est(キリストは我らのために)1曲のみ。
これはどういう理由で選曲を?
そして1曲だけなのはどうしてですか?



「自分はね、『Christus factus est』と
 他の曲を組み合わせる気にはなれんかった。
 これが一番大きい理由かもしれん。
 あの曲の前にも後にも何かを付けようという考えは
 自分の中には無かったな。
 例えば違う作曲家との組み合わせとかもね。


 あと、今年は東北での全国大会ということで
 やっぱり『祈り』を込めたいな、という気持ちもね…」



「日常」である恋の歌のG2と
「死」という対照的な自由曲になりますね。



「生と死、と言うか、ね。
 もちろんブルックナーにも『生』はあるけれど
 やっぱり
 『キリストは、我らのために、従順になられた』という言葉。 
 当然軽くは言えんけど、
 あれだけ多くの亡くなっていった人たちの意志は?と考えると
 その意味というのはおそらく
 生きている人たちが受け継ぐということだと思う。
 亡くなった人たちの意志は
 生きている人たちにずっと繋がっていくはず…。


 そう思うと、キリストが己を低くして、
 死を受け入れ、天に召されるという部分に
 想いが重なる部分が・・・。
 今は、祈りたい、という気持ちが強いかな」



祈り。



「そう、深いところへ入っていける曲、ね。
 それで実際練習してみると
 深いよ〜。とんでもなく深い!」



深いですか!



「も〜う、深い!
 どこまでやんねや!みたいな(笑)。
 進行していく和声にしても凄い意味があるし
 音の重なり方、言葉が進む行き方、
 転調による色合いの微妙な変化とかね。

 
 遠目で見ると、凄く大きい構築感があるけれど
 じっくり見つめていくと、
 実は内在しているものは
 凄く細かく緻密に書かれているんだよな。


 人間の生きていく上で、
 複雑なものを内包しながら進んでいく、みたいな。
 それは本当にタマランくらい素晴らしいんだけど」



おお。



「…素晴らしいんだけど、
 それが音にならんのよ、悔しいことに!(笑)」



(笑)



「現代曲に比べれば
 ブルックナーは音数が少なくてシンプルなのかもしれんけど、
 その書法の中にいろんなものを
 積み重ねていってるということを考えると
 やっぱり名曲は名曲と思うなあ。
 1800年代の後半から歌い継がれてきたわけやからね。


 聴いてもらう人に『名曲』と感じてもらえるのも大事だけど
 まず、歌う側がそういう名曲に触れるのが
 いかに大事か、ということやね。


 刺激的な現代曲に触れるのも大事かもしれんけど、
 内在している深いものがある曲に触れるのも
 今のMODOKIには大事なことかな」



MODOKIのこれからを考えた選曲という意味合いも?



「それもあるかもしれんね。
 まあ、最初文吾くんが言った
 『Christus factus est、1曲なんですね?』
 という言葉に対する理由が
 聴いてもらえれば分かる演奏をするのがベストだね」



おー、それは確かに!
「なるほど、これは他の曲はいらないわ!」と。



「言うのは簡単だけど…そうなればいいけどね(笑)。

 
 …こうやっていろいろ言ってきたけど、
 結局はどう人に感じてもらうか、演奏が全てやから。
 まだまだ甘いけど、
 精一杯、曲を見つめて、良い演奏がしたいね!」



がんばってください!
山本さん、ありがとうございました!





さて、MODOKIには応援メッセージが届いています。
まずShoさんからのメッセージは

こんにちは。
私は宮崎で開かれた九州コンクールに出演しましたが、
MODOKIさんの演奏には脱帽しました。
圧倒的な差を付けられ、
正直「参った」という思いもありました。
また青森のステージでも、
MODOKIさんらしい音楽を奏でて下さい!
どうか敗れた私達の分まで歌って下さい!

そしてノース・エコーのPさんから
「MODOKI の S・M さんへ」って、
これまるっきり私信じゃん!
締めがコレなのはどうかという気もしますが、
ある意味MODOKIらしくっていいか!(笑)
S.Mさん、そしてノースのPくんも
「史上かつてない2次会」では
ハメを外しすぎないようにね!

あなたと初めて会ったのは
岡山全国大会のノースの2次会でしたね。
ノースの団員の中にあなたが一人いて、
「どうされたんですか?」と尋ねると、
「あれ?ここMODOKIの2次会じゃないの?」と
勘違いから始まった友情。
歌仲間と言うよりは、飲み仲間。
昨年佐賀で開催されたコーラスガーデンでは
前日に博多で飲みすぎて、
あなたは翌日遅刻していきましたね。
ノースの演奏会を聞きにわざわざ名古屋にも来てくれて、
その後にまた飲みすぎて
翌日の飛行機に乗り遅れそうになりましたね。
MODOKIさんが今回演奏される自由曲は、
私が学生の時に京都エコーさんとのジョイントで歌った
思い出深い曲であるだけに非常に楽しみにしています。
そしてS・Mさん、また史上かつてない2次会でビール浴びようね。
翌朝ちゃんと家に帰れますように。

そう言えば「史上かつてない2次会」を始めたのは
このMODOKIでした。
「なんてことを始めるんだ?!」と最初は周りから驚かれていましたが
その意志を全国の各団体が受け継ぎ、今年で6回目になります。


 「コンクールは競うものだけど、
  終わった後はノーサイドとして
  合唱団の垣根を越えて交流を深めようじゃないか!」


山本さんのこの言葉は
人との絆を大事にするMODOKIという団体を表していると言えます。
今回の「キリストは我らのために」へ込めた祈りが
さらに絆を強められることを願って。