「コンクール出場団体あれやこれや:出張版2011」最終回


青森在住で合唱する方の
「我侭勝手日記」というブログを紹介されたんですが
http://ryozie.seesaa.net/
「あおもりガイド」という記事が大変役に立ちます。


そこで記されていた情報に

風邪をひきこんでは一大事、
恐らくあったかい服装で来られると思いますが、
手早く脱ぎ着することで調節できる格好が良いです。
外は寒いですが、基本、
北国のインドアは暖房が効いて暑いのです。
用心のし過ぎで、ヒートなんたらみたいな
防寒・発熱素材をあまりに重ねて着ちゃうと
大変なことになります。
ただ、新幹線でお出でになって
在来線乗り換えで青森駅に移動しようとされている方。
在来線ホームはふきっさらしで超寒いのでご注意を!


ああ、札幌での全国大会を思い出すなあ。
関東、西日本の方には想像しづらいと思いますが
北国では暖房はかなり強めにかけるんですね。
だからこちらのブログで書かれているように
簡単に脱ぎにくい服を着ていると
女性は大変なことになる、という・・・。


防寒には注意しても脱ぎやすい服を!
(え?もう青森入りしている人がいるって?!)





さあ、ラスト3団体です!
この3団体は、なんと自由曲すべて信長貴富先生の作品。
しかも最後の2団体は今年の委嘱初演曲!
前代未聞のこの全国大会《冬の信長まつり》、
最初の団体は・・・





13.岡山県・中国支部代表
合唱団こぶ
(混声51名・3年連続出場)



合唱団こぶ、昨年の演奏は
課題曲G2は女声の表現力が素晴らしく、
自由曲のドヴロゴスは小気味良いリズムが大変魅力的でした。
年々、若々しい実力合唱団へ成長されていると感じます。


今年の課題曲はG3「父の唄(高嶋みどり)」
自由曲は宮沢賢治:詩、信長貴富:作曲
混声合唱とピアノのための「春と修羅」より「II」。


団員の藤原さんからメッセージをいただきました。



今年はコンクール自由曲に高い表現力の求められる
「春と修羅」を選曲し、
その世界観を表現しようと必死に練習に励んでいます。
東北から世界中の人々の幸せを願った宮澤賢治の作品を
いつか演奏したいと思っていました。
宮澤賢治詩の作品はいくつかありましたが、
信長先生の作品に深く共感したこと、
そして深い表現力が求められるこの作品を通し
自分たちの殻を破りたいと、取り上げることにしました。
全国大会出場にあたり、地元総社、県連の方々など、
大変多くのご支援、ご声援をいただいています。
深い感謝の想いを乗せ、
8ヶ月間深く愛したこの作品の真髄を
精一杯体現する15分間にしたいと思います。


宮沢賢治は東北:岩手県の詩人でしたね。
この曲は昨年、岡崎混声合唱団が演奏されていましたが
初演団体VOX GAUDIOSA演奏会の
プログラムから再度抜粋しましょう。

 「修羅」は仏教思想における六道(天・人間・修羅・畜生・餓鬼・地獄)の一つで、人間と畜生の間に位置し、常に戦い合う世界とされる。これに対して「春」は涅槃(悟りの世界、究極の理想の境地)の象徴である。この二つの相反する要素を対立させながら、宮沢賢治は自分=修羅の精神世界を描いている。身悶えしつつ思いが抑えきれず溢れ出したような、エネルギーに満ちた詩だ。(中略)


 曲は単一楽章で、いくつかのシーンに分かれているが続けて演奏される。冒頭、地の底から聞こえてくるような呼吸音に始まり、生命が誕生の叫びを上げる。灰色の世界から輝きの春の世界へと、音楽は次第に色彩感に満ちていく。日本の伝統音楽的な粘着質の音使いと、そこから解放されたロマンティックな音響の対比が、音楽的な特徴と言えるだろう。曲中しばしば登場する「ZYPRESSEN」という語句は本来「糸杉」を意味するドイツ語で、宮沢賢治は音楽的効果をねらってそれを用いたと言われている。私も語義にとらわれず、春の輝きを象徴する響きとしてそれを曲に挿入した。(後略)


(信長貴富・初演プログラムより抜粋)


さて、藤原さんに合唱団こぶの紹介もお願いしました。

今年は団発足19年目、
高校生から50代までの過去最多の62名の団員が在籍しています。
毎年、仕事や進学の関係で入れ替わりの多い合唱団でしたが、
最近は社会人になっても続ける団員が増え大変嬉しく思っています。
19年目の今年の平均年齢は21.5歳です。


おお、平均年齢が若いですね!
そういえば前から気になっていたんですが
なぜ「こぶ」という団名なのでしょう?

「こぶ」の名前の由来は、
指揮者「大山敬子」の敬子の頭文字「K」と、
敬子のもとに集った教え子「OB」たちの文字をつなげ、
「KOB=こぶ」となりました。
実際のところは教え子ばかりではなく、
他校で中高時代に合唱をしていて入団した人、
社会人になってから初めて合唱を始めた人などいます。
私も前者で実際のOBではありません。
もう10年ほど在団していますが(笑)。
先日は全国大会出場にあたっての、
朝日新聞社の取材でも答えています。
http://mytown.asahi.com/okayama/news.php?k_id=34000281110280001


なるほど、そんな理由が(笑)。
数年来の疑問がこれで氷解しました!


最後に藤原さんから

紹介文にも書きましたが、
入れ替わりが激しく、なかなか力がつかず、
私自身団の様々な状況を見てきたので、
2009年に初めて全国が決まったときは、
歓声よりただただ言葉なく涙が溢れたことをよく覚えています。
今年は「ある」さんと一緒に
全国の舞台に立てることが決まった時には、
対照的に歓声でした。
HPの掲示板に
「同じテキスト・作曲者で前後ですよね。
 コンクールというよりも、
 コンサートのような空気を感じてもらいたいなー」と、
あるの団員さんからメッセージをいただきました。
本当に偶然。ぜひ実現させたいなぁと思います。


「ある」には「作られて間もない『ある』を思い出す!」として
合唱団こぶを応援している人が何人もいるとか。
今回の全国大会も「ある」の団員さんたちは舞台袖で
きっと「こぶ」の演奏を見守っているのでしょう。




写真は昨年の5thコンサートの様子です。

藤原さん、ありがとうございました。
「コンクールというよりも、
 コンサートのような空気を感じてもらいたい」
素敵な願いだと思います。
厳しい冬の青森へ、
若いこぶの春の息吹を送って下さい!








そして同じ中国支部代表。
自由曲のテキストも作曲者も同じ団体の登場です。





14.広島県・中国支部代表
合唱団ある
(混声52名・3年ぶりの出場)



3年ぶりのコンクール出場となる「ある」。
コンクールへは参加していなくても
福山でのコロフェスタに参加したり
佐賀でのコーラスガーデンに参加したり
活発に活動を続けていたのですが。
しかし、なぜ3年ぶりにコンクールへ?


合唱団ある、今年の演奏曲は
課題曲はG4「やわらかいいのち」
自由曲は信長貴富:作曲
混声合唱とピアノのための音画「銀河鉄道の夜」。
意欲的な委嘱作品とウワサに聞くこの自由曲。


選曲理由、そして自由曲の聴かせどころ。
さらに3年ぶりのコンクール出場の理由まで
指揮者の松前良昌さんにメッセージをいただきました。


課題曲の選曲理由は…色々考えて…悩んで…これにしました。
(答えになっていない!?)
自由曲の選曲理由は…「銀河鉄道の夜」を東北で歌いたいから、
コンクールに出場することにしたのです。


自由曲の聴かせどころですか…全部です。ホントに全部です。


今年6月に委嘱初演した作品です。
本当に素敵な曲で…
東北で歌いたい! コンクールで歌いたい!と、
信長先生にお願いしたところ、
the“Express”version を作ってくださいました!!


この曲は、宮沢賢治の物語や詩をもとに作られました。
ススキの穂が揺れる中をガタンコガタンコと銀河鉄道は進み…
ざわざわとした風がいつまでも体中を廻るような作品です。


ケンタウルス祭の夜、子どもたちの歌声…
三角標が次々と近づき、通り過ぎていく…
北いっぱいの星空…
ギイギイフウと銀河鉄道の出発…
軽便鉄道がガタンコ・ガタンコ…
どこからともなく星めぐりの歌…
ほんとうのさいわい…
ハルレヤ…


ここまで公開していいのかなぁ…(^_^;)




「銀河鉄道の夜」を東北で歌いたい!
広島の私たちが賢治の故郷東北の地で歌うこと…
それは願いであるとともに、
遠く離れた仲間を想い、
自ら結んだささやかな約束でもありました。
賢治の不思議な世界観と
信長氏の音楽が融合した
素敵な「音画」を皆様にお届け出来れば幸いです。



ということで、今年もはじめは
コンクール出場予定はなかったのですが…
1月…「銀河鉄道の夜」という
本当に素晴らしい曲が生まれました。
はじめは、この素敵な曲を広めたいという気持ちから、
コンクール出場を考えました。
3月…東北で歌いたいという強い願いになりました…
祈りかもしれません。
ぼくが、是非とも東北で歌いたい!と言い出したところ、
代表をはじめ、役員・技術部会、
そして団員の皆さんが理解・協力してくださった次第です。
強行日程の方も大勢います。本当にありがたいことです。
そして、信長先生には、様々な場面でご協力いただきました。
東北で素敵な演奏をして、恩返しをせねばなりませんね。


このような経過から、
3年ぶりにコンクールへ出場することとなりました。
この素敵な作品の良さをしっかり伝え、
一人でも多くの方に楽しんでいただければ幸いです。

松前さん、ありがとうございました!




「銀河鉄道の夜」を東北で歌いたい!


さまざまな思いがこめられた、力強い願いだと思います。
宮沢賢治の生まれた岩手・東北の地がなかったら
「銀河鉄道の夜」も、そしてもちろん
信長先生のこの作品も生まれなかったんですね。


全国大会本番まで
「銀河鉄道の夜」(青空文庫)を読んで
http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/456_15050.html
予習しなければ!



応援メッセージも届いております。
歌姫のもりおかさんから

「ある」は「歌姫」にとって特別な存在です。
今、こうして「歌姫」が活動を続けられているのも
「ある」のお陰かもしれません。
ご無沙汰してしまっていますが、
私は広島の皆さんとともに頑張っているつもりです。
都合によりB部門の演奏は聴かずに帰りますが、
どうか「ある」らしい温かい音楽を会場に届けてください。


もりおかさん、ありがとうございました。
「合唱団こぶ」にとって「ある」が特別な存在であるように
「歌姫」にとっても、「ある」は特別な存在であるようですね。




最後に、松前さんに写真をお願いすると。
銀河鉄道の初演の様子です、として







・・・・・・!
これは素晴らしい。
「ある」の時だけでも、
運営さんに照明の許可をもらいたいくらいです(笑)。


あるの「東北でこの曲を歌いたい」という
強い願い、祈りが音になって
銀河鉄道をホールに出現させますように!








2011年度全日本合唱コンクール・青森全国大会、
いよいよ最後の団体です。





15.東京支部代表
合唱団お江戸コラリアーず
(男声80名・3年連続出場)



今年のお江戸コラリアーずの
課題曲はM3:冬・風蓮湖(岩間芳樹詩/高田三郎曲)
自由曲は信長貴富先生への委嘱曲
「Sämann-種を蒔く人」男声合唱とピアノのための


団員の村田さんからメッセージをいただきました。

昨年10月、東日本合唱祭にご招待いただき、
岩手県一関で歌う機会を得ました。
その翌日には宮城県仙台で、
ご当地の合唱団Palinkaさんと共に野外ライブを行いました。
今年3月には、音楽都市こおりやま 全国合唱祭にご招待いただき、
福島県郡山で歌わせていただきました。


一関の東日本合唱祭と郡山の全国合唱祭に
招待いただけるような合唱団になることは、
目標のひとつでありましたため
それらがまとめて叶い、
準備は大変ではありましたが、
現地では非常にあたたかい歓待をいただき、
関係者の方々には大変お世話になり、
多くのお客様からあたたかい拍手をいただけたことは、
貴重な財産となりました。


郡山での演奏の、その5日後に、あの大震災。
立て続けにお世話になった
岩手・宮城・福島が大変な被害に遭われている。
震災当日にテレビで流れていた津波の映像を見た時は、
まさに呆然と立ちつくす他ありませんでした。



その後は東京においても、計画停電や節電の影響もあり、
練習場所の確保が難しい状態になりました。
もちろん東北の状況には比べるべくもありませんが…。


なにより、この状況下で歌など歌ってる場合か?
との葛藤もありました。
でも……。



「お江戸」と冠していますが、団員の多くは東京以外の出身者で、
現在は東北出身者が一番多かったりします。
東北在住の団員もおります。
今回の震災の後、仕事を辞め東北へ戻った団員もおります。
また、関西出身者も多く、
阪神・淡路大震災を体験している団員は
また別の想いを持っていることでしょう。


もともと好きで歌ってるに過ぎず、
「何かのために」だけで歌ってるわけではありません。
歌を歌ったところで腹がふくれるわけではないし、
ましてや失われた命が帰ってくるわけではない。
でも、それでも……。




週末に集まって歌を歌う。
たったそれだけのことが、
実はとても幸せなことなのだと気付かされました。
その幸せを噛みしめながら、
やっぱり僕達は歌うしかない。歌い続けたいのです。


今回、震災後最初の全国大会が東北での開催であることは、
もちろん偶然ではありますが、
ある意味必然であったのかもしれません。
そして出番が最終日の最後であることには深い意義を感じています。


合唱が盛んな東北という地。
そこでお世話になったり、そこから発信されるものに
大きく影響された方も少なくないでしょう。
私もその一人です。


そして震災後、おえコラによる「くちびるに歌を」の公開は
震災に心痛める人たちを慰めたと思います。



さらに村田さんへ今年の委嘱曲についてお聞きしました。


自由曲の「Sämann」は信長先生に委嘱し、
8月の演奏会で初演したばかりの曲です。
作曲のお願い自体は1年前に行っておりますので、
震災をうけての委嘱というわけではありません。
ですが、その過程で震災があり、
震災後に作曲されておりますため、
テーマがそこから生まれていることは必然であります。


テキストは旧約聖書の詩篇126番からとられており、
全編ドイツ語で歌われます。


詩篇126番に行き着く理由については、
初演時の信長先生の文章に尽きます。


2011委嘱曲紹介:Sämann ─種を蒔く人─(作曲 信長貴富)
■名付けられない感情



■種を蒔くということ

http://oekora.net/content/view/185/1/
(文吾注:リンク先の信長先生の文章を
 是非、是非ともお読み下さい)
(↑ ※時が経ちリンク切れになっていたので、お江戸コラリアーずさんがご提供のポストから、画像を転載させていただいています。2023.11.19)
 



6月に楽譜をいただいたその日のうちに、
自宅でピアノで爪弾いてみたのですが、
率直に言って、
その音から感じたのは「絶望」あるいは「破滅」。
特に最後の「froh」(=喜び)のテキストに書かれていた
fffで伸ばされる音は9声部のクラスターで、
まさに「絶望」な音でした。frohなのに!
ところがです。
初めて合唱でテキストをつけて音にしてみた時、
そこには希望の光が確かに聴こえたのです。
人の声とは、かくも素晴らしいものなのか、と
感じた瞬間でもありました。
様々な感情が入り混じった音を感じていただけるか、
聴き所であるといえます。


連続的な母音変化による倍音唱法や、
合唱でピアノの弦を共振させ残響を作る、
といったような特殊な技法も聴き所のひとつです。


ピアノパートにも、
特定の音のみ弦を開放させておき
鍵盤を弾いた音とは違う音の残響を作る、
といった奏法も多用されております。


7部、4部、13部、3部×2群、3部×3群、と
多様に変化する声部と、
移り変わる旋法の変化
(オーソドックスなドリアンモードから見たこともないモードまで様々)、
それによる響きの違いも面白い点です。
これは並び方を考えるのに一苦労ですが。


中間部には、
9パートのSolo、
そこに被さってくる9パートの2Soli、
さらに被さる9パートの合唱(しかも各自ランダム)、
という、演奏に何人必要なんだ!?という部分があったりもします。



いろいろな想いは全く抜きにしたとしても、
聴き所満載の曲となっておりますので、
ぜひ興味をもっていただけると嬉しいです。


もちろん最大の問題点は、
これらの聴き所をちゃんと表現できるかどうか、なんですが。


何はともあれ、
3年連続で全国大会に出場させていただくことができ、
本当に嬉しく思います。
しかも会場が東北の地であることには、
先述のとおり深い感慨を禁じえません。


皆様の心に、東北の地に、何かしらの種を蒔くことができるよう、
精一杯歌いますので、どうぞよろしくお願いします。
そして全国の皆様とお会いできることを楽しみにしております。


村田さん、ありがとうございました。
さて、今年8月のおえコラ演奏会を聴かれた人が
このような感想を書かれていました。
ご本人の許可を頂いたので転載します。


委嘱初演作品「Sämann -種を蒔く人」には圧倒された。
作曲者・信長貴富先生の様々な想いと迷いが
直接表現されたかのような重苦しさ。
一見難解だが流れにはむしろ乗りやすく、のめり込んで聞く。
正確なところは楽譜を読んだり、
他の演奏も聞いてないとわからないけれども、
お江戸コラリアーずの演奏も、
熱い共感に支えられると同時に、
見通しの利いたよく練りこまれた演奏だったと思う。
曲の力をしっかりと伝えてくれた。
そしてアンコール。同じく信長先生の新曲、「ワクワク」が、もう…
あの凄まじい曲のあとに、「種蒔けば芽が出るさ」…と、
「当たり前のこと」を、
軽妙洒脱ないつもの「信長節」に乗せて歌われたりしたら…
涙が止まらないじゃないか!
多くの人にとって「当たり前の日常」が奪われた事、
しかしそれはまた続いて行くという事実、
「当たり前」の尊さとしたたかさ…
そんな様々な事が、「Sämann」にもたらされた
「名付けようのない感情」を貫き、
照らし出されるようなカタルシス。
「当たり前」への賛歌。
これはぜひ一度はセットで聞いてもらいたい。


村田さんはメッセージの中でこう書かれていました。


演奏会時にSämannのアンコールというかたちで
初演させていただいた「ワクワク」という曲、
コンクールでは演奏しませんが、
Sämannとはある意味、対になっている節が感じられます。


これはカワイ出版の「歌おうNIPPON」プロジェクトに
信長先生が提供された曲ですが、
「種蒔けば芽が出るさ」から始まるこの曲では、
「腹が減りゃメシを食う」だの「風呂入りゃ髭を剃る」だの、
ごく当たり前の日常が並べられただけなのですが、
それだけなのに深いのです。
「ごく当たり前の日常」というものを
普通に過ごすことができるのは、
本当はとっても幸福なことであることを
気付かされずにはいられません。
また、テキストの出発点となっている「種を蒔く」には、
やはり特別な意味を感じさせられます。


こちらも併せて聴いていただけると嬉しく思います。


タネまけば芽が出るさ
芽が出れば花が咲く
花が咲きゃ実がなるよ
実がなればタネになる
ワクワク ワクワク


(中略)


哀しけりゃよっぱらう
よっぱらや歌うたう
歌うたや泣けてくる
泣けてくりゃ笑っちゃう
ワクワク ワクワク  



「ワクワク」 谷川俊太郎


あたりまえの日常を生きることの素晴らしさ。
そして、その生きることを繋ぐために
「種を蒔く」ということ・・・。


お江戸コラリアーずの強い実感、
そしてそこから芽吹いた願いと祈りがホールに満ち、
東北の地へ、そして
聴いている私たちへの種となって蒔かれますように。










これで一般A部門15団体、一般B部門15団体。
併せて30団体の紹介記事を終了します。







「ありがとうございました」


最初から最後までこの連載をお読みになられたみなさん、
そしてご協力頂いた合唱団のみなさん、
さらに応援メッセージを寄せていただいたみなさん、
本当にありがとうございました!


今回はどうしても連絡がつかない2団体を除き、
ほぼすべての団体に紹介文を依頼した結果、
なんと24もの合唱団の方から
文章をいただくことができました。
もう一度、お礼を申し上げます。
ありがとうございました!


今年の「あれやこれや:出張版」、
実はやるつもりはありませんでした。
全国大会に参加するのも含め、
聴き続けて10年以上になるから
そろそろ1年ぐらい休んでもいいのでは、と。
大分市民合唱団ウイステリア・コールがコンクールを休んで
ヘンデルの「メサイア」なんて素敵なことをするから
http://www.wistaria-chor.net/wismain.htm
青森へ行く費用をコチラへ回して
メサイア聴いて別府温泉・・・いいんじゃない?!
などと思っていたのでした。震災までは。


「月曜の朝、午前3時」というブログの
「歌のちからは」という記事で
京都での国民文化祭の私の感想を紹介されているんですけど、
歌の力が現実に影響を与えるか?というテーマ。
そこに「信じたい」という言葉があったんですね。


「信じる」ではなく「信じたい」。
この言葉に震災後の
合唱へ対する私の思いは集約されるような気がします。


「歌の力を、信じたい」


信じる、と強く言えるほど
その土台となった日常や常識は今、強固ではない。
信じる、と強く言えるほど
見通しの良い未来が開けているわけではない。
揺れないでいられる自分がいるわけでもない。
こうだと思った考えが次の瞬間に否定され、
また違う考えが出現し、否定され肯定され…その連続。


もちろん「信じる」と強く言える方を否定するわけではありません。
しかし弱い私には、その言葉は絶対言えない。


「信じたい」という言葉からは控えめな、
そして同時に「では信じるために何をすれば?」という
自身への問いかけが潜んでいるような気がします。
それは「信じる」ことへの漸近線かもしれない。
どんなに行為を積み上げても、
決して「信じる」には至らないのかもしれない。


それでも「信じたい」私は何かをすることにしました。
「何をしよう?」
「何ができる?」それが今年の「あれやこれや:出張版」です。


しかし、この企画を省みるに
コンクールへ出場すること自体がベストかどうかはわかりません。
現に、今までコンクールへ出場していたある団体は震災後
「この時期に競うことに意味はあるのだろうか?」と
出場を止めてしまったそうです。
さらに今回の企画では「音楽のメッセージ性」を
大きく取り上げることになりましたが、
ある指揮者の方から
何かのメッセージのために音楽を利用することへの疑念を
呈されました。
どちらの意見も、頷けますし、
尊重されなければならないと思います。


ただ私は、震災後、全国大会へ出場されるみなさんの歌が、
どう変わったのか、変わらなかったのか、
それとも変わろう、あるいは変わらないでいようと思ったのかを
知りたい、と強く思いました。
そしていただいたみなさんの言葉をこうしてブログへ載せ、
それぞれの想いを共有することで
深まり、歌の力になる「なにか」があるのでは、と。
そしてその力は現実にも「なにか」をもたらすのでは、と。


ナチスの強制収容所を生き延びたV・E・フランクル氏の言葉で
「私は人生にまだなにを期待できるか」と問う必要はなく、
「人生は私になにを期待しているか」と問うだけだ。
というものがあります。
その言葉を借りるなら、
今まで私にさまざまな喜びを与えてくれた合唱というものに
今度は私から
「合唱は私になにを期待しているか?」と問おうかと思いました。
「合唱へ私はなにができるだろうか?」とも。


各合唱団を紹介し、
みなさんの想いをまとめたこの連載が
はたして「歌の力」を後押しするかどうかはわかりません。
それでも「歌の力を信じたい」がために、
「私はなにができるだろうか?」と問い、精一杯やりました。
限られた時間の中、反省も多々ありますが
これが乏しい私の能力の全部、すべてです。




最後に、この文章を読み終えたみなさんへ
私からお願いしたいことがあります。
たったひとつです。
私と同じことです。


「合唱へ私はなにができるだろうか?」


そう、自分へ問いかけて欲しいのです。



私は、歌の力を、
みなさんが歌う力を、信じたい。



青森でお会いしましょう。
ありがとうございました!