東京混声合唱団いずみホール定期演奏会No.20感想




東京混声公認ブロガー:わたべくんが
既に詳細なレポートを記してくれたので、
私なんかが書くのは意味ないと思うのだが、


【東京混声合唱団いずみホール定期演奏会No.20】
(ブログ:まふゆのとおせんぼ)
http://shotawatabe.blogspot.jp/2015/09/no20.html


(演奏会終了数時間後に
 あれだけのレポートを上げられたら
 なすすべもない。
 正に「ブロガー殺し」恐るべし…)

今さらながら思ったことをいくつか。

 


⚫︎三善晃先生の作品

「嫁ぐ娘に」も「クレーの絵本第2集」も全曲を、
ここまでの水準の生演奏で聴くのは初めて。
どちらも名曲なのは当然だが、
改めて生で聴いて思ったのはその響きの新鮮さ!

特に「嫁ぐ娘に」は
第2部で演奏された現代までの邦人作品の
どの作品よりも耳新しく響いた。
今年作曲された作品と言われても信じられる…
とは言い過ぎだろうか。

言葉の扱いが非凡なのは書くまでもないが、
他の多くの作曲家が
「詩に寄り添って」作曲された体なのに対し、
三善先生は詩を自分の内宇宙へ取り込み、
詩と音楽が一体化した新しい「三善晃宇宙」として
創出されているような印象を受ける。
(ただそれゆえに、その音楽が詩世界と一致しているか?
 となると疑問が浮かぶ作品も。
 よく演奏される谷川俊太郎氏の「生きる」も、
 作品が生まれる際の先生のご意志や、
 音楽の素晴らしさは認めるものの、
 谷川俊太郎ご自身の朗読から入った身としては、
 詩に対し、どうしても悲しみが勝ちすぎている気がしてならない。
http://www.1101.com/com_aid2002/2002-09-27.html
 ↑ リンク先
 「ほぼ日刊イトイ新聞:好きな人の言葉は、よく聞こえますか。」
 谷川氏ご自身の朗読で「生きる」が聴けます)


生演奏で聴くことで、
ステージで輝く和音の煌めき、
各パートに配された旋律とリズムの躍動が、
実に生命感を持って聞こえたのは得難い体験だった。
それも楽譜を深く読み込んだ大谷研二先生と
その要求を現実のものとした東京混声の団員さんのお陰であろう。


「嫁ぐ娘に」「クレーの絵本第2集」
両作品とも終曲が特に感銘を受けた。
繰り返されるさようならと
万感の思いがこもった指揮と女声の表情。
クライマックスに迫る和音の温かさは
私を泣かせるのに充分だった「かどで」。

切迫した「死なねばならない」と
バスの激しいヴォカリーズに拮抗する
悲痛なソプラノの「せめてわたしのほねのみみに…」。
圧倒的な音圧と
それでも消えない弱音の妙が印象的だった「死と炎」。
どちらももう一度あの場で聴きたいと思わせる演奏。




⚫︎歌い、聴き慣れた(はずの)演奏

廣瀬量平「海はなかった」、
平吉毅州「ひとつの朝」は自分も歌ったことのある曲だが、
懐かしさに浸るよりも「こういう曲だったのか!」
という驚きの方が強かった。
それは荻久保和明「IN TERRA PAX」など特に。
「IN TERRA」では中間部の対位法が丁寧に演奏され、
表題のフレーズとの対比が効き
「こんなに良い曲だったのか!」と。
今まで中学生の爆発的な演奏しか
聞いたことがなかったもので(笑)。

思い入れだけが過ぎて平坦になる演奏ではなく、
1曲を通した構成をしっかり考えた演奏。
特に感心したのは主旋律とBGMの意識が明確なこと。
主旋律が弱音でも子音の立て方でハッキリ聞こえる。
また他のパートがBGMにふさわしい音色を揃え、
主旋律を聴く耳を持っていること。
それぞれのパートのデクレッシェンドを
「繋ぐ」ことによって、長い音楽を作っていること…。

歌い、聴き慣れた曲だからこそ、
見落としてしまっているものがあるのでは。





⚫︎「良い発声」と表現すること

その一方で木下牧子「方舟」の演奏では
最初にやや違和感を感じた。
アマチュアの演奏では数多く聴いている名曲だが、
東京混声の演奏は
緊張、焦燥のような空気が少ないせいだろうか・・・。

しかし、聴いていくうちに、
この「方舟」という曲は
アマチュアでは「緊張、焦燥感を出さざるを得ない曲」
というのを思い出した。

速いテンポで奏でられる音域の広い、変拍子のリズム。
各フレーズの入りに
余裕を持てる合唱人は少ないのでは。

意識しない、再現性の少ないものは「表現」とは呼びにくい。
曲の持つ難度によって得られる「緊張、焦燥感」は
はたして「表現」と呼べるのだろうか?

 

さらに、
ハイアマチュアの特に発声にこだわっている団体の演奏が、
「良い発声」にこだわるあまり、
表現が単一のものになり、
平坦な印象になってしまうことがあること。


曲の世界を表出するためには、
単純な「良い声」の先に、
さまざまな音色、子音などの
無数の選択による「表現」があるのではないか。

そういう視点で聴くと、
東京混声の演奏は体幹をしっかり保った上で、
「方舟」にふさわしい世界を「表現」していた。

 



⚫︎斎木ユリ先生のピアノ

最近聴いた合唱演奏会では、
やはり大谷研二先生と合唱団MIWOの
三善晃「五つの童画」で
合唱と対峙する真剣勝負の雰囲気だった
浅井道子先生のピアノも良かったが、
この日の斎木ユリ先生のピアノも
萩原英彦「ふるさと」の前奏と間奏は、
観客をそれぞれの故郷へ戻すほどの力だったし、
松下耕「信じる」間奏の
オルゴールの響きを連想させるものは、
本当に印象的だった。

・・・お江戸コラリアーず打ち上げで、
この方にビールを注いでいただいたのを
一生の思い出にしよう(笑)。




●聴き終わって

大変良い企画だと思った。
前述しているが、
ただ思い入れを込めて演奏するのではなく、
しっかりした解釈と演奏で
聴き慣れた曲でも新鮮に「名曲だ!」と
思わせる指揮者:大谷研二先生と
東京混声合唱団の力。
合唱って良いものですねぇ!と素直に思いました。

他にも取り上げられていない作曲家、
同じ作曲家の違う名作も多々あるだろう。
また数年後に
「愛された日本の合唱曲選2」なんて企画が行われたら
是非とも聴きに行きたい。

あと、わたべくんも書いていたけど
「この曲の後にアンコールは…(できない)」と
最後に演奏された「くちびるに歌を」。

ずっと椅子に座って指揮をされていた大谷先生が、
クライマックスで立ち上がり熱く振る!滾りました!

 

 

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大谷先生、いつまでもお元気で!