合唱団訪問記:VOX GAUDIOSAさん その4

 

 

 

合唱団訪問記、VOX GAUDIOSAさんの最終回です。

 

 

 

 

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「合唱団訪問記」

「VOX GAUDIOSA」さん訪問記その4



 

 

 

 

 さて、「ヤコブの息子たち」の練習も終了して
5分ほどの休憩の後、16時5分から自由曲1曲目の
ペトル・エベン
「De circuitu aeterno(永遠なる循環より)」

 再び椅子を並べ、最初のように女声が前で座り、
後列に男声が並ぶ、という形態。

 松下先生、先ほどの明るい雰囲気からガラリと変え
一転して重い語り口。

 この曲、音楽もそうだが
厭世的な厳しい部分が感じられるテクストだ。
(しまこさん註:この原題をつけたのは作曲者Ebenだと思われますが、
 テクスト自体は、『旧約聖書』にある「伝道の書」
 (「コヘレト書」、“知恵文学”ともいわれる)の冒頭、
 第1章の数節に基づいています)


 「太陽のもとには新しいものはなにもない
  時代は去り 時代は来る
  かつて存在したもの それはまた未来にも存在する
  かつて行われたこと それはまた後にも行われる
  太陽のもとには新しいものはなにもない」



 アメリカでのテロ事件、そしてその後の空爆など。
 …現在の状況と比較して、松下先生は
 「運命が進んでいく非情なさま」とそれに対抗する「人間のあがき」を
歌に映し出そうとする。
 (テンションが上がってくると、短く鋭い指示が増えてくる!)


 そういえば最初の方で

 「中の上、ぐらいの実力の人達」と失礼にも思っていたが
練習が進むにつれて違和感を感じるようになってきた。

 「もしかして、相当上手いんじゃ? この方たち??」

 音程の捉え方や声の伸びや響き、
側で見て聴いていると、かなりの高レヴェルに思える。

 でも
 「上手いっ!」
・・・とちょっと聴いただけでは思えないんだよな。なんで?

 練習中、とあるパートの歌に松下先生

 「上手くやってるように見せよう。
  キレイに見せよう。
  …というのは自分のための歌だよ。

  他の人のために!
  ・・・という歌ではないね」


 そうだ。GAUDIOSAの歌、というのは
これぐらいのレヴェルの歌い手なら必ず身につけているはずの、
「フレーズの綾」というか細部の「上手さ」「キレイさ」が
あまり見えない。

 フリルのひらひらが無い、というか(笑)。
 例えるなら洗ったままの“”だ。
 一見質素に見える布だが、手に持って良く眺めると、
とても神経を凝らして織られたのが良く分かる。

 普通なら持っているはずの“飾り”を捨て、
それでも敢えて、つよく、まっすぐな声を選ぶ。

 そんな声であり歌のような。


 話は変わるが32人、という比較的少人数でも
個々の力量を確かめるためか、音が合わないところでは
男女・パートをシャッフルして歌わせたり、
「生まれつきが奇数・偶数!」で分けて歌わせたりさらに
「学生と社会人!!」で分けて歌わせたりする。

 そこで、たった一人のテナーになってしまった
M大学グリー団員でもあるY君。
 いきなりのソロに戸惑って、ややヘロヘロになってしまった。

 松下先生
 「それじゃダメだね。
 ひとりで歌うか100人で歌うかは問題じゃないんですよ。
  歌い方は同じでなきゃいけない。

  …それを日本の合唱は逆に捉えるわけだね。
  『みんなでガンバロウ』って。

  根底に『自分』がないところで、みんなとやろうとするから
 他がうまく行かないと、自分もうまく行かなくなる。

  まず『自分』が動かすこと。
  それは一人でも100人で歌っても一緒!」

 さらに松下先生
 「合唱、というのは指揮者がパイロットで操縦、歌い手が乗客。
  じゃなくって。

  歌い手一人一人が全員パイロットの
  <ブルーインパルス>…みたいな編隊飛行じゃなきゃいけないんだよね。

  みんなが『右曲がるぞ!』って時に
  その内の一機が『どうしようかな?』って心が定まっていないと
  “ボンッ!”とぶつかって(笑)死ぬわけですよ。

  ・・・指揮者はどういうフォーメーションで行くか、
  どっちへ進むか、
  操縦方法をどう教えていくか、と考え、後ろで見ていて。

  先頭に立って操縦していくのは
  (団長・副団長のしまお・しまこさん方を指し)だったりするんだよね」

 そう言った後で、Y君を含め、ソプラノ以下各パート一人ずつで
カルテットで歌わせる、と。

 「全然違うよ!
  それでいいんだよね!!
(拍手)」

 意地悪い見方かもしれないけど。
 ・・・厳しい言い方の後のこういうフォローが
「サっスガ~」って思ったなあ(笑)。

 ちゃんと団員さんを名前で呼びかけ、しっかり覚えておられるようだし。
 (ちなみに耕友会、約150人のメンバーのお名前も、全て覚えてるそう!)

 団員を“いじる”のを含め、歌い手を気遣う 『愛』 があるって感じ。

 当たり前だけど、やっぱり凡人と違いますねえ~~(笑)。


 17時に練習終了!

 この後の食事中での松下先生へのインタビューでも
思ったのだけど。

 松下先生はご自分の“裡”に対極や異なるものを置いて、
その中で自分のありようを決めて行っている、ように思われる。

 それは「斉藤メソッドの指揮法と独自の指揮」であり
 音律で言えば 「平均律と純正調」。
 音楽への姿勢は「理論と情熱」。さらにご自身の肩書きも
 「作曲家と指揮者」・・・という二つの側面を持っていらっしゃる。

 練習中も団員に緊張を求める時もあったが、
なにより個性的だったのは、松下先生との笑いが多く混じった
緊張と全く対極の『リラックスしたやり取り』の中で、
自分自身の歌、を個人個人がどう決めていくか。

 ・・・その姿勢にとても感心してしまった。

 たいていの合唱団では「リラックス」は、
次の「緊張」を、より効率良くするためのもの、
と捉えているかもしれないが。

 GAUDIOSAは、緊張は緊張。
 リラックスはリラックス、とそれぞれの雰囲気から出る長所を
最大限活用しているように思える。

 また、その雰囲気が、観客に緊張を強いず、自発性のある
 『VOX GAUDIOSA』の演奏に、とても役立っているのは間違いない。

 若いメンバーが多く、飾りのほとんどない演奏に、まだ物足りなさを
感じる部分は確かにあるかも知れないけれど。

 まっすぐに、素直に、自分自身の歌を見つめ、
松下先生という指揮者の素晴らしいセンスに真摯に応えていく
VOX GAUDIOSAの『これから』が大変楽しみだ!


 現在、そして未来に大いに期待して良い合唱団、だと心から思う。


 団長・副団長のしまおさん、しまこさんをはじめとする団員の方々。
 (丁寧なメールでのご返事と、楽譜を全て用意してくださった!)
 そして、松下先生。

 この「合唱団訪問記」は「ハーモニー」誌の過去の特集である
「クローズ・アップ」を参考にしているが。

 それとは別に「教育音楽」誌の過去の連載「音楽する仲間たち」で
青島広志先生と隔月で交互にレポートを書いていたのが
(その当時、現在の私の年より若い 笑)
『松下耕先生』である!

 取材する団体を見つめる、誠実で優しい筆致に
どれだけ影響されたか分からない。

 札幌での学生であった過去から、現在に至るまでを思い返し
深く深く感謝の意を捧げたい。


 ありがとうございました!




 <余談ですが・・・>

 練習中に松下先生、GAUDIOSAの方から何回か聞いた言葉が
 「今日は雰囲気が違うね」

 あまりにも先生と団員とのボケツッコミありありの練習風景を拝見して私。
 「ふーん。今日は特別にハシャいでるのかな?」と思ってた。

 練習見学後、お礼のメールをしまこさんに送ったところ
返信のメールが。



>先日は、長時間の練習におつきあいいただき、
>どうもありがとうございました。

 いえいえ。とんでもないです!



>全国前というのに、あんな(?)雰囲気の練習で、
>面食らわれたのではないでしょうか。

 まあ、確かに~(笑)。



>いつもは
 ほう。「いつも」は?



>もっといろんなツッコミの応酬があって、
>あれでもちょっとだけ、
>「よそ行き」モードが入っていたんですが…。

 

 

 

 

 ~~!!


 ・・・恐るべし「VOX GAUDIOSA」
 普段は一体どんな練習をしてるんでしょうか。
 想像するだにオモシロイ、いやオソロシイ気がしてくるのであった!



 (おわりっ!)

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『2001年コンクール全国大会感想:特別編』


 その6日後の土曜日。
 福島県は郡山市文化センターにて、大学の部の後
一般の部、Aグループ:コンクール全国大会の発表が行われていた。

 6番目の出演で、黒の衣装に身を包み、
腰回りには金のアクセサリーをしたGAUDIOSAのメンバーが出てくる。

 とても落ち着いた感じの「sicut cervus」が終わり
自由曲1曲目の「De circuitu aeterno
          (永遠なる循環より)」。 
 緊張感が言葉の扱いや旋律に厳しさを与え、
スピード感あふれる流れの上に、
引き出しの多い表現が次々と繰り出されていく。
 かなり完成度の高い演奏だ。

 そして「Jaakobin isot pojat(ヤコブの息子たち)」

 山台を使って、1列に半円状に並んだGAUDIOSAから
男声ソロそれぞれ、「ヤコブの息子たち」の名前が
連続して会場に響き渡り、合唱に引き継がれる。

 「ナニがおこったんだっ?!」という観客の緊張感は、
頭をぐるーりと順々に端から回して行き、最後の人で奇声!…などの
演技への笑いにあざやかに変わっていく。

 会場中に広がる、さざ波のような笑いを感じながら
自分自身も口元には笑みを浮かべ、
…しかしこぶしは固く握りしめられている、
という笑いと緊張の不思議な対極の中にいた。

 ステージの上で。
 あの『自分から』楽しんでいる表情はどうだろう。
 やらされ…ではない、思い切りの良さ!
 “表現したいっ”という情熱がそのまま体の動き、声に直接つながって。
 そしてそれらを支える、圧倒的な音程感覚や声たち。

 笑っている観客を視界に入れながら、
なぜだか熱いものが込み上げてくるのを感じた。
 それは羨望の感情であり、
素晴らしいものを与えてもらっている喜びでもあった。


 着地に備え、靴を脱いでいた男性のジャンプと着地も見事にキマり
さまざまな演技が怒濤のように押し寄せた後の一瞬の静寂の後。

 団長:しまおさんの、美しいファルセットが会場に響き渡った・・・。


 演奏終了!
 終礼も、中央から順々におじぎをしていく
 『コスティアイネン式おじぎ』で、いつのまにか端に並んでいた
松下先生も深く礼をした瞬間。

 熱狂的な拍手と。
 指笛と、『ブラボー!』の声が、会場のいたるところで
いくつもいくつも、そしていくつも湧き起こっていた。


 「楽しい歌を歌える合唱団にしたいですね。
  厳しさも含めた楽しさを。
  …それも国際的に。

  一部の人じゃなく、
  たくさんの人が楽しめるような」


 “GAUDIOSAのこれからの夢を”と尋ねたとき
松下先生はこう答えられた。

 …松下先生のこの願いは、かなり実現されているのではないだろうか。
 それはあの会場にいた、大多数の人間が同意してくれると思う。


 人を喜ばせるには、まず自分自身が楽しまないと。
 ・・・そんな言葉がとてもよく似合う合唱団だ。
 


 団名の『VOX GAUDIOSA』は・・・改めて言うことでもないが。

 意味は 『喜びの声』、である。


 心からの『喜びの声』が聴く人に伝わった時、
 それは喜びの連鎖となって、次につながる。

 会場中に広がった喜びの波紋を感じながら
 そのきっかけとなったGAUDIOSAの演奏に。


 大きく、
 手が痛くなるまで、
 最後の一人が見えなくなるまで、
 拍手を、し続けた。



 (おわり)


 <追記>
 『VOX GAUDIOSA』は第54回全日本合唱コンクール一般Aの部で
 『金賞・文部科学大臣奨励賞(1位)』を受賞しました。
 さらに2002年にエストニアへの演奏旅行が予定されているそうです。