ひなまつりジョイントコンサート 女声合唱作品見本市 感想

 



【出演団体】
monosso
VOCI BRILLANTI
女声合唱団ぴゅあはーと

【日時】
2019年3月3日(日)13時半開演

 


合唱団が集まるジョイントコンサート。
しかし、一般の女声合唱団だけのジョイントコンサートはあまり聞かないような。
敵地へ出向きいざ勝負!な大学の伝統を受け継ぐ男声合唱と比較し、女声は開催しても市内、広くても県内の団体が集まって…そんなイメージが強い。
ママさんコーラスを除き、一番層が広く目立った活動をするのが、中学生や高校生の学生団体という女声合唱の現状もあるかもしれない。
とにかく東京・愛知の遠方の一般女声合唱団が、地元・高松の団体と3月3日のひなまつりにコンサートをする「女声のお祭り」。
そんなジョイントコンサートに岡山から瀬戸内海を渡って行ってきました。

 

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春の訪れを感じさせる柔らかい雨が上がった高松のレクザムホール(右側遠方)。

 


始まりはmonosso、VOCI BRILLANTI、女声合唱団ぴゅあはーと3団体合同合唱の滝廉太郎「春」から。
指揮はmonosso:山本啓之さん、ピアノはVOCI BRILLANTI:白鳥清子先生。
明るい前奏から90名ほどの女声の濁りの無い、まっすぐな音が流れる。
今日のコンサートの成功を予感させる気持ちの良い音だ。
2番では女性らしい繊細さを活かしたピアニッシモの表現、さらにフォルテッシモでも叫ばず豊かに。

2団体は客席に降りてそのまま演奏を聴く形。
「お客さんの反応を見たいので…」と客席の照明もあまり暗くせず。

単独ステージ最初は、真紅のドレスが眩しい東京からの女声合唱団ぴゅあはーと 17名。
指揮者:山脇卓也さんで BRAHMS,Johannes作曲「3つの宗教的合唱曲 op.37」。
やや音程に難はあれど、ノンヴィブラートで清澄な高い響き。
最終曲「Regina coeli laetare(天の女王、お喜びください)」はソプラノとアルトのソリストが前に出て良い歌唱を。
バックコーラスがアレルヤを繰り返す祝祭的な空気が、このコンサートを祝福するよう。


続いては愛知からのVOCI BRILLANTI 39名。
村上博子作詩、髙田三郎作曲、女声合唱組曲「遙かな歩み」。
指揮は雨森文也先生、ピアノは白鳥清子先生。
1972年初版の邦人合唱作品では古典とも言える作品。

「機織る星」では夢見るような柔らかい言葉で、織姫の機を織る姿が歌われる。
集中度の高さに惹き付けられ、続いての「櫛」は母から受け継いだ櫛の歌。
ブリランティの素晴らしい点は言葉が単語ではなく、文章として自然な形で耳に伝わることだ。
言葉としての抑揚と歌としての抑揚の両立。
さらに今となってはやや古びた旋律も、澄んだ音で奏でられると新鮮な印象に。
ピアニッシモの緊張感と対比しフォルテッシモの「ふるさとの野山を梳り」にあふれる想いの強さ。
最終曲の「花野」では重く苦しく歌われがちなこの曲を、心地良いテンポで運ぶ。
加えて自在な緩急の中、雨森先生の指揮はアインザッツをことさら示さないのに、音楽の、言葉の頭がはっきりと歌われる不思議さ。
母、祖母、さらに前の先祖から繰り返され続ける宿命を題としたこの曲集は、例えば花野のアルト旋律(お前は歩むがいい…)を重く暗く、呪縛のように演奏する団体が多いのだが、ブリランティは歌に絶妙なしなやかさと光を与える。
優美な「桔梗 おみなえし やさしい撫子も」からの、強靭で輝くような「花は待っている」は過去に囚われず、しかし連綿と続く命の先に今を生きる自身の強い決意、さらに開けた未来への願いが込められ、深く記憶に刻み込まれた。

特に「機織る星」は雨森先生が高校生の時、初めてコンクールで指揮をされた思い出の曲。
http://bungo618.hatenablog.com/entry/2017/07/02/080353
思い入れも相当なものと後でお聞きしたが、その思い出に沈溺されるのではなく、半世紀近く前の曲集を今にも確かに通じる作品として聴くことができた佳品だったように思う。



単独ステージ最後は地元高松のmonosso 46名。
指揮は山本啓之さん、ピアノは酒井信先生。
立原道造/中原中也詩、三善晃作曲、女声合唱のための「三つの抒情」。 
始まりの「或る風に寄せて」の発声はブリランティと比べると生硬か。
この作品の淡さ、精妙な階層を表現し切れていない感が。
しかしコンクール自由曲でもあった「北の海」からは、客席へ投げかける思い切りの良さ。
ピアノとの掛け合いが肌を擦り合うような緊張を生む。
最終曲「ふるさとの夜に寄す」では声が最後まで持たない部分はあったにせよ、立原道造の詩句の鮮やかさが歌い手の共感で伝わり。
最後の「手を濡らした」からの「忘れよ ひとよ……ただ! しばし!」は音楽と言葉が噛み合う説得力があった。


15分の休憩後、指揮者交換ステージ。
このジョイントコンサートのきっかけは山本さんの「ブリランティ、一度振ってみたいんですよ」と雨森先生への願いからだとか。
(その後雨森先生から「よし、それならジョイントコンサート決めたから!」という展開に「そ、そこまでのつもりじゃあ・・・」とボヤく山本さん)

最初は雨森先生が指揮される女声合唱団ぴゅあはーと。
西村朗作曲、無伴奏女声合唱組曲「浮舟」~源氏物語の和歌による~ より「3.浮舟」の演奏。
2ステージ目で硬さが取れたのか音程も発声もしっかり。
ブラームスとの作風の違いもあるが、異なる団体のような一心に凝縮される和の音楽。
雨森先生の唸り声も趣きを添え(…)、音の重ね方、陰影ある表情、激烈な想い、さらにはフレーズ末に余韻があり、確固たる世界を創っていた。


続いては山脇卓也さん指揮によるmonosso。
G.Apollinaire詩、堀口大學訳詩、高嶋みどり作曲、アポリネールの詩による四つの無伴奏小品集「白鳥」より「6.露営のともしび」「7. 贈物」。
山脇さんの楽譜から明晰に音楽を立ち上げる力で「良い曲!」と素直に思わせる演奏。
「露営のともしび」ではソプラノのヴォカリーズとメゾのフレーズが織りなす抒情の美しさ。
「贈物」では始まりの「もしもそなたが望むなら」からまぶしい朝陽のように輝くフレーズ。
音楽の切り替わりも明確で心地良く聴くことができた。


最後は白鳥清子先生ピアノ、山本啓之さん念願の指揮によるVOCI BRILLANTI。
淵上毛錢作詩、瑞慶覧尚子作曲、淵上毛錢の詩による女声合唱組曲「約束」より「5.約束」。
コンクールでは無いので優劣をつけるのは無意味と分かっているのだが、それにしてもブリランティの基礎力と練度の高さ。
張り詰めた空気の弱声から広がっていく豊かな音の世界が素晴らしい。
美しいものを 信じることが、いちばんの早道だ
病床の淵上毛錢が自身に何度も言い聞かせるように、言葉を積み上げ、重みを増し、確信に至った時、鮮烈に切り込まれるピアノと鋭く変化する合唱。
そして死の受容という穏やかな心への変化。
その境地に至り削ぎ落されたまっさらな心からの静かな願い。
さりげない、しかし奥行きがある声と山本さんの持つ音楽の柔軟さが、彫りが深く強い説得力の演奏を生み出していた。

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3団体合同ステージ約90名では歌い手に雨森先生、山脇さんが加わり。
まず山本さんがG.Holst作曲「Ave Maria」を落ち着いたテンポ、二重合唱で団同士の音楽の会話をたっぷりと。
ひとつになる旋律の箇所はホールを満たすさすがの力強さ。
このステージからはピアニストに平林知子先生を迎えているのだが、山脇さん指揮の松下耕先生作曲「静かな雨の夜に」は、まさに今日の優しい雨を思い出させるようなピアノの前奏に引き込まれる。
青く若い心の繊細な感情と音楽の流れ。
最後は雨森先生の指揮で木下牧子先生作曲「オンディーヌ」。
近頃はあまり演奏されることがない、難解ではあるが愛の純粋性を厳しく哀しく描いた吉原幸子のテキストに作曲された作品。
詩に拮抗する、独特の音楽が繰り広げられる世界を、合同合唱とは思えないほどの音にしていた。


さて、合同合唱の感想を書いた後にこんなことを書くのは失礼だが、私はこういう合同合唱に期待するものはあまり無い。
というのは、合唱団それぞれ固有の音と表現があってこそ、観客に届く音楽表現ができるのだと思っているし、そもそも合同合唱では単純に練習時間が少なくなり、また人数の多さゆえ、個人の歌に対する責任も薄れてしまう傾向がある。
そんなわけでさらに人数が増える最後の公募ステージも、長めのアンコールを聴くぐらいの姿勢でいたのだが。


休憩の後の公募ステージ。
集まった人数はなんと180名に倍増。
さらに下は9歳から上は〇〇歳まで、南は沖縄から北は関東・東京までと全国各地から集まったそう。
最初は山脇さん指揮で木下牧子先生「春に」。
わずかな時間で、スキップするような、心に問いかけるような平林先生の前奏に乗った「この気もちはなんだろう」という最初のフレーズから全身が掴まれた。
前奏で感じたように谷川俊太郎さんの言葉による、相反する春のさまざまな感情が、早春の時期に集った歌い手のみなさんと呼応するごとく、直に伝わってくる。
もちろん「春に」が名曲なこともあるが、期待していなかった公募ステージのはずなのに、最初から演奏の力で清々しい感動に満たされることに。

続いては雨森先生による新実徳英先生「二十歳」「壁きえた」「ねむの木震ふ」。
音楽が出来た後に谷川雁氏が作詩された「白いうた 青いうた」のシリーズ。
オリジナルの形ということでピアノに加え、フルートの松本清華先生を迎えて。

それにしてもこのコンサート、全体の選曲が、良いプロデューサーの手によるもののように優れている。
邦人作曲家を中心に12名の作曲家の作品が連なっているが、単純に多くの作曲家の作品を並べているだけではなく、曲想の違いと順序も実に考えられていて飽きさせない。
コンサートのサブタイトルは「女声合唱作品見本市」の名の通り、まさに「見本市」のように幅広さと奥深さを実感させるものだ。

演奏も、フルートが華やかさ、白鳥先生のタンバリンが彩りを加えた「二十歳」は軽快さと共に若さゆえの哀しみをかすかに。
「壁きえた」はベルリンの壁が壊された時のテキストだが「いきて あえた」では再会の感動で大きく揺れ動くように。
またフルートとトライアングルを前面に出した2番では、合唱を抑え目にするなどメリハリも。
「ねむの木震ふ」は旅への憧れを、女声の持つ優しさでしっとりと歌い、締めくくった。

最後は山本さんによる信長貴富先生「百年後」。
この演奏には本当に感じ入った。
3団体とも過去に演奏したことがある。
「百年後」を一度歌ってみたいという公募参加者の願い…そんな理由もあったのだろう。
強く歌う意志がバラバラな180名を強固にひとつの合唱団としてまとめ上げた。
心の芯からの「いまから百年後に」という歌い出し。
羽ばたく翼に」からの自由な歌の飛翔はどうだろう。
もちろん粗はあった。
しかしその粗は歌い手個人のさまざまな息づきでもある。
多くの人の息づきが収斂しひとつの願いとなって伝わる強さ。
約百年前にインドの詩人タゴールが同じ早春の日に託した願いが、今日のこの日に増幅され、更なる百年後の未来へ飛び立とうとしている。
無数の蜂たちの羽音のような命のうねりのクライマックス。
180名の渾身の大音量がピアノとぶつかり、共鳴音と残響が花火のようにホール上空へ撒かれゆっくりと消えていくのを、目で追っていた。
あの音は百年後へ届くのだろうか。
いや、それよりも百年後へ届く歌や表現を生もうとする力を、私たちに与えてくれた演奏だったのかもしれない。



このジョイントコンサートはmonosso初めての演奏会でもある。
2015年末の創立、月1回だけが練習の団なのに、2団体を迎える大規模なジョイントコンサートの開催ということで、困難を極めたようだ。
山本さんによると当日、プレッシャーにより泣き出してしまった団員さんもいたとか。
前日に行われた地元の香川大学や他四国の合唱団、ピアニストを対象にした講習会も大変得難いものだったそうだが、それゆえ準備と当日の苦労は並大抵では無かったことだろう。
それでも、演奏終了後の観客による大きな拍手と満足そうな顔で、苦労に対する成果は充分表れていたのではないか。

感想の最初に「一番層が広く目立った活動をするのが、中学生や高校生の学生団体という女声合唱の現状」と書いた。
ぴゅあはーとは東京純心女子大学音楽部の卒団生が中心に始め。
VOCI BRILLANTIは光ヶ丘女子高校OG合唱団から一般団体へ替わって数年。
monossoは「香川で合唱をしていた子たち、合唱をやりたい子たちの受け皿にしたい」という山本さんの願いがある。
2団体は一般合唱団としての歴史も浅い。


学生団体から一般団体へ変わるときの活動の難しさ。
中学生や高校生の時と違い、進学や就職という環境の変化で戸惑い、歌を止めてしまいたくなる日もあっただろう。
他の団員さんとの経験してきた音楽や年齢の違いによる摩擦もあったかもしれない。

だが始まりにふさわしい、この春の日。
そんな困難から生まれた音楽が、私含め多くの観客を「合唱っていいなあ!」と新たに思わせてくれたことをどうか忘れないで欲しい。
一心に歌われた音がこんなにも強く心を打ったことを。

そして、願わくばそれぞれの団体へ戻っても歌い続け、どうかまた別の場所で演奏を聴かせてくれることを。
ステージと客席という離れた距離かもしれないが、またこのコンサートの出演者と再会できることを願っている。



アンコールは「若い人へ託す気持ちも込めて」と、一番若い指揮者の山脇さんによる信長先生「リフレイン」。
このジョイントコンサート、公募ステージにこれ以上ないほどふさわしいテキスト。

「何度でも くりかえす
 このときは たったいま
 このいまは いちどだけ」

万感の想いが込められた歌に、視界が滲んでしまった。


集まった180名に感謝するように。
ふたたび新しい歌の場へ送り出すことを祝福するように、最後のひとりが舞台袖に消えるまで、3人の指揮者はステージ上に残り、ずっと拍手をし続けていた。


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(おわり)