ある「水のいのち」の演奏について


ご無沙汰しております。
昨年も行ったブログ企画「観客賞スポットライト」を今年も行う予定です。
今月末から開始予定です。
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今回はツイッターに書いたこんな話を。

 

夜中にふと思い出した。
数十年前に慶應義塾ワグネル・ソサィエティー男声合唱団が髙田三郎先生の「水のいのち」を演奏した時、指揮者の畑中良輔先生は最後の「海よ」で終わらず、続けて最初の「雨」を演奏したのだった。
それもごくピアニッシモで。
これはとても効果的で何度も聴き返した憶えがある。

同じように感じたのは私だけではない。
某H大の学生指揮者Hさんは、自分でもその畑中版「水のいのち」をやりたい!と思い、許可をいただくため、なんと髙田三郎先生へ電話したというのだ。
事を説明した瞬間、髙田先生は「バカヤロー!!!」と激しく怒った!

髙田先生「他の大学の真似をしてどうする?!“Boys, be ambitious!”の精神はどうした!!」そう怒ったというのだ。
私はリハーサルの録音でしか髙田先生の厳しい口調は知らないが、あの調子で電話で怒られたらその場で土下座してしまいそうである。

「それでも最後は教育的で優しく『疑問に思うことがあったらいつでも尋ねなさい』って言ってくれたんだよ」と学生指揮者Hさんは笑顔で語っていた。
結局H大の「水のいのち」は“Boys, be ambitious!”の精神に従って?「海よ」で終わる見事な演奏になった。

あれから「水のいのち」は何度も聴いた。
聴くたびに「日本人の琴線に触れる曲だなぁ」と感心してしまう。
水の円環が同時に命の円環をも表している。
そしてこうも思うのだ。

「今、『海よ』の後にピアニッシモで『雨』を演奏する団体があったら髙田先生は怒るだろうか?」

 


男声合唱組曲「水のいのち」 (ワグネル男声・第116回定演)

https://www.youtube.com/watch?v=PwN-QTjgM98