追悼:大林宣彦監督





今年の4月10日に肺がんで亡くなられた映画監督の大林宣彦氏。
NHKでの追悼番組「大林宣彦監督をしのんで」を観ました。

 

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https://www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/original.html?i=23084

※見逃した方へ 「NHK+」
https://plus.nhk.jp/watch/st/g1_2020041924608


撮影時に俳優・スタッフへの意志が通じず苛立ち、怒鳴る監督。
しかしクランクアップにこれまでのことを詫び。
「本来、(末期ガンで)ここにいられない自分をいさせてくれてありがとう。何度も怒鳴ってしまったけど、それ以上に黙っていることが多かった。それは、幸せを噛み締めていたからです。みなさんの背中に手を合わせていました。ありがとう」


大林監督の生き方を振り返ると、非常に新しいことに貪欲、多彩で自己プロデュースに長けていたことがわかります。
監督の故郷・尾道には何度も訪れていたのですが、いわゆる「記念館」的なものが無かったのを不思議に思っていたらこんなブログ記事が見つかりました。

 


僕の自慢は、尾道に映画の記念碑やセットを残していないことだ。映画を見た人の心に残ったものが記念碑。セットを残そうなどという提案はすべて断ってきた。尾道市にとってはそれが不満だったのだろう。

「男たちの大和」という映画がふるさとで撮影されたことは、誇らしく思う。僕の尾道での撮影スタッフも協力した。でもセットは残すためのものじゃない。スクリーンに映し出されて初めてリアリティーを持つ。単なる張りぼては、夢を壊すだけではないか。

恒久的に残すものとして、戦艦大和の歴史がある呉市につくられたのなら賛成するが、いかにセットを残すかばかりに気を取られた尾道市につくられたことは、大和にとっても不幸だ。

小学生からも金をとって、ふるさとや戦争を商売にしている。セットが公開されているうちは尾道とは絶縁だ。これは、大林映画30年の理想に対する否定であって、怒らないわけにはいかない。

僕の願いは、ふるさとがあるがままに残って欲しいということだ。高度成長期、尾道でも古いものが壊されたが、これからは古いものを残すことが資源になる。「そこにしかない暮らし」を求めて旅人は来るのだから。

 

 


倉敷芸術科学大学客員教授でもあった大林宣彦監督。
このツイートの方のように、自分も倉敷のカウンターで隣り合わせていたことがあったかもしれません。
(道ですれ違ったことはあるんだけど)
「16歳の自分を大事にしてる。16歳の自分が面白いと思う映画を撮るのを目指してる」

 




最後の作品となった、「海辺の映画館―キネマの玉手箱」は新型コロナウイルスの影響で公開延期されました。
収束した時に「海辺の映画館」を映画館で観ることを願っています。


番組で言われていた大林監督の言葉。

「芸術と映画は、未来を変える」
「人は『ありがとう』の数だけ賢くなり、『ごめんなさい』の数だけ優しくなり、『さようなら』の数だけ愛を知る」





 

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またいつか、尾道へ行こう。