MODOKI CONCERT2022感想

 

 


3月6日、よく晴れた日曜の午後、初めて訪れる鳥栖という地。
MODOKI演奏会へ向かうため。

 

 


13時半開場前に鳥栖市民文化会館へ着くと長蛇の列。
検温とアルコール消毒、チケット裏の半券には名前と連絡先を記入し、自分でもぎる。
鑑賞時のマスク着用と席はひとつ空けて座るコロナ禍でのニューノーマル。

14時の開演に指揮者:山本啓之さんからこの演奏会は2年前の2020年、開催1週間前に中止が決まった演奏会の再開催ということを説明される。
MODOKIの今回のオンステージは女声25名、男声19名ほどだろうか。
第1ステージは髙田三郎「水のいのち」
平林知子先生のゆったりとしたテンポの前奏に誘われるよう、優しくささやくように歌い始める「雨」
ささやくようにと書いたが、奥に強い願いを感じさせ。
ふりしきれ雨よ」と生きているものすべてを救う雨を望む願い。
踏まれた芝生、こと切れた梢と重なる、みじめな人間を厳しく歌うベースの説得力。
「水たまり」では泥を抱え込む自身の、澄んだ空の青さへ手を伸ばす願い。
弾むように軽やかなリズムで歌われた「水たまり」から湧き上がるクレッシェンドが抑えきれない内心の苛立ちを表すよう。
「川」では低い方へ流れざるをえず、山や空の高みに焦がれる想い。
細かくは振らない山本さんの指揮で、不思議に息遣いと自然への憧憬がにじみ出てくる。
「海」では「人でさえ 行けなくなれば」 感情へ沈み込まず、リリシズムを保つ美意識と強さに打たれた。
人が生きていくうえで持つ焦燥や苦悩は細やかに、対比させるように自然を雄大に、美しく歌で表す。

そして最終曲の「海よ」では絶叫に限りなく近い訴えの「おお 海よ」から力強くピアノが支え、天へ向かうクライマックス。
この数えきれないほど演奏された名曲を、いま生きている自分たちの直面する苦悩と、それでも理想へ向かう人間の在り方として、聴く者へ克明に印象付けた好ステージだった。

 

第2ステージは萩原英彦作曲「光る砂漠」
平林先生のピアノ、前ステージではどちらかというとドイツ的な厳粛なものを感じさせる音が、この曲では繊細に柔らかくなったよう。
さて、この演奏会、佐賀ではこの日まで続くまん延防止策の影響で、MODOKI団員もマスクを着用されていた。
マスク着用の弊害はいろいろと議論されているが、聞き手として気になるのは、「光る砂漠」のようなフランス系の音楽。
柔らかい響きを合唱団全体で共有し、音楽を動かしていこうとするときに、かなり難しさを感じてしまう。

今回はフランス系の音楽だけでは無く、一旦 "引いて” 表現するときにも、団員同士で共有する感覚が薄くなったように思われた。
それでも、続く新実徳英「幼年連祷」、生で演奏を聴くのは初めての西村朗「まぼろしの薔薇」

「令和に昭和の名曲を」のサブタイトルから、想い出に耽溺するような演奏を危ぶんだが、作品へ正面から対峙し、生き生きと間伸びすることない音楽に終始惹きつけられた。

その立役者はやはりピアノの平林知子先生!
曲ごと鮮やかに音色、音楽を変える技。
「幼年」では例えばトイピアノ、「薔薇」では白昼夢から実体を持ったように華麗に豪壮に。
演奏の幅広さとドラマ性の素晴らしさ。
今回の演奏会の成功は、平林先生がいらっしゃらなくては決して成り立たなかったであろう。
そしてもちろん指揮者・山本さんとMODOKIのみなさん。
本当にお疲れ様でした!


演奏後の山本さんのご挨拶。
延期や中止した紆余曲を思い出されたのか。
いや、それ以上に「観客を前にして演奏すること」の意味を実感されたのか。
声を詰まらせ、来場への感謝を語られていたのが印象的でした。

 

アンコール、いろいろ予想していたんですけど池辺晋一郎先生の「風の子守歌」でした。
(アンコールまで昭和⁈ かつての大学定演アンコール定番だな?)とニヤリとしていたら。
明るく歌われる「行ってしまった人」「死んでしまった人」がこのコロナ禍、予想以上に響いて涙腺が…