中学・高校の部活はいろいろ問題、批判もあり。
スポーツ、そして文化部の合唱も、その問題を解決しないままでいるのが、プロスポーツや成人後の趣味活動に影響を与えているのでは?と取り沙汰されています。
「部活」のスポーツと、合唱や吹奏楽の共通点は意外と存在していて。
今回は海外のスポーツ育成の記事を3つ紹介し、いわゆる「日本の部活的な問題」をどう解決してきたのかを考えたいと思います。(「部活」自体、文科省から切り離されようとはしていますが、その問題は今回は脇に置いておきます)
まず初めは
日本に足りないのは「めっちゃ楽しそうにサッカーをする下手なおっさん」
この記事は発表された当時読んで、ブンブンもげるくらい頷いたものです。
実行するには恥の文化の日本では難しいでしょうけど、ヒエラルキートップくらいに上手いのと「楽しむ」はイコールでは無いと考えさせます。
いや、上達する過程とは別に、その趣味を過ごす時間と空間を楽しむ姿勢が肝要なのかな・・・。
スポーツに関連して、この記事も「部活合唱」との共通点がたくさん。
○楽しむことより、練習が修行
○減点主義
○個性よりも、ミスが少ないことを求める
海外と日本のスポーツ指導の違いとは?
この記事もアメリカのアイスホッケーの育成についてだけど、示唆がたくさん。
○試合の勝敗をつけない
○リテンションレート(継続率)を調べ、“なぜ辞めたのか”を聞いて分析し、“辞めさせないためのプログラム”を考えていく。
甲子園の真逆をやるべき? アメリカから見た日本スポーツの育成の問題点「10点差で勝ったら怒られる」
合唱をしていた中高生が、大学や社会人になって続けない理由を「合唱を続けている側」がいろいろ推測している場を見かけますけど。
この記事のように、実際に辞めた側への「なぜ辞めたかの理由」の全国的な調査・アンケートが出来ればかなり有用なのでは。
日本の部活動のスポーツや合唱は、楽しむことよりも技術を磨くのを優先しているのと、精神涵養も求めている場合が多いと思うんですよね。
「~~道」みたいになってしまう印象。
とは言え、「日本的な部活合唱」を促すと考えられているコンクールを全面的に否定できるかというと、私はそんなことは無いと思います。
こんなことを言ってはなんだけど「競う」こと自体、実はみなさん結構好きなんじゃないかな。
ただその過程や結果がシリアスになるのが問題で。
広く全国、地方からも多くの人を、観客も含めて集めやすいコンクールの利点を、シリアスでは無い方向へ活用すべきなのでは。
例えばシリアスを緩和するために、コンクールはあくまでも「きっかけ」として、課題曲を東京混声合唱団のプロならではの表現と音楽を聴くとか。
今はなかなか難しい状況だけど、コンクール後の「史上かつてない2次会」のように、合唱団の垣根、さらには演奏者と観客の垣根を越えた交流会。
音楽と合唱をする人の幅広さと深さを学んで行ければ良いと考えます。
コンクールを全面的に否定していないと書きましたが。
実は、「コンクール全肯定!」とも、私は本音では思ってないわけで(笑)。
自分のブログも、コンクール関連の企画をずっと続けていますけど、コンクールのシリアスを緩くするため、観客賞を主催して審査員と違った価値観を知るとか。
各団体の選曲の理由や練習事情、そして音楽の方向性を知るなど、コンクールそのものを目的とするのでは無く。
コンクールを入り口とし、コンクール以外の、とても大きな合唱音楽の世界に触れる機会を増やすのが大切かな、などと思っているわけです。
まー、自分の場合、力足りずでなかなか上手くいかないけどね!