全国大会で起こったことをご紹介する「全国大会あれこれ」。
【withコロナのコンクール】
昨年はチケットの半券は自分で切って箱に入れ。
合唱団の退場から次の団体の入場にも、1分ほど間を置き、終演後の退場も分散。
さらに座った座席の番号を書いて提出・・・と徹底していたのですが、今大会では全て無くなり。
演奏団体のマスク着用も各団体に任せ、ほとんどの団体がマスクを外しての演奏でした。
ただ入場前の検温、手指の消毒は継続。
三重県合唱連盟のスタッフさんが2人1組になって、開場前に並んでいる人たちへ体温測定、消毒アルコール噴霧。
……え?! スタッフの一人は久しぶりに会うUくん!三重に来てたの?
「文吾さん、お久しぶりです!体温測らせてもらいますね~。
あ、体温400度。ダメです、入場できません!!」
・・・Uくん、変わってなくて嬉しかったよ。
【合唱団みなまたさんのコンクール】
38年ぶりの全国大会出場となった室内合唱部門の合唱団みなまたさん。
ピアニスト兼団員である一期崎先生のブログ記事「全国大会の余韻抜けきれず」。
観客賞にも触れられていて。
一期崎先生はじめ、みなまたの皆さんはツイッターをやっておらず、わざわざ登録し、みなまたさんへの感想を読んで驚いたそうです。
おそらく出場団体の中で一番平均年齢が高いのでは?
(同じ熊本県から同声部門出場のLe Grazieさんが同じくらい?)
という私たちは、SNSに大変疎く、
Twitterでこんな嬉しい感想が繰り広げられているなんて
みんな知らないのです。
次の練習(早速明日、演奏会練習を始めます)には
これを取りまとめて、配る予定です。
読んでいてこちらもなんだか嬉しくなりました。
別の方からは「SNSの究極に正しい活用ですね。こんな素敵なことができるんだなあと感心しました」とも。
この件は観客賞に限らず、SNSは悪意を増幅させる面もあれば、こういった好意を広く伝える面があることを示していると思います。
合唱団みなまたさんへの感想はじめ、好意的な感想を書いていただいたみなさんに感謝します。
【音楽の中で、聴いている人たちが】
しばらく前から三善晃先生の「音楽の中で、聴いている人たちが、生きられなければならない」の意味をずっと考えていたのですけど。
室内合唱部門を終えたホールである方と話しているときに、その答えに結びつくかもしれないと思ったことがありました。
その方(仮に「Kさん」としておきましょう)が
「聴き手の息づかいを感じながら歌っているか?というのは、とても重要なことだと思います。本番が、ただの練習発表会にならないために」と言われたんですね。
同意するとともに、でも、それを実現するのは凄く難しいことなんじゃないですか?と返すとKさんは
「もちろん自分も出来ているとは思わない。しかし、演奏者に卓越した余裕が無くても、思いやり、相手の話を聴こうとする力があれば一歩進めるんじゃないかな。それをステージから客席に向かって実行すれば良いと思うんですよ」
そして今日聴いた中で一番それを感じた団体は、とプログラムのChorsal《コールサル》さんに指を置かれました。
そういえば学生時代に先輩から
「いいか文吾!ステージに上がったら、まず客席で好みの女の子を探すんだ!」
はァ?先輩、見つかったらどうすんですか?
「その子にだけ、その子のためにだけ歌え!」
当時は笑い話と思ったけど、意外と真実なのかもしれません。
「音楽の中で、聴いている人たちが、生きられなければならない」
それはどんな演奏なんだろう。
みなさん、これから一緒に考えてくれると嬉しいです。
(三重全国大会あれこれ下に続きます)