ブログ更新はお久しぶりです。
《岡山県合唱コンクールを聴きに行きました》
8月11日の日曜日、倉敷芸文館での岡山県合唱コンクールを聴きに行ってきました。
中国支部や他の支部大会を聴きに行くことは何年かに1度はあるんですけど、岡山県大会を訪れるのは初めて、県大会自体が○十年振り?
始まりの小学生部門からシードの倉敷少年少女合唱団さんまで楽しく聴きました。
嬉しかったのは岡山大学からグリークラブさん、コール・ロータスさんと、混声と男声の2団体が出場されていたこと!
どちらも立派な演奏でした。
審査員先生も立派でしたね〜。
その審査員:大村先生のご講評
身を乗り出したくなる演奏というのは圧倒する強い音ばかりじゃなくて、
(……沈黙……)
・・・こういう時間を作る。
つまり、演奏の中で音を出す時間と”出さない時間”を、巧くコントロールすることが大切なのではないでしょうか
良いこと仰る!
混声合唱の部へ出場された、合唱団こぶさんの横山潤子先生への委嘱曲「誰かがいなくなっても青い空」の演奏がとても好きだったんですけど。
こぶさんが印象深かったのは、圧倒する強い音や、協奏のチェロやピアノだけが目立つのでは無く、mp、mfの音量に合唱表現の醍醐味を感じたからなんですよね。
全団体を聴いて。音楽の始まりにはどの団体も気を配られ、さらに最大音量、クライマックスの箇所には歌い手さんの気持ちが入っている。
でも、それに至るまでのmpやmf音量の音楽にこそ、各合唱団、歌い手さんの顔が現れるんじゃないか。
大村先生の「音を出さない時間」の重要性もそこに繋がるんじゃないかと。
昨年の新潟全国、三宅悠太先生ご講評の「目立たない音楽の要素を見出し、光を当てるような音楽」を思い出したりもしました。
あと、今年の課題曲集はスピリチュアルズが選ばれ、混声のDeep Riverも良い演奏が多かったんですけど。
一聴して明るく聞こえる作品にも、奥には奴隷制度から、ヨルダン川、そしてイスラエル・パレスチナ問題が横たわっている。
高校の部、岡山城東高校さんは自由曲にĒriks Ešenvaldsの「Rivers of Light」を歌われ、さすが全国レベルの演奏で感心しました。
この作品、オーロラを題材にしながら、スカンジナビア半島先住民族のサーミ人の音楽、口琴がとても良いアクセントになっている作品。
でもサーミ人について調べると、その音楽と深く結びつく精霊信仰、中心となったシャーマンがキリスト教宣教師らに迫害されている歴史がある。
テキストに深く切り込んだ演奏が、必ずしも優れた演奏になるわけじゃ無い。
でも、例えば一色だと思った面にわずかな差し色が入ると「おっ」と思うじゃないですか。
そこから大部分を占める色の印象が変わったりもする。
「明るく、何も知らないように歌ってますよ~」
そこに(実はわかっているけど!)を滲ませるのは粋だし、聴き手の想像力を広げるんじゃないか。
キリスト教に限ったことでは無いけど、他文化・宗教の受容、歴史を表現することの意味を考えてしまいますね。
あと、全団体演奏後の歌い回しが、歌い終えた団体から次の団体を指名されていて。
小学生から中学、高校、大学、一般と幅広い年代の合唱が聴けてとても良かったなぁ。
中学は総社市の2校しか出場してないのは寂しかったけどね(Nコンはどうなんだろう?)