AIに“自分”を語られた日───まさかのイケボで

 

こないだ書いたブログ記事

「飲んだくれの歌」が、なぜラトビアの“第二国歌”なのか?

この記事をもとに、友人と語ってみた……そんな動画を投稿しました!

初めての動画、ぜひ聴いてみてください。

いやぁ、こうして聴いてみると自分も意外とイケボじゃない?

相手をしてくれた友人のA子さんにも感謝!

 

嘘です!

 

全部AI作成でした!!!

 

GoogleのNotebookLMにブログの文章を放り込んだだけで、 あとは自動で会話形式にしてくれるんですよ。

一切の編集も演出もナシで、ここまで自然なものができるとは。

詳しくはこちら👇

細かいニュアンスに「あれ?」と思う部分はありつつも、 自分の言葉を他人が喋ってる感じは、なかなかに不思議で、ちょっと怖い。

でも、それ以上に、「あ。これ、聴く人に届くかも」という感触がありました。

 

 

noteに書いた記事

「日本の合唱は15年以内に死ぬ!」ChatGPTが忖度ゼロで導き出した未来予測

こちらも同様に、テキストからAIに会話を作ってもらっています

正直、自分は動画よりテキスト派です。

文章の方が自分のペースで情報を取り入れられるし、考える余地もある。

でも、長文を読む前に離脱する人が多いのも現実。

その点、会話形式の動画はとっつきやすく、広がりやすい。

そして何より、自分の考えが“音”として届く体験は、 ちょっとした衝撃でした。

自分の言葉が、自分じゃない声で語られる。

最初は違和感が強かったけど、でも、こうして“イケボ”で話されると、不思議と内容に説得力が出てくる気がするんです。

(今回は手抜きで画像ひとつだけ。しかし音声に合わせたルックスと表情のキャラクターが伴えば、さらに凄いことになるでしょうね)

 

 

ふたつの動画は、NotebookLMに触れてから数時間で作ったものですが「伝える」ための新しい手段になりつつあると感じました。

AIによって、発信の形も、受け取り方も、大きく変わろうとしています。

これからの発信者に求められるのは、 声や演出じゃなく、「中身」を磨くことかもしれない。

そのうえで、AIをうまく使えば、 自分の考えをより遠く、より深く届けられる可能性がある。

……そんな時代が、もう始まっているのかもしれません。