“推し”を語ることは、人生を愛すること

 

 

「やばい、号泣、考えさせられた」はもういらない!

何かに心を動かされたとき、つい「やばい」とか「泣ける」みたいな一言で済ませてしまう──そんな経験、ありませんか?

本当はもっと、ちゃんと自分の言葉で伝えたいのに、うまく言葉にならない。

そんなもどかしさを感じたことのある人にぜひ読んでほしいのが、三宅香帆さんのこの本。

 

推しの素晴らしさを語りたいのに「やばい!」しかでてこない―自分の言葉でつくるオタク文章術

 

決まり切った言葉や他人の言葉を借りるんじゃなく、自分の言葉で語ることこそが大事。

そして一冊を貫く「推しの魅力を伝えることは、自分の人生を愛すること」というメッセージに惹かれます。

そうなんだよな~、自分が全国大会の観客賞を続けているのも、寄せられた感想から、聴いた人それぞれの音楽観や性格、さらには人生までもが見えてくる喜びがあるから。

おえコラのヨイトマケの時、途中で目の前にいた母親が自分の子供の頭を撫で始めたのをみた途端涙が出てしまった。

 

……こんな感想を読んだときの喜び。

 

 

 

■感情のアウトソーシング時代に、自分の声を取り戻す

─ SNSとAIの“便利さ”に潜む危うさ

 

「推しの素晴らしさを語りたいのに~」で何度も繰り返し語られるのは、「他人の強い言葉に支配されるな」ということなんですよね。

自分の感想を出す前にSNSで検索してしまう、「鬱ごはん」の「感情のアウトソーシング」そのもの。

これは情報量の過剰さから、心を守る防衛反応だと思ってるんですけど、どうでしょう?

今はSNSで検索どころか、AIに任せて「それっぽい感想」を与えられて満足したり。

その結果、心を大きく揺らすことも無く、忙しい現代人にとっては利便性が高いのだけど……でも、「たった一人の自分」じゃなく、SNSの大勢の人々や、AIにまとめられた感情として、平坦化された「その他大勢」になってしまう危険性も感じちゃいますね。

 

 

 

■“もやもや”を抱える力が、自分の感性を育てる

─ ネガティヴ・ケイパビリティと向き合う意味

 

本書で触れられている「ネガティヴ・ケイパビリティ(Negative capability)」という言葉に目が留まりました。

これは「答えの出ない事態に耐える力」や「不確実さや疑問の中に留まる力」……つまり「もやもやを抱えておく力」。

SNSの他人の言葉を求め、すぐ答えを出そうとせずに「もやもや」を抱えるからこそ、自分の本当に感じていること、考えるべきことがわかってくる、と三宅さんは語ります。

前述の利便性や合理性を踏まえつつも柔軟に、もやもやを抱えておくこと、それこそが自分だけの答えを出す力になるのかもしれません。

 

 

■ 言語化は細分化、“あなたの推す声”が欲しい

 

「感想のオリジナリティは細やかさに宿る」「言語化とは『細分化』」など、具体的な文章論も説得力が強く。

自分も演奏会の感想を書き始めた頃は詳細なメモを取っていたなぁ……と初心に帰してくれる本でもありました。

生きていくことは変わっていくこと、そんな実感が強くなっている今の自分だけに「《推し》や《好き》はうつろいやすく儚いからこそ、自分の感情を自分で言語化することが大切」この言葉は響きました。

自分と同じく、今の「好き」を大切にしたいすべての人に読んで欲しい本です。結局、三宅香帆さんと同じく自分も

 

 

あなたの“推す声”を、“あなたの言葉”で聴きたいんだよ!

 

 

 

↓ NotebookLMでポッドキャスト風に生成した動画です

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