「仮」の名に宿る探究心― Nisiが歌う愛と祈りの風景

 

 

■声が語る愛の品格

― モンテヴェルディの静かな熱

 

一昨年の全日本合唱コンクール全国大会の観客賞では、室内合唱部門第1位。

昨年の全国大会では、室内合唱部門で金賞第1位の文部科学大臣賞を受賞。

そんな大注目の団体:Ensemble Nisiさんの2回目となる演奏会。

会場は兵庫県立芸術文化センター神戸女学院小ホール。

初めて訪れましたが、木の温もりが感じられるアリーナ形式417席のホールです。

 

 

21人のメンバー、一人ひとりの丁寧に磨かれた歌唱で、多彩な作品世界が理想の姿で立ち現れる。

毎ステージごとにそんな思いが強くなる、歌にあふれ、感情が満たされる演奏会でした。

 

第1ステージのモンテヴェルディ《愛する女の墓にながす恋人の涙》は、スムーズな息の流れに導かれて心地良い音楽に誘われます。

抑制が効いた歌唱によって、激情というよりは、純化した愛情の気品に満ちた美しさの音楽。

 

 

 

 

■三善・シェーンベルク・三宅が問いかける“祈りの本質”のステージ

 

驚いたのは第2ステージ。

どれも難曲の三善晃《その日 -August6-》シェーンベルク《地上の平和》三宅悠太《Ave Maria》を司会のお話を挟んだとは言え、ひとつのステージにまとめるとは!

 

《その日 -August6-》は各パートの純度、音程の精度も高いため、第一部の原爆の慟哭、つづく現代を描くブルースが極めて解像度高く。

最後に力強く願う「私はただ信じるしかない」に心奪われ、様々な思いが交錯する音は最後、男声ハミングの希望へと昇華していき、納得と共にこの作品を初めて理解できた感がありました。

 

続く《地上の平和(Friede auf Erden)》も無調の難解な現代作品という印象が強いのですが、Nisiさんの演奏はそれを覆すもの。

跳躍する音には命が宿り、プログラムにも記されたように、構造としての和音や旋律といった調性音楽としての側面を、しっかり把握した上での合唱が見事に機能していました。

甘やかにすら感じるソプラノ。「Friede!」は高らかに輝かしく歌い上げられ、声楽的にも非常に困難なはずの音が、あたかも自然でたやすいように放たれ、平和の尊さが聴く者を強く掴みます。

徹底した技術と音楽理解の深さに支えられ、難曲とは思えない作品のように最後まで歌い切り。拍手を控えるべき場面と分かっていながら、感動のあまり手が動いてしまう人が続出。

 

その空気を保つように続く三宅悠太《Ave Maria》

女声版が昨年12月、混声版の初演は今年の3月というまだ生まれたばかりの作品。

(プログラムから)「冒頭部分にはミクロポリフォニーの技法を用いており、似た旋律が同じ音域で複数絡み合うことによって、祈りが重なっていく様子」、まさに狭い音程内で旋律がずれながら重なり合うことで、内側から世界が広がっていくような、現代的な響きの効果を生んでいました。

それが混沌とならず清潔に響いたのは、やはりNisiさんの高度な音程精度と声の純度の賜物でしょう。

後半の男声による「Sancta Maria」の繰り返しが静かな祈りの余韻を深め、最後のホモフォニックでは荘厳な祈りの高まりが結実し、新たな名曲の誕生を実感させる名演だったと思います。

 

《その日 -August6-》、《地上の平和》、そして最後に《Ave Maria》を歌われることで、願い、祈ることの根源的な意味、それを支える本質的な力を強く意識することになりました。

 

 

 

■軽やかなブラームスから《心の四季》へ

――若い感性が紡ぐ古典の新たな光

 

第3ステージではブラームスの機知に富み、柔らかさ愛らしさに満ちた《四つの四重唱曲》

浦史子先生のピアノとのアンサンブルの中で各パートの歌が細やかに交わされましたが、決して散漫にならず、ひとつの歌、音楽としてしなやかに貫かれていたのが印象的でした。

 

そして最終ステージは髙田三郎《心の四季》全7曲。

1967年に発表された邦人作品の古典とも言うべき作品です。

始まりの《1.風が》あたたかい音と懐かしさもあり泣きそうに。

《5.愛そして風》などは今聴くと、当時のフォークミュージック、歌謡曲の影響が……?などと。

しかし古臭さを感じないのは、Nisiさんの良い意味でシリアスに陥らない音色の明るさがあったからかも。

激烈な《6.雪の日に》 の力強い音楽を繋げるように最後の《7.真昼の星》もことさらピアニッシモやテンポに過剰な演出を加えないもので、上西先生の美学が際立ちました。

自然のさまざまな在り方に、生きることの深遠を重ねた《心の四季》は、私自身思い入れも深く、物申したいオールド合唱ファンの気持ちも分からないでも無いのですが……。

それでもNisiさんの若い感性で歌われた【今の《心の四季》】は、過去の名演の再現ではなく、真摯に紡がれた現代の演奏として、大きな価値を持っていると感じました。

この日の《心の四季》の良演を機に、他の団体も古典名曲の魅力に気付き、次代に繋がれることを望んでしまいます。

 

 

アンコールはピアニストの浦先生も歌に加わった信長貴富《とむらいのあとは》

銃よりひとをしびれさす ひきがね ひけなくなる歌のこと」に歌そのものへの信頼と希望を。

詩に込められた思いを、今まさに世界が必要としているのだと痛感します。

 

アンコール2曲目は髙田三郎《くちなし》

前奏が流れた瞬間、つい頭をよぎる余計な雑念――

(うーん、“くちなし” 自分には男声合唱のイメージが強いんだよなぁ…。父と息子の関係性、男同士だからこそ不器用な想いを“くちなし”に託してる感じが良いのに…ブツブツ……)

――とかなんとか思っていたら!

歌が始まった途端、考えは一変。

 

「いやぁ、混声版もめちゃくちゃ良いじゃないですか!!」

 

混声合唱ならではの彩りと深みが、父の想いをじんわりと、でも確かに届けてくれました。

 

 

 

■「仮」を越え、響き続ける「Nisi」の探求心

 

Nisi団員さん一人ひとりから「歌」を感じつつも、決して野放図にならず、アンサンブルの統一感を決して失わない姿勢。

プログラム、上西先生の「ご挨拶」からも、今回の演奏会に込められた志が伝わってきました。

日常的な言葉の伝達力には個人差がありますが、「歌う」という行為の上では一様に強いアピール力が要求されます。これはある種の演劇的主張とでも言うべきもので、今回はそれをより強く求められる表現発露の強い楽曲を選びました。今回の選曲では、合唱の枠を超えイタリアのバロックオペラ、ドイツ歌曲、そして日本歌曲などの幅広い声楽的スキルが求められます。

モンテヴェルディ、ブラームスという文化遺産級の名曲、邦人作品も髙田三郎先生の古典、三善晃先生晩年の作品、そして三宅悠太先生の最新作。

そんな多彩な作品を選ばれた上で、全体を貫く上西先生の美意識——とても満足した演奏会でした。

 

団名の「Nisi」とは「仮」という意味だそう。

この日の演奏が「仮」なんて!と思いましたが、ふたたび上西先生の文を読み直すと腑に落ちました。

団名の「仮」は一時的という意味でもありますが、この永続する探求こそがNisiに込められた願い。この演奏こそが私たちそのものなのだと。

今日の最後の一音が空気に吸い込まれるまで。

……納得です。アンコール曲くちなしのひたすらに こがれ生きよという一節が、Nisiさんの在り方に重なります。

現在の地に安住せず、“仮”の場所として常に理想を追い求める、そんなNisiさん、上西先生の姿勢が聴く者を惹き付けるのかもしれません。

 

遙か遠く、理想へとひたすらに手を伸ばすNisiさんの、次の演奏がどんなものになるのか。

その先に広がる世界を思うと、心が期待に満たされます。