ジョイントコンサート2025-未来拓く魂・つどい歌う-感想

 

 

「良いジョイントコンサートって、どんなコンサートだろう?」

 

 

7月21日正午、札幌市教育文化会館。

涼しいはずの札幌だが、しばらく前から暑い日が続き、この日も30度を超えていた。

冗談で「東京から熱を運んできたんじゃないの?」という声も並ぶ人から聞こえてくる。

 

そう、今日は東京の合唱団CANTUS ANIMAE、そして札幌の合唱団である札幌混声合唱団、コール・アイオーン、リトルスピリッツの3団体が集う日。

合唱ジョイントコンサート2025-未来拓く魂・つどい歌う- の日だ。

 

 

第1ステージ:

《水のいのち》流れる旋律、語りかける声

 

最初は札幌混声合唱団(女声23名・男声18名)、橋本浩さんの指揮、ピアニストは平林知子先生。

演奏曲は髙田三郎作曲《水のいのち》。

女声は40-50代が中心で、そのため音量や伸びが男声に比べ、やや控えめに感じられた。

(これは後のコール・アイオーンでも同様の印象を受けた。男女の筋肉量や出身団体による発声の背景など、さまざまな要因が絡む難しい問題だ。改善には子音の扱いなども有効と思われるが…)

演奏で惹かれたのは、文節で区切らず、ひとつのフレーズが長めで流麗な点。

かと思ったら、重要な言葉は噛み締めるように訴える。

特に優れた男声の「命はないか?」「なぜ、さかのぼらないか(3曲目「川」)」など、問いかけがとても強く響き、この作品の陰影を濃くする。

平林先生のピアノも合唱を導き、寄り添い、4曲目の「海」ではドラマティックに合唱と共に高め合う。

2曲目「水たまり」など曲によっては良い意味での「軽さ」(こちらは女声が良かった)を大事にしていた印象で、そのため全曲を通し、彫りの深いものになったのが好印象。

 

 

 

第2ステージ:

《やさしい魚》の軽やかさと物語性

 

続くはコール・アイオーン(女声23名、男声14名)。

山吹達也さんの指揮、石井ルカ先生のピアノで新実徳英作曲《やさしい魚》。

軽やかで力の抜けた演奏。

この作品の特徴である中間色的な音も、団員さんが十分理解して出している。

はじまりの「感傷的な唄」では「そんな祈りが」からのつぶやきや、3曲目「天使」のヴォカリーズで盛り上がった後、減衰の巧さ。

対照的に2曲目「ジョギングの歌」ではリズムと男声「わっしょい!」の思い切り。

最終曲の「やさしい魚」では石井先生のピアノの素晴らしさ、合唱との呼吸や多彩な音色もあり、この作品の物語性が心に広がる好演。

 

札幌混声、アイオーンともに、近視眼的な演奏ではなく、1曲を通した音楽づくり。

さらに組曲として全体を捉え、各曲の個性を十分に考えられたもので、指揮者と団員さんが長年培ってきた関係性やセンスの良さを感じさせるものだった。

 

 



第3ステージ:

歌が炸裂する闇と熱

 

地元、最後の団体はリトルスピリッツ(女声27名、男声27名)

北田悠馬さんの指揮、藤村美里先生のピアノで信長貴富《超訳恋愛詩集I》。

若い団員さんが多い団体。指揮者の北田さんは35歳ということだが、それより上の団員はいないということ。

 

歌い出しの瞬間、ただただ飲み込まれた!

音の厚みやホール全体に広がる響き、さらに空気を震わせるような感情のうねり!

若さだけじゃない、圧倒的なテンションの高さと純度。

押し切るだけではなく、メリハリもある演奏だ。

特に充実した女声の説得力。

 

最初は「若さとテンションの高さ」が前面に出てくる演奏だと。

しかし聴き進めるうちに、それだけじゃないと気づかされた。

歌われていたのは、愛する人を失った痛み。

突き抜ける声のなかに、ふと覗く陰り。

その陰影と深さ、演技ではなく彼らがリアルに「感じている」ことが伝わってきた。

 

「世界ごと消えてしまえ!」と願うには、並大抵の感情では済まされない。

強烈な破滅への願いを表現するには

「夜露のように消え失せろ!」

そう叫ぶほどのエネルギーが、確かに必要となるのだ。

 

雨森先生に「泣いた!」と言わしめ。

信長作品を追求し続けた「リトルスピリッツだけが持つ説得力」ある演奏だった。

 

 

 

第4ステージ:

祈りを音に、魂を光に──《二つの祈りの音楽》

 

単独ステージの最後を飾ったのは、東京からのCANTUS ANIMAE。

雨森文也先生の指揮、野間春美先生、平林知子先生の連弾ピアノで。

「札幌が生んだ天才作曲家」と雨森先生に紹介された、松本望先生による《二つの祈りの音楽》。

自分は2016年に初演された時のCAのDVDを持っているが、松本先生自身が連弾ピアニストの一人として参加され、終演後に感極まって涙されていた光景が忘れられない。

 

あれから9年、男声編曲版や室内アンサンブル版も出て、数多くの団体に(特に2曲目の「永遠の光」)演奏されている。

《二つの祈りの音楽》は、この10年の日本合唱界を象徴する作品と言っても過言ではない。

 

今回のCAの演奏では、祈りが音となり、形を結ぶ瞬間を目の当たりにした。

 

《二つの祈りの音楽》は、宗左近の詩を大胆に構成した「神と祈りへの疑いから、祈りを取り戻すこと」を描く二部構成の作品。

松本先生が初演時のプログラムノートには、この作品を生み出す動機としてご自身が「祈ることしか出来ないから」と記されている。

 

この作品の根幹にあるのは、《夜ノ祈リ》《永遠の光》が不可分な表裏一体の関係にあること。

2曲は葛藤と確信という、一つの魂を分け合う二面鏡のよう。

1曲目《夜ノ祈リ》では、敵に蹂躙され、絶望の中で「祈リトハモウ吼エルノヲ止メルコトデスカ」と問う。

ひとりひとり、無意味とも思える「祈り」を問い、自ら定義し直す。

烈しく強い音楽ではあるが、CAは指揮者の号令で意志を揃えるのではなく、個々人が自らに問いかけ、弱さやためらいを内包し、過去と現在の絶望を歌い切る。

その暗闇の終結から、ラテン語典礼文の旋律が、まるで空を覆った暗い雲から一筋の光が差し込むように、繊細な美しさで《永遠の光》へと反転。

 

《永遠の光》では希望、生と死と再生が交錯し、三位一体を象徴する三拍子とその揺らぎが、葛藤から得た真の祈りを映し出す。

CAが積み重ねてきたグレゴリオ聖歌やルネサンスポリフォニー、モーツァルト、フォーレのレクイエムといった宗教音楽の素養が、演奏に確かな説得力を与えていた。

この素養こそが、《永遠の光》の希望や再生というテーマに確固たる説得力を与え、単なるリフレインでは終わらせない。

《夜ノ祈リ》が過去と現在を表わした後、《永遠の光》が現在と未来を照らしていた。

 

この《二つの祈りの音楽》を通して、CANTUS ANIMAEが音楽に込める魂の真摯さ、そして未来への信頼が、鮮明に映し出された。

松本先生の初演時の涙が9年の歳月を経て、確信に満ちた祈りへと昇華された重みを、自分は確かに共有したのだ。

 

 

 

 

ふたたび「良いジョイントコンサートってどんなコンサートだろう?」という問い。

“共に高みを目指す”とは具体的にどういうことなのか?

それを最も強く感じたのが、この合同演奏だった。

 

 

合同演奏:

《光る砂漠》と重なった「誕生」の瞬間

 

このコンサートのクライマックスは、合同演奏の180名、雨森先生の指揮、平林先生のピアノによる萩原英彦《光る砂漠》。

正直、180人の大人数でこの繊細な曲は難しいのではと聴く前に思っていた。

だが、音が鳴り響いた瞬間、それは圧倒的な「生の肯定」!

教育文化会館いっぱいに響く大音量に、思わず笑ってしまうほど。

けれど次の瞬間には、「矢澤宰が生きたかった世界が、ここにある」と泣きそうになった。

 

「光る砂漠」は曲数が多く、抜粋で演奏されることも多いが、全9曲を通した演奏は、全体が季節と生命の循環を描いていることを再認識させる。

特に萩原先生が記された第1曲「再会」の「誰もいない」が、アルカデルト「Ave Maria」の音型を逆にしていること。

キリスト教的な象徴性とともに、21歳の若さで亡くなった矢澤宰が想いを寄せていた看護師をマリアに見立て、切実な生への希求を浮かび上がらせる。

 

萩原先生は、矢澤宰の病室からの「生きたい」という願いを受け止め、魂が冥界をめぐり、再び命として生まれ変わる「死と再生」の物語を音楽に置いたのだ。

最終曲「ふるさと」で病室から天へ昇った魂が、はじまりの「再会」へと戻り、秋の校庭に新しい命として降り立つ。

去っていく彼女を追うように、彼は光を常に探しているのだ。

 

そして、最後に一つの小さな奇跡が起きた。

演奏中に客席で少しぐずった赤ちゃんを、お母さんがすぐにあやし静まったのだけど。

最終曲「ふるさと」の最後、バスが「と、思った 」を伸ばした瞬間、産声のような泣き声がわずかに重なったのだ。

震えた。

山に水を返した」と死の暗示の後に誕生を感じられた、あの瞬間だけの、奇跡のような泣き声。

「生まれた」──と。

180人の合唱と産声との共演は、「光る砂漠」が描く「生と再生」の物語を永遠に刻み込む、忘れられない瞬間となった。

 

 

つづく三善晃「生きる」、そして会場からも募り、二十数名が加わった大合唱の「大地讃頌」も力強く、このジョイントコンサートは終演を迎えた。

 



このコンサートが教えてくれた3つのこと:

 

始めに書いた「良いジョイントコンサートってどんなコンサートだろう?」という問いに戻る。

このコンサートは、以下の3つの点で、その模範的な姿を示してくれた。

 

1.対等な立場からのリスペクト

実績・実力のあるCANTUS ANIMAEを「お迎えして崇め奉る」ではなく、札幌の3団体と「共に音楽しよう」という姿勢。

どの団体も客席でお互いの演奏を聴き合い、応援し合う雰囲気に満ちていた。

 

 

2.音楽への誠実な準備

合同曲の《光る砂漠》と三善晃《生きる》は、前日や当日だけでなく、それぞれ3月、5月に「合唱講習会」を設け、公募メンバーと共に入念に準備を重ねられたそうだ。

《光る砂漠》にしろ《生きる》にしろ、そう簡単に演奏できる作品ではない。

一般的なジョイントコンサートの合同曲は、大人数を活かしたり理想が存在するものではなく、練習回数の少なさから間に合わせのものと感じてしまうことが多い。

しかし、このコンサートでは、繊細で難易度の高い《光る砂漠》、しかも全曲を敢えて選んだ。

この選曲こそ、音楽に対する揺るぎない誠実さと、聴衆に届けたい真の想いを示すものだった。

 

 

3. 観客を視野に入れた演奏者としての誇り

単に集まって楽しく歌うだけでは、演奏者の自己満足に終わりがちだ。

しかし、このジョイントコンサートは違った。

そこに集まった観客へ最上のものを伝えようとするメッセージ、すなわち演奏者の強い誇りが強く感じられた。

そして、その誇りこそが、このジョイントコンサートのサブタイトル「未来拓く魂」に繋がっていると確信する。

名曲の価値を知ろうと、地元合唱団外のメンバーを公に募り、講習会を重ねた真摯な姿勢。

また、合同演奏の最後に客席から《大地讃頌》を歌う人々を募り、感動を共有する場を創った開かれた精神。

真に優れたものへと努力し、肉薄しようとする意志であり、その過程で「多くの人を巻き込もうとする」積極的な行動だ。

これこそが、合唱の喜びと文化を次の世代、すなわち「未来」へと拓く、最も確かな道筋だと考える。

 

 

 

最後に:

 

自分が札幌にいたのはもう20年以上も前のことになるが、実は地元三団体のうち、札幌混声、コール・アイオーンに所属していて。

合唱を始めた頃からなじみ深い教育文化会館 というホールで、自分の好きな合唱団である東京のCANTUS ANIMAEが共演してくれたということ。

またCANTUS ANIMAEも一切手を抜かず、真摯に自分たちが初演した《二つの祈りの音楽》を、これこそ初演団体だという説得力で最高の演奏を聴かせてくれたこと。

 

さらに言うならリトルスピリッツの若く熱い魂を実際に感じられたこと。

過去に所属していた札混、アイオーンがそれぞれの個性を発揮し、充実した演奏をしてくれたこと・・・。

 

隣の席で、札幌にいたときの過去の自分も喜んでいる気がしました。

出演されたみなさん、本当にありがとうございました!

 

また北海道へ戻ってきます。