天国のような飲み屋があると聞いた。
酒呑みなら必ず訪れなければならない店だと。
そんな店ならぜひ行ってみたい!
そう願うのも当然だろう。
しかしその店に入店するのはなかなか難しいのだという。
まず、雨と風の強い日はお休み。
さらに土日に開いている率は高いが、
平日は不定休との噂も。
その店の名は「たぬきや」。
多摩川沿いにある店だ。
あまりに天気の良い春の日、
この店へ行くことに決めた。
築地から京急とJRを乗り継ぎ、
稲田堤という駅で降りる。
多摩川へ向かい10分ほど歩く。
階段を登ったすぐ右手にその店はあった。
しかし…雨戸で固く閉ざされている!
こんな晴れた良い天気なのに!
思い出した。
いま時刻は昼の13時を回ったところ。
店を昼から開けるのは土日だけで、
平日は15時から開くのだった。あーあ。
ここは考えどころ。
2時間待つのも良いが、
待ったあげく不定休の日にぶつかる可能性もある。
どうしよう…。
気づくと駅前まで戻り、
不機嫌なカラオケ屋の店員に「ひとり!2時間!」
と言う自分がいた。
隣の部屋から漏れ聞こえる、
同じくひとりなオッサン演歌を聞きながらの仮眠も乙である。
さて15時過ぎ。
再びたぬきやへ向かうが…閉まっている。
完全に、閉まっている。
全身の力が抜け落ちそうな感覚に耐えながら
(まあ、こんな機会でもないと
多摩川まで来ることは無いよな…。
風も気持ち良いし、周囲を散策しよう)
と気持ちを切り替え、30分ほど歩き、戻る。すると…
雨戸を外すお姐さんの姿が!
思わず駆け寄り
「あ、開いてますか?!」
「はい、もうすぐですよー」やった!…やった!!
中に入り、生ビールとおでんの盛り合わせを注文。
念願のビールの味は、美味かった。
どうしてこんなに?と思うほど美味かった。
流れる川面と春の光、心地良く吹き抜ける風。
そのすべてが生ビールの味を格段に引き上げ、
飲んだあとしばし放心するほどだった。
次に訪れた老紳士も生ビールとフランクフルトを頼み、
文庫本を開き、ときおり川面を眺めながら楽しんでいる。
近くの高架から京王線の列車が通る音がする。
「たぬきや」、常連客は夕暮れ前に訪れ、
刻々と変わる空と川を楽しむのだとか。
よし、次はそれだな!
日常とは違う世界と時間の流れ。
「天国のような飲み屋」は、本当にあった。
(おわり)