8月29日から2泊して神戸・大阪に行ってきました。
まず神戸の名谷駅へ!
ここに何があるかというと、ファストフード。
……なぜファストフード?
実は「名谷のトミーズというファストフードのポテトが激しくウマい」という記事を見てしまったため。

女子高生や女子中学生たちに挟まれおっさんが並ぶこと40分。ドリンクとのセット500円のポテトは……

でっっっかっ!!
他ファストフードのポテトL、3つ分くらいあるのでは?
揚げ立て、塩のグラデーションで後を引くウマさでした!
続いて神戸聖愛教会、スロヴェニアからのKGBL室内合唱団公演。
予備知識なしに向かったのですが、えらく若いメンバーばかり?
と思ったら、リュブリャナ音楽・バレエ音楽院所属の団員さんだそうで。
団員30人ほどによる混声合唱。
若い声ならではの透き通ったピアニッシモから、教会を震わせるような大音量まで。
スロヴェニアというお国柄か、隣接するロシアやベラルーシなどの作品も並び、複数のスラブ文化圏を行き来するようなプログラムでした。

特に良かったのが ラフマニノフ《晩祷》。
第5曲《Nunc dimittis》
第6曲《Bogoroditse devo》
第7曲《Slava v vyshnikh bogu》の3曲。
難しい高音域のピアニッシモも良くコントロールされ、それが静謐な祈りを思わせ。
フォルテッシモも単に張り上げるのではなく、確固としたメソッドで豊かなアルトとバスが支え、鳴らしている。
ビブラートはほとんど無く、成熟しているように聴かせる日本の中学生の方が大人っぽいかも。
良い意味での素朴さが、そのままリズムの力強さにつながっていて聴き入りました。
5曲目のテノールソリストは一見気弱そうな(失礼!)青年でしたが、歌い出すと堂々として安定感があり、声にも優れたテノールらしい輝きが。
それでいて声を誇示する感じはなく、純朴で敬虔な歌いぶりが印象に残ります。
第6曲《Bogoroditse devo》
最初はゆったりした旋律をリフレイン、そこからテンポを速めた別の旋律が重なっていく。
歌い手が旋律、時間そのものを大きく取っていることに惹かれました。
日本の合唱だと、縦を揃える意識が強すぎるのかな?
KGBLは旋律の横方向への広がりがあり、音楽の時間が大きい。
そこから、かすかな哀しみとロシア的な伸びやかさが立ち上がってくる。

休憩時間に階段で座るKGBLのみなさん
ベラルーシ出身のSergey Khvoshchinsky「Bogoroditse devo」も印象深く。
さらにスロヴェニアの作曲家Andrej Makor「Pomilui Mya」も哀切なリフレインが記憶に残りました。良い曲だなぁ。
最後には、冒頭で歓迎演奏を披露した地元・神戸の合唱団 Basta Bastaさんとの合同合唱もあり、指揮者チョピ氏の作品「MASS OF HOPE」が演奏されました。
神戸公演が日本公演の最後、最終学年の団員さんもいるということで、各ソリストは演奏後にチョピ氏とハグし、最後には涙を抑えられない男性メンバーも。
スロヴェニアは南スラブ、ロシアやベラルーシは東スラブ。
同じスラブ系とは言え文化圏も宗教的背景も異なりますが、この日のプログラムでは、不思議と響きに連続性を感じることに。
現代社会の諸問題を、音楽的な難解さによって映し出すような「今風」の現代合唱曲とは少し違い、指揮者のチョピ氏の作品始め、比較的聴きやすい作品が多かった印象。
それにしても《晩祷》全曲聴きたかったな!
翌日は心斎橋の島之内教会へ。
全く異なる性格の演奏会が待っていました。
Vocal Ensemble -Knot-2回目の演奏会。
女性8名と、主宰・指揮の山口雄人さんが間に入る男性6名のアンサンブル。

前半はドイツ音楽の系譜を死生観から捉え直す選曲。
山口さんの解説を聞き、曲が進むにつれて、一見ばらばらな数百年の作品が一本の線でつながっていく。
歌い手も観客もぐっと集中していくのがわかります。
前半最後に演奏されたブラームス《Dem dunkeln Schoß der heilgen Erde(聖なる大地の暗きふところに)》が良い曲だなぁ、と。
シラーの詩にある「死への静かな諦観」と、「大地に埋められた種が再び花開くような希望」が、じんわりと染みます……。
この曲はブラームスがシューマンの死後、シューマン晩年のピアノ曲《暁の歌》第1曲を下敷きにし、死と再生を歌うシラーの詩を重ねたもの。
シューマンが着想を得た小説も、絶望の暗闇から希望の夜明けへ向かう。
和声や音楽の複雑さには割り切れない苦みも感じられ、こちらも魅力的。
山口さんの、歌い手も観客もドライブさせる力は健在。
しかも今回は、ただ音楽を前へ進めるだけではなく、それぞれの曲の魅力が以前より深く掘り下げられているように感じました。
後半の世俗曲では、「人生は楽しい」と思わせる曲ばかり。
しかしそうした喜びもすべて、死へと還っていく。
最後に歌われたのはブラームス《哀悼の歌》。
友人の死を悼み歌うことで、その命は永遠になるという山口さんの解説が、選曲や曲の内容とリンクし、特に深く感じ入りました。

何十年、何百年と歌い継がれてきた名曲には、簡単には汲み尽くせない奥深さと魅力があって。
そうした名曲に、いま生きている者が触れる意味。
そこに深く気持ちを入れ、仲間と一つの世界を作ろうとすること。
聴いているうちに、
「合唱とはなんて良い趣味なんだろう!」
と、Knotのみなさんが羨ましくなりました。
KGBLでは、ラフマニノフ《晩祷》のように数多く歌われてきた作品が、若い歌い手の素朴でよく統御された声によって生きてくる。
一方Knotでは、シュッツからブラームスまでの作品に自身を入れ込み、その瞬間の自分たちの世界を作ろうとする。
2026年の神戸と大阪で、古い曲がまったく違う顔で生きていました。
歌う人が変われば、同じ曲にもまだ知らない表情が現れる。
それを見たくて、人は合唱を続けるのかもしれません。

心斎橋・島之内教会











