埼玉で開催された高校Bグループ全国大会のライブ配信を聴きました。
以下、勝手な感想を。
クライマックス " だけ " が上手いのではなく、そこへ持っていく表現で唸らせる団体がいくつもありました。
新海誠監督が「映画を観た人の感情」をグラフ化している映像が印象的でしたが。
クライマックス直前の表現が、ジェットコースターのように高みに向かっている、落差がある、ハラハラさせる!
各箇所の音楽が点と点で離れているのではなく、ちゃんと「線」として繋がっている。
その視点からだと大妻中野の土田「うすく溶けるグリーン」は題名通りの色彩のグラデーションと明確な差異を、音色と音量、音圧で1曲を通し描き分け強い説得力を持たせ。
合唱団全体が大きな塊、生命体のように力強くドライブさせる印象がありました。
浦和第一の三善「ゆめ」も、クライマックスへの切迫感、accel.が表現として実に練られていて、歌としての捉え方にも好感。
清教学園も発声自体は自然、個性で聴かせる団体ではありませんが、表現の階層の細やかさとパレットの種類が多く、信長「君死にたまふことなかれ」は各部の作曲上の狙いを深く酌み取っている演奏。
不来方のペルト選曲には驚き!
Nunc Dimittisを取り上げたのも凄いし、演奏にも真摯な祈りとそれを支える永い持続があり。
コンクール的にはひょっとしたら評価が低いかもしれませんが(※銀賞でした)、個人的には大きな賞賛を。
不来方高の校名最後の年、全国大会を印象深い演奏で見事に飾られたと思います。
鹿児島高校の伸びやかで熱い歌声には耳を惹きつける力が。
課題曲「この船の行く先で」には涙腺が緩む箇所があり「この曲で?!」と自分へ驚くことに。
とても良い青春を生きている雰囲気がステージから伝わりました。
特に男声がイイ!これからもぜひ合唱を続けてください!
郡山高校の課題曲「Deep River」、最初の「D」に「!」
抑えた表現の中から強く湧き起こる望郷の念に打たれました。
三善「夕暮」もちょうど夕暮れ時だったのもあり、彼ら彼女ひとりひとりの感性が息づく演奏に、若い人の演奏を聴く魅力ってこれだよなぁ……と。
いや今大会、私一押しは郡山のDeep Riverです!
札幌旭丘、ステンハンマルの名曲「3つの歌」をこぼれ落ちるほどの思い入れたっぷり、まさにカンタービレ!
しかし歌っている姿は微動だにしないのがギャップで良いね(笑)
最後は「もし僕に孫がいたなら」ではなく、同じステンハンマル「スウェーデン」を選んだのも歌い切った感があり好感。
会津高校は「この船の行く先で」の作品解像度が非常に高く息を呑みました。
宮本正太郎先生の委嘱新作演奏も上手いだけではなく、作品の魅力を取り出し、とても丁寧に磨き上げています。
優れた演奏こそが作品を輝かせるという真実。
大竹隆先生が持つ音楽の幅広さと深さ、音楽への高い要求に見事応えた学生さんへ大拍手!
盛岡第一の信長「絶え間なく流れてゆく」、序盤の厚みある、温かいサウンドに泣きそう。
激しい表現でも自分を見失わない客観性と音楽を成り立たせる知性。
ラストの希望と祈りにまた泣きます。
松山女子は今大会最大人数の96名、その人数を生かした音楽作りが魅力。
自由曲「風のシンフォニー」、今回の「宮本まつり」の中では、いちばんキャッチーな曲だったのでは。
幕張総合、ピアニストの野間晴美先生さっすがぁ!
「この船の行く先で」前奏4小節目のグリッサンド的な音に合唱を導く「さぁ!」という願いを聞いたのは自分だけ?
土田「愛の天文学」でも合唱と時に寄り添い、表現の幅を広げ、厚みを加える、「協演者」として見事でした!
(※18:45時の感想。追記するかもしれません)
(※21:30文章を修正し、以下の雑感を追記しました)
●ピアニストさんはどの方も素晴らしかったけど、若干「カラオケ感」が?
合唱は合唱、ピアノはピアノの世界で完結している印象もあり。
それはピアニストさんだけの責任ではなく、指揮者先生は合唱に要求するぐらい、ピアニストさんにも音楽を要求されているのかな?
会津高の白河俊平先生、幕張総合の野間晴美先生はピアニストとして素晴らしいだけではなく、合唱とも協演し、いま会話を交わすような心地良い「ライブ」の印象がありました。
●先日亡くなられた田中信昭先生は、生涯450曲もの新作を委嘱初演された合唱指揮者。
なぜそんなにも作曲家へ委嘱するのですか?という問いに
「優れた作曲家が、現在の世界へ感じたことを形にすることに価値がある。
時代を見据えて、この先どのように生きるべきか、世に問うているのが作曲家だ」と答えられたそう。
昨年の大学ユース一般部門の全国大会で演奏された新作のテキストでは「個人が誰かひとりに対面し、あるいは個人の内省や体験から、世界が広がっていく」作品に印象深いものがありました。
今大会の高校生のために選曲された作品のテキスト、作曲家の宮本正太郎先生や信長貴富先生、土田豊貴先生が現在の世界に何を感じ、合唱作品として発信する上でどんなテキストを選ばれたのか非常に興味がありました。
個人的には、声高に世界へ訴えかけるのではなく、ひとりの人間として生きること、世界を見つめることへ還っていくのだろうか?とも思います。
●漫画の神様・手塚治虫先生は「漫画家になりたければ漫画を読むな!」と言ったとか言わなかったとか。
会津高の演奏を聴き、もちろん合唱芸術としての奥深さに感銘を受けましたが、同時に大竹先生は「合唱」や「歌」だけではなく、他ジャンルのさまざまな優れた音楽を聴き込まれているのだろうなぁという印象がありました。
さらに素材としての「声」、さらにさらに「音」の観点からも作品を捉えていることに驚き。
自省でもありますが、今大会の演奏を自分は「合唱」だけの狭い範囲でしか聴けてないのかも?
この感想も【合唱を合唱で語る】愚を犯しているのでは?という疑念があります。
大竹先生、会津高の演奏は他ジャンルの音楽からの深く幅広い知見、人間の声を「歌」だけではなく、もっと広い視界で観ておられる。
だからこそ、会津高の演奏からは「合唱はこんなにも可能性がある音楽なんだ!」と心が動いたのです。
まぁ、余計なことをいろいろ書いてきましたけど、こんなにも多くの高校生が素晴らしい演奏を披露してもらったことに感謝しかありません。
鹿児島高校の演奏、特に男声の歌に涙腺が緩みましたが(ホント、今大会の全男子!君たちみんなヒーローだよ!!)
あと数年したら男子高生が入場するだけで泣いちゃうんじゃないかと心配です。
言及しなかった団体も、自分の矮小な感受性では受け止められなかっただけでしょう。
妄言多謝!みなさん、これからもぜひ合唱続けてくださいね!