合唱が、ここまでエンターテインメントになるとは思いませんでした。
世界的なコンクールで何度もグランプリを受賞した団体なのに、求道者的な雰囲気は皆無。
ステージと客席が一体になって、観客をときに笑わせ、泣かせ、熱狂させる合唱団。
7月23日、35度を超える暑い木曜日、広いスロープを上る特徴的な福岡市民ホールへ。
19時開演のフィリピン・マドリガル・シンガーズを聴くため。

大ホールは8割ほど埋まっていたかな。
半円状に椅子が並べられているステージ。
照明が付き、男女交互に登場、20人ほどのフィリピン・マドリガル・シンガーズのメンバーが大きな拍手で迎えられます。
団員は椅子に座り、指揮者のマーク・アンソニー・A・カルピオ氏も、いわゆる指揮者定位置の中央では無く、向かって左側の椅子に腰を下ろします。
Allen Pote作曲「聖フランシスコの平和の祈り」(編曲:Robert Delgado)からのオープニング。
見慣れないスタイルへの戸惑いも、20人とは思えない音量音圧と、リフレインで「どこまで昇りつめるんだ!」と言わんばかりの情熱的な歌声に圧倒されるうち、戸惑いはいつしか消え去っていました。
最初から聴く者の心を掴み震わせる選曲と、それを支える確かな技術と心の熱さ。
メンバーが名前と自分のパート、曲を紹介し、続いての《ルネサンス・マドリガル》。
気に入ったのはG.G.ガストルディ「歌おう、喜びとともに(Cantiam, lieti cantiamo)」。
羊飼いたちの4声、ニンフたち4声の2グループが交互に歌い交わす名曲。
題名の通り、喜びに満ちたメンバーの表情と声。
それぞれのキャラクターが前面に出た、生き生きとした歌唱の素晴らしさ。
16世紀の作品が、今まさに生まれた曲のような錯覚を覚えるほどの演奏でした。
フィリピン現代音楽の2作品を挟み。
ここでは伝統音楽の要素、楽器が入った「Alitaptap(ホタル)」が興味深かったです。
続いての《ポピュラー音楽ステージ》。
熱さばかりと思いきや、ギターを伴った中田喜直「夏の思い出」では、澄み切ったユニゾンとピアニッシモで情感豊かに、しみじみと心の奥まで染み込む音。
芸達者、優れたメンバーが揃っているんだなぁ!と思わせた映画「モアナと伝説の海」より「どこまでも ~How Far I'll Go~」、映画「ライオン・キング」より「サークル・オブ・ライフ」。
しかし、目玉はなんと言っても薄毛小太りおじさんがソロを取ったQueenの名曲「愛にすべてを(Somebody to Love)」!
フレディ・マーキュリーが甦ったかのごとくセンターで熱唱する姿!
後ろの合唱とコール&レスポンスし、ホールを存分に湧かせてくれました。
おじさんの歌の上手さと押し出しの強さ、凄かったな・・・。
15分の休憩後、《フィリピン音楽》ステージでは、小説とミュージカルを原作とした「ノリ・メ・タンヘレ」から2曲が演奏され、続いて《世界の音楽》へ。
メキシコ民謡「ラ・クカラーチャ」を小気味良く、一瞬も飽きさせない楽しい演出の男声アンサンブルで。
いやぁやはりフィリピン・マドリガル・シンガーズは芸達者ばかり!
ルネサンス・マドリガルからミュージカル、フィリピン伝統音楽、ポピュラー音楽まで。
これほど幅広いレパートリーを、単に歌い分けるのではなく、それぞれの作品が持つ世界観や精神性まで表現し分けていたのです。
もちろん主旋律を担うパートは、その作品のメッセージをまっすぐ届けようとしています。
しかし印象的だったのは、それを支える他のパート。
ただハーモニーを重ねるのではなく、舞台装置の一部のように空気をつくり、その場面で何を表現すべきかを深く理解して歌っているように感じました。
全員が演劇的素養を備えた表現に、合唱劇を多く演奏する栗友会さんの演奏を思い出したりも。
単純に「合唱を歌う」では無く、その作品の背景やメッセージに至るまで、声、身振り、全身を使って表現しようとしているのがビンビン伝わってくる。
「舞台人」として完成されていたんです。
黒人霊歌:Signs of the Judgment(最後の審判の兆し)も、その精神性に心から共鳴したような叫びがあり。
松下耕先生の「牛深ハイヤ節」は、この難曲がこんなに軽々と聴きやすく、また魅力的に聞こえるんだ!と驚かされ。
最後はR.Cayabyab「Paraiso(楽園)」をヒーリングミュージックさながら、美しい和音と響きで天国へ誘ってくれました。

アンコールは「上を向いて歩こう」をお洒落なアレンジで。
しかし、観客の拍手は止まらない!
続いて演奏されたのはR.Cayabyab「Da Coconut Nut」。
ココナッツを讃えるユーモラスな作品。
この曲でも「Somebody to Love」でソロを取った小太りおじさんが登場!
しかも女性4人を従えて踊る踊る歌う歌う!
フィリピンを代表する合唱団のシメがこの曲とは……参りました。
おじさん、あんた輝いてたよ!
「合唱がエンタメになる!」を実感したフィリピン・マドリガル・シンガーズ。
聴きながら、「合唱が多くの人に届くには何が必要なのか」を考えてしまったんです。
親密な雰囲気の中で笑わせ、時に泣かせ、熱狂させる。
全体を通して思ったのは、まず非常に練り上げたプログラムだったということ。
フィリピン伝統音楽からルネサンス・マドリガル、さらには日本含め世界各国の音楽からポピュラー音楽まで。
もちろん同じように幅広い選曲の団体はいくつもあります。
決定的に違ったのは、それらの音楽で心に引っかかる音楽のメリハリ、技術、振り付けまでもが、究められていたこと。
ちょうどこの時期、合唱連盟の機関誌「ハーモニー」夏号で、長谷川冴子理事長が
「合唱やろうぜ、の次は『合唱聴こうぜ』ね」
と仰っていましたが、合唱の聴き手を育てるなら、まず《絶対ウケるアンセム》が必要なんじゃないでしょうか。
言うまでもなく、日本の合唱人の間で歌われる愛唱曲は名曲ばかりです。
でもそれだけじゃなく、合唱をあまり経験していない人、海外の人にも「この曲、合唱で聴いたら凄いんだね!」と絶対思わせて拍手喝采してしまう曲。
そんな曲を各団体がレパートリーとして練り上げ、ことあるごとに披露することが「合唱聴こうぜ」に繋がるんじゃないのかな。
フィリピン・マドリガル・シンガーズを聴いてそんなことを思いました。
あと大事だと思ったのは、「歌うことの根源的な喜び」があったこと。
今まで聴いたヨーロッパ系の合唱団は、どれだけ上手くても、どこか「こんなんじゃダメ。まだまだ」という求道者の空気があって。
でもフィリピン・マドリガル・シンガーズは違ったんですよね。
高音域のソプラノが恍惚の表情を浮かべ、大音量を張るテノールの顔が喜びに満ち、メンバー全員がその曲の世界に深く没入したまま歌っている。
そんな表情が、演奏会を通じてずっとステージにあった。
「高い音出た!」「デカい音出せるもんね!」「超良い曲!」という純粋な喜びが、そのまま音楽になっていた。
技術を極めれば、そういう喜びを前面に出すことは難しくなる。ずっとそう思っていました。
でも、それは単なる思い込みだったのかもしれません。

第2部《世界の音楽》で演奏された「花は咲く」。
NHK東日本大震災復興支援プロジェクトのテーマ曲で、岩井俊二氏の詩、菅野よう子氏の作曲。
プログラムには「希望と慰め、そして癒やしのメッセージを紡ぎます。発表以来、困難を乗り越える力(レジリエンス)の国際的な象徴として、世界中で広く歌い継がれています」と。
メンバーの一人が切々と歌い始め、隣り合う人が声を重ね、やがてそこかしこで断片的にメロディが広がっていく。声が花開くように。
そしてメンバー全員が「花は 花は 花は咲く」と歌った瞬間、ポリフォニックに交わっていた無数の声がひとつの大きな祈りへと結ばれ。
それぞれの人生や想いがひとつの希望へ集まっていくように感じられて、胸を突かれ。
気づけば目から涙がこぼれていました。
そこには「花は必ず咲く」という揺るぎない未来への信頼があり。
その希望が、日本だけでなくフィリピンの歌い手たちにも共有されていることが何より嬉しく、心を強く動かされたのです。
編曲のIly Matthew Maniano氏はフィリピン・マドリガル・シンガーズの元団員で、日本でも合唱作品が演奏会やコンクールで歌われる作曲家。
この編曲については調べても情報が得られなかったのですが、震災の犠牲者を追悼するだけではなく、「歌うことが人を希望へ導く力」を鮮やかに描き出していました。
ぜひ、日本の合唱団にも取り上げてほしい。
あの涙も、きっと歌うことの喜びから生まれたものだったのだと思います。
フィリピン・マドリガル・シンガーズを思い返すたびに浮かぶのは、高い技術でも、フィリピンを代表する合唱団ということでもなく。
「歌うこと、合唱は、こんなにも楽しい」
その当たり前のことを、これほどまっすぐに教えてくれた合唱団を、私は他に知りません。

(フィリピン・マドリガル・シンガーズ福岡公演 おわり)