札幌混声合唱団第26回演奏会のお知らせ


創立から32年、札幌混声合唱団さん第26回演奏会のお知らせです。

日時
2024年5月12日(日)
【開場】13:30
【開演】14:00


入場料 1,000円 

 

会場
札幌市生涯学習センターちえりあホール
(札幌市西区宮の沢1 *東西線宮の沢駅直結)

指揮 
陣内直(客演)/橋本浩/ 山方太郎

ピアノ 
千葉皓司(客演)

☆チケット取り扱い 
道新プレイガイド、札幌市民交流プラザ

 

プーランク、三善、信長の名曲が聴けるのが嬉しい演奏会。
さらに嬉しいのは木下牧子「ELEGIA」の演奏!

楽譜を持っていますが、生で聴くのはこれが初めて。
北園克衛の時代を越えた都会的で優れた詩を、木下牧子先生の音世界で繊細に彩った素敵な作品。
貴重な生演奏の機会、ちえりあホール最前列で楽譜を開きながら聴いてみたいですね。

 

必読書!「コンクール文化論 」

「コンクール文化論  競技としての芸術・表現活動を問うを読みました。
これは面白かった!ぜひ多くの合唱関係者に読んでいただきたい!

ショパンコンクール、韓国ダンスボーカルグループ、ストリートダンス、ポールダンス、インドネシア武術、秋田県地元一曲民謡大会、バリ伝統音楽、アイルランド伝統音楽、琉球古典芸能、そして日本の吹奏楽、合唱など「学校のコンクール」まで例に取り上げ、音楽だけでは無く「パフォーミングアーツ」が競技制になると、どう変化するかを記した本著。

「どの分野もコンクールはこれほど合唱と似通ってしまうのか!」と驚いてしまいました。
合唱コンクールの諸問題、それは審査員の評価であったり、コンクール用への音楽の変質や、一人勝ちと他大勢の敗者の心理的問題や、音楽を続けるモチベーションの喪失であったり・・・。
かなりの章で日本の合唱が抱えている同じ問題が語られていて、ここまでとは、そう唸ることに。

第8章の「学校とコンクール」は、自分には馴染み深いNコンや全日本合唱コンクール、アンサンブルコンテストも取り上げていて。
学生がコンクールへ精魂傾けてしまう理由を「燃え尽きるための物語」。
自分が主人公になり集団でコンクールに向かう活動を、「物語」という鍵で説明していく章も興味深かったのですが。

一番面白く読んだのは「第6章 発熱するコンクール バリの伝統音楽グンデル・ワヤンの事例から(増野亜子)」ですね。
1990年代まではコンクールが行われていなかったバリの伝統音楽。
演奏者人口拡大のため、2005年から小中高校生、若者のためのコンクールを行ったところ、とても盛り上がることになったが、それは良いことばかりでは無かった……という顛末。
冷静な筆致ではあるけど、コンクールによってドラマティックに変化するバリ伝統音楽の世界に興奮してしまいました。
コンクールスタイルの確立によって、地味で難解なグンデル・ワヤンは華やかに、また親しみやすくなり、それによって多くの人々をコンクールに巻き込んでいくことが可能になった。
しかしどう伝統音楽が変わったかというと

「技能を誇示して競技に勝つことに特化」
「速いテンポで複雑なパターンをダイナミックに、ぴったりそろえて演奏し、演奏者の身体を美しく『見せる』コンクールスタイル」
「振りつけやタイミングが揃っているか、一般の観客でも視覚的に判断できるコンクールスタイル」
「多くの人に感覚的に理解されやすいテンポの速さ、ダイナミクスの強調」

……に変わったというのです。
う~ん、こういう評や感想、いままで合唱コンクールでさんざん見たぞ?!

過去の伝統音楽の演奏と比較し
「派手なコンクールスタイル、その演奏は本来の音楽の在り方では無いと批判する人も少なくない」
「本来多様で多義的な演奏の在り方を、一つの枠組みに押し込んでしまう」という批判もあるそう。

 

さて、なぜこうも「コンクールは人を熱くさせるか」という問いに増野亜子氏は

●1回の演奏の価値が権威ある第三者に評価され、序列化されることにあり、それは端的に言えば、栄誉をめぐる「勝負」にほかならない

●「他の団体」より優れた演奏を目標に人々は努力し、その成果へ勝敗という明暗のコントラストが加わることに一連の過程はよりドラマチックになる

●努力の末に経験される達成感や満足感、勝利の喜びや敗北の悔しさなどの濃密な感情

と記されています。
なるほど、とてもよく理解できますね。
第8章の「学校とコンクール」でも触れていた「物語」化。
自分、そして周囲を巻き込んだ物語として、コンクールは非常に有効に働くわけです。

 

 

《聴衆としてコンクールの結果は選別にとても有効》

「ショパン・コンクール優勝!」はこの上ないキャッチコピーで海外に売りやすいことも記されていて。
聴衆としては、今まで知らなかった他の分野に触れようとすると、コンクールの評価を入り口にしないのは難易度が高いと思うんです。
自分のことですが、昨年いしいひさいち氏の「ROCA」という漫画をきっかけにポルトガルの国民歌謡「ファド」を詳しく知りたくなり。

検索し、出てきたYouTubeの動画を順番にうーんイマイチ、これはまあまあと聞き続け、10番目くらいに出たさまざまな歌手が出るファド動画が気に入り、今でも酒のお供にしています。
・・・でもこれ、自分がその時は10以上も動画を探す超暇人だから出来たわけで。
時間の無いときは検索して出た最初の動画で判断し「ファド、つまんね~」と放り出した可能性も高いんですよね。

じゃあYouTubeのトップ動画じゃ無く、売り上げトップの演奏だったら良かったのか?
もしくはリスナーが付けた評価星☆4つとか?
探そうとするものがマーケットにあって一定のファンがいれば良いけど、いや、そもそも商業主義の結果を信用して良いのか?

本書では「秋田県地元一曲民謡大会」を紹介していますが、その言葉で検索しYouTube最上位に出たのは、出演者が【大会日本一の4人】という「コンクールの結果」で選ばれた人たち。
もちろんコンクールの評価だって絶対では無いはず。
でも検索上位と「大会日本一の4人」というコンクールの評価が重なり、秋田の民謡に不案内な自分には、指針を得たような安心感があったんですよね。
「コンクールの評価」はもちろん全てでは無いのは重々承知しているけど、しかし代替となる自分の基準を出すのがメチャクチャ難しい。

 

《コンクールの問題点を克服しようとしている日本の合唱界?》

本書を読んだ自分の結論は
「コンクールはそのわかりやすさで、特に若年層へ訴求力が高いのは認めざるを得ない。ファミレスやファストフードが若年層に受けるのと同じ。入り口が広く、本来複雑な味の要素を上手く抽出し、ハッキリした味に惹きつけられてしまう人は多いはず。
合唱人口を増やす代替案が示せないなら『コンクールの是非』では無く、コンクールをまず受け入れ、コンクールによって削ぎ落とされた要素の補完や、コンクールの問題を緩和する方向へ進むのが効率的なのでは?」というものです。

例えば「コンクールスタイルへ特化した演奏の問題」へは、プロ合唱団の東京混声合唱団がNコンや全日本の課題曲を演奏する「コン・コン・コンサート」というものがありますね。

「これでもか!」という気合いの入った暗譜の東混のみなさん、指揮者の音楽性が前面に出た個性あふれる演奏が聴ける。
今まではどこかで「コンクール課題曲というものはミスの無いよう、お行儀良く演奏するモノ」という意識があったのですが、「課題曲と言えどもひとつの作品!」と東混のみなさんが真正面から対峙し、プロの本気で演奏してくれたのは、本当に価値あるものだと思います。
過去に、ある東混団員さんが「コン・コン・コンサートの演奏はお手本にならないというクレームがあった」と呟かれていましたが、それで良い、いや、お手本にならないからこそ良いんだと。

アマチュアでも、例えば東京のCANTUS ANIMAEさんのプログラミングなんて、人気の信長貴富氏の作品を、「コンクールに選びにくい作品」まで幅広く選んだり。
今回の三善晃作品展でも、混声合唱曲だけでは無く、児童合唱のための作品、ピアノ曲も演奏する。

他のアマチュアトップ団体でも、コンクールでは演奏効果の高い作品を演奏して観客を引き込み、演奏会ではコンクールの枠に収まらない作品を演奏する……という例はたくさんありそうです。
入り口はコンクール曲で気軽に入れるようにして、中ではコンクールの音楽の先やさらに豊潤な世界を示す。

コンクール大会のシステムも、「一人勝ちと他大勢の敗者」という状況を緩和するため、全日本では「金賞」を数多く出したりするのはそういう意識の表れかも。
(でも「コンクールへの連盟・ハーモニー誌への提案」にも書きましたが、敗者や特に若年層に対する「賞を与えた後」のフォローは、もっと考えられるべきだと思います)

 

 

《とは言え・・・》

「栄誉を巡る勝負」
「金賞や、他団体を越えるという明確な目的」
「自分や周囲を巻き込んだ物語化(ナラティブ)」

つくづく、コンクールというのは人間を燃えさせる、良く出来た仕組みだと思います。
でも・・・正直に言うと悔しいよね。

この本の「第6章 発熱するコンクール バリの伝統音楽グンデル・ワヤンの事例から」にもあるように、若年層、指導する教師と応援する父母とコンクールは相性がとても良い。
「合唱する若者」を増やすために、コンクールより有効な代替案が出せない自分には何も言えない。

でもね~、ちょっと前に流行ったハッシュタグ「男の人ってこういうのが好きなんでしょ?」というのがあって。
どうしてもエッチな方向を想像しそうになりますが、その後に「工事現場のでっかい重機!」やら「絶体絶命時、かつての敵が助けに来て共闘する!」とハズしたのが出てきて(笑)

コンクールは上手く人間の心理を掻き立てるもの。
「コンクール文化論」からは日本の合唱や音楽だけじゃなく、全世界、大げさに言えば「人類ってこういう(コンクール)のが好きなんでしょ?」と言われた気がして。

悔しいじゃないですか。
「好き!……だけどソッチじゃないんだよなぁ!(笑)」とハズした答えを示したい。

いや~~~、なんか無いですかね、「合唱する若者を増やす」コンクールに替わるもの。
それはサイゼリヤやマックに喜ぶ中高生に対し、「職人のこだわりレストラン」を人気店にしろ!みたいな超難易度だとは思うんだけど。


コンクールで得るもの、そして失うもの。
その問題を語り合うために「コンクール文化論」は絶好のテキストだと思います。
ぜひ多くの合唱関係者に読んでいただきたいですね。

 

大学オンライン合唱祭で頭を抱えたこと(1/2)

 

邪悪なタイトルにしてしまいました(すいません釣りです)


当ブログでもご紹介した

「大学合唱団オンライン合唱祭」、良かったですね!

 

投票が終わり、結果も出てから約ひと月。
振り返ってみて、いっぱい良かった点はあるんですけど、特に「ほ~……」と感心した点を3つ。


1)投票フォームの整備が良かった!

視聴者投票フォームがしっかり整備され、投票も実にストレスなく出来ました。
自分が主催する観客賞はX(元ツイッター)での投票を手作業で集計しているだけに、羨ましいやら憧れるやら。
Xもどんどん人気を落として不安定な現在、こういう投票フォームの整備は必要だよなぁ……と考えてしまいましたね。

 

2)合唱団お互いの投票が良かった!

参加合唱団の皆さまには、参加された他の合唱団の動画視聴および講評コメントの記入を行っていただきます。
また、参加合唱団同士で相互投票を行っていただき、最も票を集めた合唱団にはフェスティバル賞(仮)を授与いたします。

つまり視聴者の投票だけではなく、参加された合唱団で相互に投票をされたということ。
これはとても良いアイディアだと思うんですよ。

○各団体の演奏をお互いに聞き合うことを通して交流を深め合う

祭りの目的にもぴったり沿っている。

 

3)全国26団体もの参加団体があって良かった!

北は北海道、南は福岡まで、全国26団体もの大学合唱団を聴ける貴重な機会。
正直に言うと今まで団名すら知らなかった団体もあったり。
その団体が良い演奏でさらに驚いたり。

自分はコンクールに参加している団体や、関東と関西の有名大学合唱団は知っているつもりでいましたけど、ホント、まだまだ「つもり」だったんだなぁ……と。
また、今まで聴いてきた団体でも、ごく最近の演奏、今の状態を知ることが出来たのも実に良かったです。


お世辞抜きで、自分の活動にも大いに参考になったイベントでした。


さてこれからは題の「頭を抱えた」への言及になるんですが・・・。
いやね?自分は以前からコンクール全国大会関連で大学ユース団体のご紹介。

さらに観客賞を主催しているので

今回の「大学合唱団オンライン合唱祭」へ共感と同時に

ココはこうしたら良いんじゃないかなァ~?!ナンチャッテσ(^_^;)

……という令和の世で非常に害悪な、【求められていないアドバイスおじさん】としてつらつら考えていたんですよ。
しかし似たようなのをやっているため、頭の中で「じゃあおまえ(文吾)もやってみたら?」と当然返ってくるんです。
で! 実際に自分のアドバイスを実行しようと考えたら「難しい~!」頭を抱えてしまったわけですね。

つまり

得意げにアドバイスをする

じゃあ自分でやってみると?

難しい!すいませんでした!

自分が思いついたこと、すべてこのオチになってしまって!
「逆にこれ、面白いな?」と思ったわけです。

説明していきますね。

 

大学オンライン合唱祭で頭を抱えたこと(2/2)へ続きます。

大学オンライン合唱祭で頭を抱えたこと(2/2)

 

 

前回の「大学オンライン合唱祭で頭を抱えたこと(1/2)」を先にお読みください。

 

まず1つ目の【求められていないアドバイス】


1)全団体を俯瞰して、主催者側がお勧めしたら?

26団体の参加は素晴らしいけど、視聴者が26団体ぜんぶ聴くのは正直大変じゃないですか。
だから投票前、カテゴリー別に3団体ずつ選んだら、その団体の注目度が上がるし、結果多くの団体が聴かれることになるのでは?と。

例えば
《団員数が少ない団体ランキング!》はどうでしょう?

1群馬大学混声合唱団さん 10人! 
表現者として一人一人が自立した音楽でした!

2東京大学音楽部女声合唱団コーロ・レティツィアさん、東京大学音楽部合唱団コールアカデミーさん13人!
レティツィアさんは貴重な女声団体、演奏も緊張が満ちる高度なもの。
コールアカデミーさんは気持ちが入った愛唱曲の演奏で心地良かったです。

……という風に。


他に、最近の邦人合唱曲を選曲される団体が多かったので
《珍しい選曲の団体ランキング!》とか。

1甲南大学文化会グリークラブさん! 
フィンランドの作曲家Ilkka Kuusistoを初めて知ることが出来ました!
2京都大学音楽研究会ハイマート合唱団さん!
フランスの作曲家:フランシス・プーランクの悔悟節のモテットも、悲痛な想いとプーランク特有の音楽を巧みに表出していました。
3東北大学男声合唱団さん!
「South Rampart Street Parade」はバーバーショップ的なノリが、歌と動きへ良く出ていました。一見の価値あり!

とか。
「聴かれにくい団体を、カテゴリー別に選び注目されるようにしよう!」って。
・・・そこで返ってくるわけですよ。

「じゃあ自分でやってみたら?」
やってみましょうか、全国大会出場の大学ユース部門だったら

《団員数が少ない団体ランキング!》
昨年の合唱コンクール全国大会の大学ユース部門では
第1位、愛媛:Female Ensemble Mandaeliteさんの9名、
第2位、東京:なにやらゆかし合唱団さんの24名
第3位、兵庫・Man de rartさんの27名。

《珍しい選曲の団体ランキング!》
海外曲を選んだのは
関西学院グリークラブさんの「GAGÒT(Sydney Guillaume)」
混声合唱団名古屋大学コール・グランツェさんの「O magnum mysterium(Chris Artley)」「Alleluia(Jake Runestad)」か~。

う~ん……でも考えてみれば邦人作品だけど、都留文さん演奏の津田元作品も最新の曲で珍しいし、北大さんの三善晃「薔薇よ」もコンクールでは珍しいし。
そもそもですね、このカテゴリーの分けかたは効果的なの?
注目の団体へ、さらに耳目を集めていないかな??


難しい!すいませんでした!!

と自身の浅い考えを反省することになってしまったわけです。
・・・次行ってみましょう。


2)スポンサーを募り特徴的な賞を創ってみたら?

大学合唱オンライン祭では、「合唱祭グランプリ(総合点1位団体)
(総合点→視聴者投票と参加団体相互投票の得票数を7:3で得点換算し算出)
「東北大学賞(視聴者投票1位団体)」
「フェスティバル賞(参加団体相互投票1位団体)」
「特別賞(再生回数やコメント数)」と4つの賞があります。


最初に書いたように参加団体相互投票はとても良いアイディアだと思いますし、グランプリにもその票が活かされるのも良いですね。
4つも賞があればいろいろな個性の団体に光を当てる機会になりそうです。

ただ、4賞のうち3賞は「上智大学混声合唱団アマデウスコール」さん受賞になってしまって。
(特別賞の再生回数が多い団体は北海道大学合唱団さん、視聴者からのコメントを多く集めた団体は東北大学男声合唱団さん

アマデウスコールさんは自分も「最高にお勧めします!」と書いた団体なだけに異論は全く無いのですが、この投票条件だと賞すべてが似通ってしまいそうな。

2つめの【求められていないアドバイス】いってみますね。

東北大学の学生さんが主体となっているので、仙台市の企業でスポンサーを募り
【特徴的な賞を創り、ユニークな賞品を出してもらったら?】
例えば

「ヘアサロン △△アトリエさんから『△△賞』として" 一番目立ったプレイ ”《ヘルスケア・コスメセット》をプレゼント!」
「ワインと地酒 ○○屋さんから『○○賞』として" 一番まじめな演奏 ”《極上日本酒一升瓶》プレゼント!」


「こんな性質の賞」と規定することで、得票数で決まってしまう賞との差別化が図れるんじゃないかな?
あと、「スポンサーの○○さんは学生時代、合唱団でバスパートリーダーをやっていたので【縁の下の力持ち的な演奏】が大好き」
そんな背景があると賞そのものに個性が出て面白いですね。

さらに「ユニークな賞品によって、合唱祭の認知度を高める」、そんな効果も見込めると思って。
「大学合唱オンライン祭」と宣伝するだけじゃ無く、「賞品に日本酒があるんですよ!」みたいな話のきっかけがあれば注目を集めやすいのでは?

「じゃあ自分でやってみたら?」
……やってみましょうか。

すみません、最初から謝ってしまいます。
ぶっちゃけ、企業の窓口や、自営業社長さんとのお金が絡んだやり取りはなかなか難しいんですよ。
知り合いやOBならまだしも、新しいスポンサーを簡単に開拓できるのか?

有り難くスポンサーが決まったとして、賞の選定も「名前だけ貸していただき、賞は主催者側で決めますから」に難色を示す方がいらっしゃるかも。
スポンサー自ら選んでもらったとしても、スポンサーの出身大学や知人繋がりのひいきで、主催者側の思惑とまったく違うものになったら?
あと「ユニークな賞品」、遠方の大学が選ばれたとして、賞品を送る【送料】も、ちゃんとスポンサーからいただいているんだよね?

・・・う~ん難しい!またしても浅はかな思い付き!
すいませんでした!!


いやもう

他者が『こうすればいいのに』と思う時
そこにはできない理由がある

はまさに至言ですね。

他にも合唱祭独自のハッシュタグが無いので、「ひょっとしたらSNSで騒いで欲しくないのかな?」と邪推したら、主催者さんから完全否定されたり。そもそもX(旧:ツイッター)のインプレッションが急激に下がり以前より多くの人には見られなくなっている現在、ハッシュタグはどこまで効果があるのか。じゃあ他のInstagramやFacebookなどのSNSの方がイベント情報を広められるのでしょうか?新しいSNSもそれほど人が集まっているわけではないだろうし。あとコンクール観客賞では、投票と同時に推薦のコメントも視覚化されるので、オンライン合唱祭も結果発表後にコメントを見ることが出来れば良いかなぁ……と思いましたが、コメントに意見が引っ張られることもありこれも一長一短。さらにこういう「いつでも動画を観ることが出来るイベント」の場合、演奏者と自分以外の観客が同じ時間を共有していると感じにくく、どうしても求心力が少なくなります。ニコニコ動画のコメントはそういう非同期性を補うものとして当時話題になったわけですが、「いまさらニコニコ?」だし、他のシステムで何とか補完できないものか。そもそも歌うことを目的として集まった合唱人たちへ「聴かせる」ことが難易度高いし。演奏を聴いてもらっても、その先の投票したり感想コメント書いたりに喜びを感じてもらうにはどうしたら?「投票してくれた方に抽選でプレゼント!」も安易だし。多種多様な観客が「この団体めっちゃ良いよ!」といろいろ推しまくり、【イベントが活性化する流れ】はどうやったら作れるのかな〜?とか・・・

 


すいません!
自分もずっと悩んでいて、答えが出ないことなのでボヤいてしまいました。

 


ただひとつ、アドバイスでは無くひとつだけ「お願い」として記すなら。

『続けて欲しい』

……んですよね。
今までの害悪なアドバイスは一切無視してもらって構わないので。
2」、「3大学オンライン合唱祭」と、数字が増えていって欲しい。

だって続けていくうちに得られるものが絶対あるはずなんです。
こういうネットのイベントは、ネット内で盛り上がるのはもちろん楽しい、だけど。
その先にある面白さは、「ネットを超えたリアルに影響すること」だと思うんですよね。


イベントの閉会式で、全体講評として山脇卓也先生がとても良いことを書かれていました。
引用します。

例えば、この試みを足がかりとして気に入った合唱団とコンタクトをとって、演奏旅行などしてみてはどうでしょうか?
一緒に歌い、一緒に飲み、語り明かし、また悩みを共有する。
そんな人の存在はとても大きいですし、一生語り合える経験になること間違いありません。

山脇先生の実感のこもった、凄く良い言葉だと思います。
大学オンライン合唱祭がずっと続いていくことで、地域の枠を超え、他合唱団とつながるきっかけとなる。
そんな風にネットを超え、リアルの世界へ影響を及ぼすイベントとなれば本当に素晴らしいですね。

いま主催者さんも「第2回大学合唱団オンライン合唱祭 主幹合唱団募集!」と次回へ向け動かれているよう。

 

また来年の

 

「第2回大学オンライン合唱祭」 

 

楽しみに待ってますよ!

 


(おわり)

女声アンサンブルJuriさん、活動停止のお知らせ

 

山梨県の女声アンサンブルJuriさんが活動を停止されたそうです。

個人的には、全日本合唱コンクール全国大会では2000年(第53回)の札幌大会、千原英喜先生の「志都歌」が記憶に残っています。

Tokyo Cantatか他のイベント、そして演奏会で、東京でも聴いた記憶が。

X(旧:ツイッター)では1999年、広島での全国大会、鈴木輝昭先生の「クラーン リル(リルの子供たち)」の衝撃を記す方も多かったですね。

そのクラーン リルも収録された

日本合唱曲全集「クラーンリル」鈴木輝昭作品集(1)

この傑作の初演団体としてJuriさんは讃えられるべきだと強く思います。
久しぶりにJuriさん演奏の第2楽章 II)D'eirigh na heiteoga geala(軽やかに、嬉しそうに)を聴き、最後の音が消えていったときに震えました。
再演する団体とか無いかな。

「CLANN LIR 古代ケルト神話より」(音楽之友社刊)
楽譜の試し読み。
「Clann Lir 伝説の背景」としてテキストの内容、白鳥に変えられた4人の子供たち、ケルト悲話が記されています。


Spotifyの方が手軽に聴けますかね。


他にJuriさんの演奏を簡単に試聴できるのは、鈴木輝昭先生の「朱鷺」から「風の声」くらいでしょうか。

 

あまりに拙い文章で公開するか迷いましたが、23年前にJuriさんの練習を訪れた際の記録です。

 

「樹の会」さんのアカウントからは「合唱団としての活動は停止しますが、所属団員の多くは引き続き、樹の会の一員として、さまざまな団体で歌い続けてくれています。仲間として引き続き、共に歩み続けてまいりますので今後ともどうぞよろしくお願いいたします。」とのこと。

 

いまJuriさんの演奏から、希有な空間と時間を共有できたことを思い出しています。
女声アンサンブルJuriのみなさん、今までの素敵な演奏、本当にありがとうございました!

 

【5年越しの開催!】第30回東日本合唱祭【全編公開】をぜひ

 

台風やコロナ禍の影響で、昨年10月なんと5年ぶりの開催となった、岩手県一関市の第30回東日本合唱祭。



全国から招待された5つの団体、そして地元の一関市民合唱団さんと学生の合同合唱、合同ステージと3時間にわたってすべて公開されています!



【出演団体】
一関市民合唱団(岩手県) 指揮:黒川 俊之 ピアノ:黒川 祥子
クロスロード「Shu」(東京都) 指揮:辻󠄀 秀幸 ピアノ:河本 充代
混声合唱団 京都木曜会(京都府) 指揮:永井 英晴 ピアノ:伊吹 元子
東京フラウエン・カンマ―コール(東京都) 指揮:岸 信介 ピアノ:法嶋 晶子
harmonia ensemble(東京都) 指揮:福永 一博 ピアノ:水野 彰子
Tokyo Youth Choir(東京都) 指揮:松下 耕 ピアノ:前田 勝則

(※プログラム画像ご提供 eikoさま、ありがとうございました)

 

ぜひ多くの方に観て、聴いていただきたいと思います。

 

全国各地の団体は本当に素晴らしく。
東京都のクロスロード「Shu」さんは、なかにしあかね先生の女声合唱曲を。
味わい深い星野富弘さんの詩を音楽は軽妙に、しかし心の奥に残る演奏で。


混声合唱団 京都木曜会さんは松下耕先生の作品に続けて、懐かしの名曲。
非常に練られた歌と、歌う意識の高さを感じさせ。
こういうポップス、歌謡曲を観客に「聴かせる」ためにずっと心を砕いてきたのだろうなぁ、と強く感じさせます。
観客と向かい合い、ステージで培った長年の試行錯誤の結晶。良かったです!


東京フラウエン・カンマ―コールさんは新実徳英先生の「音のとびら」から。
新実先生の比較的新しい作品をしっかりした実力で、曲の魅力を伝えていただきました。


東京からのプロ合唱団・harmonia ensembleさん、これは本当に聴けて良かった!
最初の信長貴富先生編曲の嘉納昌吉「花 ~すべての人の心に花を~」からそんじゃそこらとは違います。
声の良さはもちろん、和声のバランス、響きのセンスといい、別の方の編曲のようにも聞こえ、「これこそ信長先生の目指す音?!」と。
岩手の詩人:宮沢賢治の詩から「イーハトーブの風」「星めぐりの歌」も、ハルモニアさんが上手い団体なのは自明ですが、ことさら技巧を誇るのでは無く、すっと音楽と言葉が入ってくる。
一転して美空ひばり「お祭りマンボ」はノリ楽しく華やかに表現の幅広さを示し、「川の流れのように」はしっとり、そして力強いクライマックスを。
このステージ、プログラミングでも唸らせてくれました。

harmonia ensembleさんの演奏から始まるリンクです)


Tokyo Youth Choirさんは松下耕先生が指揮のユース団体。
前回出場できなかったOBも交えた大人数。
松下先生の作品「やわらかいいのち」、副題に"思春期心身症と呼ばれる少年少女たちに"と付く谷川俊太郎氏の詩。
若い同じ年代の苦しみとして、歪み複雑な音を自分たちの姿と重ね伝えた演奏。
最終曲の熱いほとばしり、松下先生が加えられたという「愛されている」に、悩む若者たちへのエール、格段の想いが込められていると感じました。


最初に出場された地元の一関市民合唱団さんは、サン=サーンス。さらにイギリス、アメリカの現代作曲家の作品を集中度高く、彫り深く演奏され。
(コンクール自由曲のDaniel Knaggs作品には特に惹かれました)
続く千原英喜「みやこわすれ」も叙情性豊かに。

この演奏会で一番心が動いたのは、一関市民合唱団さんと地元の中学生、高校生たちと一緒に歌った最後の信長貴富「若い合唱」!

「若い合唱」から始まるリンクです)

一関市民合唱団さんの力強い響きに、中高生たちの青空を思わせる爽やかさが加わり。
同郷である村上昭夫氏の詩なのもありますが、「合唱のまち」として東日本合唱祭をずっと続けてこられた一関のみなさんの願いが歌にこもっているようでした。
客席で聴いていたら、大泣きしていたかも。


大人数となった最終ステージの合同合唱では東日本合唱祭のために委嘱された松下耕先生の「あなたに歌の花束を」も良く。
京都木曜会さんも歌われた「歌声を世界に」は、大人数での演奏がまたこの作品の魅力を引き出し、心に残るものとなりました。


人口減、そして部活の地域移行などで合唱を趣味とする方は減少傾向で、特に地方都市での活動は困難になっていると聞きます。
それでもこの東日本合唱祭のように、地元の合唱団と日本各地の団体が、ひとつのステージで歌われる姿に、自分は合唱の希望を見出さずにはいられません。
場所も、年齢の差も越えまさに「歌声を世界に」響かせようとする「東日本合唱祭」。
どうかこれからもずっと永く続いていけるよう、心より願っています。

 

コンクールへの連盟・ハーモニー誌への提案

 

この記事は、昨年新潟での全日本合唱コンクール全国大会を基にした、ハーモニー誌冬号の全国大会座談会への私が考える問題点具体的な改善策を記しています。


問題は全日本合唱連盟が与える「賞」や、全日本合唱コンクール全国大会というブランドイメージをどう考えているか?に帰着します。
今のままだと「とりあえず審査員9人の出した結果で、賞の価値は保証しない」と受け取られてもおかしくないのでは。

念を押しますが、金賞受賞団体を批判すること、辛口の意見を排除すべきとの考えは、私は一切持っていません。
ただ、人口減でコンクール参加団体、人数も減り。
他のコンクール、東京国際合唱コンクールや声楽アンサンブルコンテストなど、他の審査基準が明確な個性あるコンクールも軌道に乗り。
極めつけは「コンクールへ参加することに意義を見出せない」人が増えている現在、全日本合唱コンクール全国大会の「金賞の価値」を、合唱連盟が保証することは非常に重要なことと考えます。

 

 

繰り返します。
辛口の意見はあっても良いし、むしろ無いと困ります。
(自分の観客賞座談会も、ハーモニー誌での音楽のプロフェッショナル諸氏による辛口の指摘を期待し、自分たちのトーンを抑えている気もあります)
ただ、賞で高評価を付けたのなら、厳しい意見とは別に「高評価の理由」も述べなければ片手落ちなのではないでしょうか?

たとえばこの文章をお読みのあなた。
あなたの部下や後輩が良い結果を出し、表彰されるとき、イヤミや《厳しい意見だけ》しか言わないのは、上司や先輩として正しいありかたでしょうか?
もちろん今後成長するための指導や発言はあっても良いと思います。
それでも認められ評価された人間がそれを実感し。
さらに先へ進んでいけるような言葉を選びましょう、セットにしましょう!ということです。
オッサン→老人の「自分が認めたヤツにこそ厳しくする」、そしてそれを認める文化、ほんとうに止めて欲しいと思います。
教師や上司に殴られて「押忍!ご指導ありがとうございましたッ!」言ってる時代じゃ無いんです。
良いと評価したなら、ちゃんと伝わるよう褒める、それが令和の今、必要とされているのではないでしょうか。

それを踏まえ《具体的で現実的な提案》を2点書きます。


1)編集方針の変更

ハーモニー誌座談会の編集は、非常に立派なプロフェッショナルの仕事です。
たとえば自分を含めた「知人との3人の会話」を5分だけでも録音し、実際に文字起こししてみれば。
発言の要旨を取り出し、会話としてわかりやすく読ませることが、いかに大変なのか理解できることでしょう。
それでも、自分は趣味で座談会編集の真似事をしているアマチュアですが、僭越ながらもう少し変えられないかな?と思う点が。
やはりそれは「読者が賞にふさわしい印象を受ける編集」に尽きると思います。
例えばA先生が抗議された対談部分。
まず順位を高く付けた今村氏が演奏を褒めてから、低く付けた岡田氏が「ぼくの評価はそこまで高くない」と切り出します。
そりゃこの順番に発言するなら、そういう感じになりますよね。

例えば

A「あいつって周りに優しいし良いヤツだよな~」
B「でもケチだよ、常に1円単位でワリカンだし」

しかしこの会話の発言が逆の順序だったら。

B「あいつって金に細かいよな」
A「えー、でも良い部分たくさんあるよ。周りに優しいし、そうそう、こないだも良かったのが・・・」

となる場合が多いんじゃないでしょうか。
順位によって求める発言の順序を考える司会、編集者のさじ加減。
ハーモニー誌座談会記事の編集は、団体ごとに厳しい意見で終わることに躊躇していない点が問題だと思います。

発言の順序が今村氏 → 岡田氏のままでも、「曲を初めて聴く人にも、あ、これ面白い、と思わせて欲しい」で締めた後に、編集者が「そうは言われても金賞を受賞された○○さん。今村先生、岡田先生の今のご発言を受けてどう思われますか?」と振れば今村氏のフォローが入るかもしれない。
最後にフォローがあれば、団体ごとの印象はかなり違うものになります。
そういう「読者が賞にふさわしい印象を受ける編集」が「金賞の価値を保証する」ことに繋がるのではないでしょうか。

 

2)全審査員による講評の必要性

審査員の講評の公開が、ハーモニー誌座談会に選ばれた2人だけというのも変な話です。
極端なことを言えば、金賞を受賞したのに、下位に付けた審査員2人が該当団体をひたすら批判し、その言葉だけが残る結果になっても不思議じゃない。
A先生も、高評価だった別の先生方の講評を読まれていれば、岡村氏に批判されても、あそこまで怒られることは無かったかもしれません。
もちろん審査員を経験された方から聞いたところ、講評を書く手間は非常に大変だそうですが。
1団体ごとの出場・退場の間を1分ずつ取るなどで解決できないでしょうか。

現実的に審査員全員が、その場での全団体の講評は無理だとしても。
各部門、それぞれ審査員が金賞に評価した上位団体(各部門3~6団体なので、合計15団体)への講評を当日ではなくても書いていただき、公開する(それが難しいなら出演団体だけで共有)のも良いかもしれません。
辛口講評が目立った岡田氏も、同声部門の1位へ付けたmonossoさん、3位のVOCI BRILLANTIさんへは大変頷ける、好意的な良い発言をされています。
そういう金賞にふさわしい、評価と内容が繋がる講評を読めば「ハーモニー座談会では貶されていたけど、他の審査員はちゃんと評価してくれたんだし、まぁ許そうか。次も頑張ろう!」……そんな印象になると思うんです。
また、下位に付けた審査員2人の、批判ばかりの座談会を読んで「……なんでこれが金賞になったのかさっぱりわからん」と戸惑う読者を減らすことも出来ます。
※9年前のブログ記事「「私の1位」が読みたい!もよろしければお読みください。

 

それでは《まとめ》です。

◎「合唱連盟・ハーモニー誌は全日本合唱コンクール全国大会というブランドイメージ、《金賞》の価値をちゃんと作ってほしい!」

「M-1グランプリ」という漫才師の頂点を決める番組があります。
M-1放送開始、初期の2001年放送をAmazonPrimeで見返したら、面白いことに気づきまして。
初期M-1では、ネタ中の審査員の表情は会場がかなりウケていても、シッブーい厳しい顔ばかりを抜き出していたんですね。
驚きました、ここ数年のM-1はぜんぜん違いますよね。
お笑いの権威たる審査員がネタに爆笑する顔を抜き出しているのが当然。
これ、凄く面白いなって。

 

M-1初期は「真剣な漫才コンテストです!」という主張のためか、「笑わせる演者」と「厳しい審査員」の対立も見どころのひとつだったと思います。
「自分たちのコンテンツに厳しい顔を見せ、自己批判できる、そういう余裕が自分たちにはある」という主張でもあって。
しかしテレビの力も落ちていき、そういう自己批判、自己コンテンツを厳しく批判することが有効とは言えなくなってきた。
M-1初期のように、コンテンツを自己批判することで価値を上げる時期は過ぎ、「このコンテンツは素晴らしいんです!」と自己プロデュースするのが効果的な現在なのだと思います。

もちろん合唱コンクールも同じで。
芸能、芸術として、辛口も含めた多様な意見の容認。
自分たちのコンテンツを貶めるような意見、批判はスパイスとして残して欲しいとは思いますが。
ただM-1司会の今田耕司氏は、総合得点が高い出場者には、「高い点数を付けた審査員」を優先して「何人も」発言を求め、スパイスとして一番低い点を付けた審査員から「ひとりだけ」意見を求め。
視聴者がその評価に納得できる流れ、良いバランス感覚になるよう考慮されています。

初期のM-1と同じに思えるんです。
自己批判が過ぎると、自分たちが与える賞の価値を下げっぱなしにしてしまう。
金賞を与えられた側はその賞に価値を見出せなくなってしまう。
A先生が抗議された、今の全日本合唱コンクール全国大会とハーモニー誌座談会は、そういうズレなのだと考えます。
合唱連盟・ハーモニー誌は、M-1の変化にならい。
出場者、聴衆が「金賞」に納得できるよう、もっと考えるべきではないでしょうか。


繰り返しますが、全国大会での、今後成長するための厳しい指導や発言はあっても良いと思います。
しかし、大いに認められた出場団体に対しては、肯定的かつ成長に繋がる言葉を。
さらに先へ進んでいくための言葉を贈りましょう、セットにしましょう!ということです。
もう一度書きます。

合唱連盟・ハーモニー誌は、出場者、聴衆が「金賞」に納得できるよう、本当に、もっと考えるべきではないでしょうか。

以上です。