永観堂
Photo by sanographix http://photo.sanographix.net/
京都府合唱連盟さんがこんなツイートをされていました。
開催までちょうど1週間!
— 京都府合唱連盟・第72回全日本合唱コンクール全国大会 実行委員会 (@kyotojca) November 16, 2019
準備もラストスパートです。
この京都の舞台でトップクラスの名演が繰り広げられると思うとワクワクが止まりません。
皆様のお越しをお待ち申し上げております!#72京都全国 pic.twitter.com/Qv0ZLXFMvh
おお~、来週の今日は大学ユース、室内合唱部門の日なんですね!
京都府合唱連盟さんは連日、京都旅行に役立つツイートをされているので是非フォローを!
そしてみなさま、演奏終了後には観客賞へのご投票をよろしくお願いします。
今回も2団体をご紹介します。
コンクールを忘れさせる素晴らしい声と音楽の団体と言えば?
8.奈良県・関西支部代表
クール シェンヌ
(50名・18年連続出場・第50回大会以来19回目の出場)
昨年の座談会では
素晴らしかった!
一同 (口々に)本当にそう! ブラボー!など。
課題曲G1、
その深い発声と響きある歌に
背筋が伸びるほど。
フレーズ、歌というものの美しさを
ひたすら追求しているような音楽でした。
自由曲のブラームス「夜警II」も
心掴まれましたね。
余裕があるんですよ。
大人のたしなみみたいな・・・。
ホント、鼻歌歌ってるみたいに
あんなに余裕がある音が出てくる。
素晴らしい!
自由曲2曲目のレーガー「慰め」も
心に深く染みてきました・・・。
シェンヌのみなさんが
純粋にこの音楽を楽しもうっていう感じが
コンクールうんぬんを抜きにして
とても伝わってきたんです。
わかる。
シェンヌの演奏で
コンクール的な音楽を聴く耳が
ニュートラルに戻ったと言うか。
コンクールだろうとどんな場であろうと、
真摯に音楽へ向かわなきゃいけないよな、って
最後で大事なことに気付かせてくれた演奏だったよね。
…という感想がありました。
シェンヌさんの課題曲はG1 Ave Maria(Tomás Luis de Victoria 曲)
自由曲:Robert Schumann作曲
「Vier Doppelchörige Gesänge, Op. 141(4つの二重合唱曲op.141)」より「3.Zuversicht」「4.Talisman」
団員の山氏さんからメッセージをいただいています。
奈良市からこんにちは、クール シェンヌです。
昨年創立35周年を迎え会社ならもう中堅の年齢となるシェンヌですが、今回のオンステ者50名中大学生が16名を占め、団に若さと活気をもたらしてくれています♪
シェンヌはいつでも団員大募集中!です♪
それでは早速曲紹介へ。
【自由曲について】
ここ3年は後期ロマン派のブラームス、レーガーの2人の作品を演奏してきましたが、今年は盛期ロマン派のシューマンの「4つの二重合唱曲op.141」から3・4曲を演奏致します。
この作品は1849年シューマンが39歳の時に書かれたもので、スケールの大きな二重合唱曲となっています。
ちょうどこの時期はシューマンが友人ヒラーの指名を受けて男声合唱団「リーダーターフェル」の指揮者となり、翌1848年1月にこの男声合唱団を70名規模の混声合唱団に拡大した頃で、シューマンはこの合唱団で自作発表の場を得たことにより、以降「ロマンスとバラード」を初め、多くの合唱曲を作曲していきます。
【3曲目】は、オーストリア人ゼドリッツの詩「Zuversicht(確かな期待)」によるもので、「まなざしを天へ向けよ、打ちひしがれ傷ついた心よ。」が、ppで1choのSとAから始まり、2choも含め各パートが6小節に渡り徐々にゆったりと加わっていきます。
後半の歌詞「まだ愛が続いている限り、お前が見捨てられたままで有り得ようか?」への曲付けは、二重合唱の特性を生かし、1choと2choが掛け合い、徐々に音域が上行していきます。
fpで[die Liebe]が2回繰り返される箇所は、歌っていても思わずうっとりとしてしまいます♪
【4曲目】は、文豪ゲーテの詩「Talisman(護符)」によるもので、3曲目と曲想ががらっと変わり、fのCのユニゾンでTとBから始まり、その後「東洋は神のもの、西洋もまた神のもの!」という歌詞がホモフォニックに展開されます。
その音楽は91小節まで続いた後一転して中間部では、「妄想が私を混乱させる」の詩に沿った、pでのTから始まる調性が安定しない旋律で1choによりフーガで歌われますが、それを打ち消す様に「しかしあなたは私を混乱から解き放つ」という詩が1choのBからpで歌い出され徐々に各パートに広がり、再び「東洋は神のもの、西洋もまた神のもの!」がffで今度は音価を変えて神を称える様に8声で高らかに歌われ、最後にppの「アーメン」で曲は閉じられます。
今年5月に開催された第17回演奏会とのこと。
山氏さん、詳細な楽曲分析と解説、ありがとうございました。
4曲目の「Talisman(護符)」も大変優れた曲なのですが、3曲目の「Zuversicht(確かな期待)」には、その美しい旋律に私もうっとり♪です。
ところで、シェンヌHP内に指揮者:上西一郎先生の「指揮者のためいき」というコーナーがありまして。
http://chene.jp/note2/c_note.cgi
最新の「第17回演奏会パンフレット挨拶文」より抜粋させていただきます。
今回の選曲を悩んでいた時、ふと思い立って私がこれまでに演奏してきた曲の数を数えてみました。もはや正確にはカウントすることは出来ませんでしたが、概ね700から800曲程度だと思います。そのうち半数以上はシェンヌで演奏したものです。しかしその全てを歌った団員は一人も残っていません。演奏する曲の難易度がもたらす技術的な障壁を克服し、その音楽的な高みを目指し続けてこられたのは、単なる年月の堆積の産物などではなく、これまで取り組んだ数百の音楽の力と対峙する演奏姿勢の質によるものだと確信しています。そしてそれは200人を超える団員の入れ替わりの上でも変質することなく根付いてくれました。
上西先生の、このお言葉。
「これまで取り組んだ数百の音楽の力と対峙する演奏姿勢の質によるものだと確信しています。」
シェンヌさんの音楽性の高さ、コンクールを忘れさせる演奏は、上西先生のこの演奏姿勢から来ているのだということがわかります。
コンクールというと「難易度」という言葉をよく目にし、私もつい「こんな高難易度の曲を演奏するなんて!」みたいに使ってしまうのですが、今回のシューマンの作品は、音楽ってそんな単純な難易度だけで測れるものじゃないよな…と反省してしまいました。
もちろん技術的な問題は乗り越えなければいけないのでしょうが、それと同時に作品へ対峙し、音楽的な高みを求めることが重要なのだと。
真摯に音楽へ向かうことの大事さ、合唱とは、音楽とはこんなに美しいものだったのだ…とシェンヌさんの演奏で新たに気付けるかもしれません。
そして、24日夜、コンクールを忘れノーサイドの精神で合唱人が集まる「史上かつてない2次会」。
今年はシェンヌさんが幹事団体として開催して下さっています!
https://www.facebook.com/ChoeurChene/posts/2462346153801533?__tn__=-R
===最終リマインド===
— 山氏@安芸★寺漢 2018年同声全国銀賞受賞 (@yamashi_aki) November 12, 2019
★「史上かつてない二次会」は、現在「195名様(内個人参加の方10名!)」にお申込み頂いております。
→締切は過ぎておりますが、忘れていたー!という方は大至急ご連絡頂ければまだOKです!
★お申込みは私までリプかDMをお送り頂くか、FBの記事内をご参照ください<(_ _)> https://t.co/NUpHQXt9i7
山氏さんからは、まだ参加は間に合うそう!
「一般参加の方も10名になりましたので、出場していなくても、聴いた感想を直接団の方に話をしてみたい!って方は大歓迎です。」
さらに「明日、日曜日の夜が締め切りでOKですっ!」とも。
まだ参加したい方は、大至急ご連絡ください!
ではみなさま、幹事団体への感謝の気持ちを込めて、シェンヌさん入場時には盛大な拍手をおくりましょう!
(演奏後は何も言わずともみなさん精一杯拍手しちゃうから、言いません!)
中国地方から2年ぶりに出場、人数が倍増した伸び盛りの団体です。
9.広島県・中国支部代表
合唱団ぽっきり
(69名・2年ぶりの出場・第66回大会から3回目の出場)
『一回一回の本番をその一回ぽっきりのように大切に演奏していこう』
という願いから名付けられた合唱団ぽっきりさん。
2年前の出場時は39名だったのですが、今年は何と69名!
当時の座談会では
課題曲G1、熱さがありました。
ホモフォニックの部分から格段に良くなった!
自由曲、三善先生の「生きる」、
こちらも熱演でしたね。
「気持ち、入ってるなー」って。
最後の「海はとどろくということ」から
じーんとしてしまいました。
借り物じゃない、
団員さんの芯から出た言葉と歌という気がしたな。
…という感想がありました。
ぽっきりさんの今年の課題曲はG1 Ave Maria(Tomás Luis de Victoria 曲)
自由曲は白石かずこ 詩、三善晃 作曲:二群の合唱団とピアノのための「蜜蜂と鯨たちに捧げる譚詩」より「さまよえるエストニア人」。
指揮者の縄裕次郎先生からメッセージをいただいています。
白石かずこさんの詩は、実在するエストニア人の詩人”ヤーン・カプリンスキ”のことが書かれています。
彼は、1941年、ポーランド人の父、エストニア人の母のもとに生まれました。
生まれてから3歳近くまで広い公園と庭に囲まれた祖父の家に住んでいたヤーン。
彼の幼いころの記憶は、祖父が蜜蜂の巣箱を持っていたことでした。
そのようなパラダイスから、彼は1943年の夏、離れなくては行けなくなりました。
ドイツ軍が彼らの家を没収したのです。
また、彼は5ヵ月の時、父を失いました。
父親は大学でポーランド語を教えていたのですが、ソヴィエトの秘密警察に捉えられ、強制労働収容所で消されたのです。
三善先生は、この作品を20世紀から21世紀の橋渡しに書かれました(初演は2001年12月2日)。
巻頭序文には次のように書かれています。
地球上の人間同士の共存、人間と自然の共存を念ずる21世紀への祈りを、この二編の詩に託した。詩はしなやかに立つ「祈りの樹」であり、詩語は豊かに輝く「祈りの果実」だった。二つの譚詩は9月6日に書きあがった。
5日後にアメリカで同時多発テロが起きた。ひび割れた地球に、この「祈りの樹」は黙するのか。「祈りの果実」はかくれるのか。12月2日の初演で、演奏者はこの問いに向き合った。詩は、さまよえる人に呼びかけた。「帆をたたんじゃいけない。今こそ」。
今の社会の分断、自国ファースト主義、不寛容、そして何よりも、諦観が支配する世の中にあって、「帆をたたんじゃいけない。今こそ」と言うこと、まだそのことを歌うことができるということに、未来への可能性を信じたい。
「俺たち、フライング・ダッチマンって唄がきこえてくるじゃない ヤンよ」と力強く歌い、ひとりひとりがフライング・ダッチマンとして、ヤンを通して世界と繋がっていきたい、いかなければならない(だからこそのユニゾン!)。
このメッセージは、三善先生から21世紀に生きる私たちへの遺言なのじゃないかと、私は思っています。
そう、「今こそ」、この曲が歌われないといけないときです。
この曲の持つメッセージと音楽が、会場で聴いてくださる皆さんに伝われば、幸いです。
中国支部大会後とのこと。
縄先生、ありがとうございました。
この作品は明るく弾けるリズム、輝く和声、終盤は大きな盛り上がりで終わるのですが、縄先生が書かれるように、白石かず子さんの詩は非常に重い問題を扱っています。
ワーグナーのオペラ「さまよえるオランダ人(フライング・ダッチマン)」になぞらえ、さまざまに迫害され、漂泊するエストニア人を表題にすることで、現代も直面する問題に通じています。
私がテキストの内容も知らず最初に聴いた時は、この曲は単に明るい印象だったのですが、エストニアの歴史を知り、テキストを読み直し、ふたたび音楽を聴くことで印象は変わりました。
ヤーン・カプリンスキに対してだけではなく、過ちを繰り返す人類全体への三善先生の優しいまなざしと、絶望を体験した上で、それでも力強い祈りと励ましが存在している作品だということに。
ぽっきりさんの感想には「借り物じゃない、団員さんの芯から出た言葉と歌」というものがありました。
2重合唱で、かなりの難度を要する作品のため、テキストに込められたメッセージをしっかり伝えるのは難しいとは思いますが。
縄先生、ぽっきりのみなさんなら「帆をたたんじゃいけない。今こそ」という言葉を、現在に生きる自分たちの言葉として、強い想いで歌ってくださると信じております。
(明日に続きます)