東京旅行記その5 ダイアログ・イン・ザ・ダーク


東京2日目。
遅く起きてまた新宿東口を目指す。



ベルク。
・・・どんだけ気に入ったんだよ、オマエ。






カレーも美味しい。







コーヒーもプリンもなかなか良い味です。






さて、この東京行きの大きな目的その2、のため
雨の中神宮前に向かいます。




ダイアログ・イン・ザ・ダーク

ダイアログ・イン・ザ・ダークは、
まっくらやみのエンターテイメントです。


参加者は完全に光を遮断した空間の中へ、
何人かとグループを組んで入り、
暗闇のエキスパートであるアテンド(視覚障害者)のサポートのもと、
中を探検し、様々なシーンを体験します。
その過程で視覚以外の様々な感覚の可能性と心地よさに気づき、
そしてコミュニケーションの大切さ、
人のあたたかさを思い出します。


世界25か国・約100都市で開催され、
2009年現在で600万人以上が体験したこのイヴェントは、
1989年にドイツで、
哲学博士アンドレアス・ハイネッケの発案によって生まれました。
1999年以降はボランティアの手によって日本でも毎年開催され、
約6万人が体験しています。


公式HPから








ダイアログ・イン・ザ・ダーク
このイヴェントを知ったのは5年ぐらい前かなあ。
知った時から「行きたい!」と思うものの、
東京という遠距離、完全予約制というハードルの高さから
なかなか体験することが出来なかったのですよ。
ようやく願いがかないます。






ロッカールームから撮影。
こちらの部屋でイヴェントが始まるのを待ち。
やがて時間になり呼ばれます。
荷物と一緒に
(あれ、メガネもそういえばいらないよな…)と放り込みます。


このダイアログ・イン・ザ・ダーク
8人単位で参加するイヴェントなんですね。
参加者でそれぞれ自己紹介をします。
今回は私より2まわりぐらい上の男性が一人。
少し年少の男性が一人。
10代後半から20代はじめの男女が二人ずつ。
(後で聞くと同じデザイン専門学校の学生さんだとか)
20代の女性が一人、という組み合わせでした。


視覚障がい者の方のアテンドでまず薄暗い照明の部屋に入ります。
まだ暗いながらもお互いの顔は分かる程度。
白杖(はくじょう)の使い方や暗闇の中での注意点を聞き、
カーテンをくぐり、
いよいよ「まっくらやみ」への旅のはじまりです。



真の暗闇への最初の感想は・・・まず恐怖でした。
目の前で手を振ってもまったく見えない。
どこへ進んだらいいのかも、
自分がどこにいるのかもまったく分からない。


アテンド氏の声へ向かって慣れない白杖を使って
こわごわ歩きます。


最初の部屋での注意点は
「行動するときに名前を言って下さい」ということでした。
「文吾、しゃがみます!」ってな感じで。
そうしないとどこに誰がいるかが全くわからない。
言い替えれば
「声を出さないと存在しないも同じ」なのです。


そして見えないため、
近くの人の体に手を触れるなど、
誰かの体に接触していると安心感が生まれます。


ジョゼ・サラマーゴが書いた
視力が失われる奇病に世界が包まれていく
「白の闇」という傑作小説があるのですが、
その「盲目の世界」では老若男女、何人かのグループを作って
体に触れながら電車ごっこのように進んで生きていく…という箇所があり

「おー!サラマーゴの描いた世界にはリアリティがあったんだ!」と
読んでから何年も経って思うことに。


白の闇 新装版

白の闇 新装版



他には「視力以外の感覚の活性化」でしょうか。
このイヴェントでは他の人の手を引いて移動する機会が
けっこうあるのですが、
触覚は男性と女性の手の感触と体温の違いなど。
(男性は指が太めで体温が高めでした、この時の参加者だけかな?)


嗅覚では喫茶店にて食事をする設定で
おそらく50cmほど先に何かが置かれた瞬間みんなで
「チョコレートだ!」
普段は意識しない、匂わないチョコレートの匂いが
これほどまで強く感じることへの驚き。


嗅覚と味覚では飲み物を選ぶ際にワインがあり
「白ですか?赤ですか?」と尋ねると
「・・・それはご自分でお確かめ下さい」と返されることも。


シャルドネっぽい香りから「これは白ですね」と答えて
正解だったようですが。
まあでも暗闇の世界では白も赤もあんまり意味はないよなー。


隣にいた背の高く明るいイケメン青年がビールを頼んでいたので
ワインと交換して飲んでみると
うーん、ワイン以上にビールは見た目が肝心なのだなあ。
なんか薄く、ぼんやりとした味に感じられることに。
泡の割合が少なかったのもあるのでしょうが。
(でも暗闇で泡を良い状態で注ぐって至難の技ですね)



他の内容はあまりネタバレすると
これから参加する方の楽しみを奪うことになるのでこの辺で。



非常に楽しい体験でしたが、
単純なエンターテイメントというだけではなく、
視聴覚障がい者の方への共感が深まったり、
自分の感覚を改めて見直す良い機会だったり。
一言で語れない得がたい体験が出来る
大変素晴らしいイヴェントだと思います。



さらに要望を言えば、
暗闇で体を動かす、動かされるときの感覚をもっと知りたい、とか。
(遊動円木とか無理かなあ、無理だろうなあ)
ブラックボックスへ手を突っ込んで何か当てるゲームみたいに
毛皮や紙や人工繊維の違いなどを触覚で感じたい、とか。
(温度の違いなども加えると面白いかも)
やはり食いしんぼの自分としてはお菓子だけじゃ物足りない!とか。


色々思うことはありますが、
それはまた違うヴァージョンの「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」で
体験できるのでしょう。



そうそう、
「視覚が失われた世界で他人の性格や魅力をどう判断するのか?」と
いう疑問を持っていたのですが。
・・・やっぱりイケメン、コミュニケーションスキルが高い人は
声だけではなく喋り方もこなれているのだな〜と改めて納得。
そういや「暗闇で婚活」などという企画もあるそうで。
(まっくらやみのなか、「花いちもんめ」とかやるらしいです。
 カップルが成立したら「視覚以外」の印象が
 どう左右したか尋ねてみたいものですね)



他の企画として
ダイアログ・イン・ザ・ダーク 七夕」というのを聞いたときに
「星、見えないじゃん!」と突っ込んでしまったのも良い思い出。
…どういう企画だったんでしょう?



イヴェントが終わる頃になると
他の参加者と親密な感じになれたのも良かったです。
「吊り橋効果」かもしれないけれど、
暗闇は人との繋がりに大きな効果をもたらすこともあると。


親密といえば最初は恐怖しか感じなかった闇が
終わりには近しい、親密なものに感じられたのも得難い変化。
明るい部屋に通されたときには寂しさまで感じることに。


身体という容れ物の枠、壁、部屋という枠が
暗闇によって取り払われるということ。
それは自分自身が世界へ広がるということでもあり、
明るい世界へ出た時の寂しさは
その世界が視覚を取り戻すことによって
急速に萎んでしまうことへの寂しさ、悲しさだったのかもしれません。



最後にレイモンド・カーヴァーの一番好きな短編「大聖堂」から
一文を引きましょう。
これは妻が長年交際している盲人を家に連れてきた時の
夫(私)の心の変化を描いた名短編です。
ダイアログ・イン・ザ・ダーク」終り頃の自分の心境と
非常に重なっていました。
いつか機会を見つけて、また体験したいものです。


大聖堂 (村上春樹翻訳ライブラリー)

大聖堂 (村上春樹翻訳ライブラリー)




私の目はまだ閉じたままだった。私は自分の家にいるわけだし、頭ではそれはわかっていた。しかし自分が何かの内部にいるという感覚がまるでなかった。
「たしかにこれはすごいや」と私は言った。


レイモンド・カーヴァー「大聖堂」より  訳:村上春樹