音楽嗜好症


オリヴァー・サックス
「音楽嗜好症 脳神経科医と音楽に憑かれた人々」を読みました。

音楽嗜好症(ミュージコフィリア)―脳神経科医と音楽に憑かれた人々

音楽嗜好症(ミュージコフィリア)―脳神経科医と音楽に憑かれた人々



「火星の人類学者」「妻を帽子とまちがえた男」などで知られる
現役の開業医、神経学・精神医学教授のサックス先生によるノンフィクション。
病気や脳の異常などから、人間がどうやって音楽を認識し、処理するのか、
その脳や神経の基盤を探る試み。


文字通り音楽に憑かれた人々の第1部、
絶対音感共感覚サヴァンなど音楽的才能を語る第2部、
音楽療法や、指の使い過ぎによる音楽家の運動障害を語る第3部、
音楽と感情の関係を語る第4部と内容は非常に多彩です。


多彩で豊富すぎるそのエピソードは、
脳神経関係の本を未読の人には慣れないかもしれませんが、
言語と絶対音感の関係や
(中国語やヴェトナム語のように意味の区別に
 音の高低を用いる言語を使用する民族には絶対音感が多い?!)
リズムの民族性による違いなど、
(短い音と長い音が交互に鳴る連続音を聴くと
 日本人の多くは「長・短」の要素に分けるのを好むが、
 英語を話す人はその逆を好む)
話のタネになりそうな話題がいっぱいある本です。


そして、音楽の素晴らしさを患者から読み取る
サックス先生の視点も大変良いのです。
数秒しか記憶が持たない音楽家の患者が
演奏をする時に音楽家としての自分を取り戻し
見事な演奏をする第15章「瞬間を生きる 音楽と記憶喪失」は特に感動的。

私たちがメロディーを「思い出す」とき、
それは頭のなかで鳴る。
新たに生き返るのだ。
過去の出来事や場面を再現したり
思い出したりしようとするときのように、
呼び起こし、想像し、組み立て、整理しなおし、
つくりなおすプロセスはない。
私たちは一度に一つの音を呼び起こし、
それぞれの音が意識を完全に満たすが、それと同時に、
その音は全体と結びついている。
それは歩いたり走ったり泳いだりするのに似ている。
一度に一歩ずつ、ひとかきずつ進むわけだが、
その一歩やひとかきそれぞれが、
走ったり泳いだりする運動のメロディーという
全体にとって欠かせない要素となっている。

記憶障害の患者が切望するのは過去の記憶ではなく、現在、今。
それが実現するのは、
連続する一瞬一瞬の行為に没頭しているときだけである。
記憶障害の深い淵に橋を架けるのは「今」なのだ。
そしてそれは患者にとって音楽しか有り得ない。 


…「今」の行為である音楽を再認識し、感じ入りました。