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CANTUS ANIMAE+MODOKI ジョイントコンサート感想 後編

 

 

 


15分ぐらいの休憩後に第3ステージ。
ここからはCAとMODOKIの合同演奏になる。

 

 

 



「2重合唱のためのミサ」
フランク・マルタン作曲


山本啓之さんの指揮で。


ステージに上がった人数112名!

神秘的な「Kyrie」の音。
しかし、ほとんどは抑えがちな合同合唱で
各パートのこの自発性ある歌はどうだ。
リズムを伴って湧き上がる旋律からのメリハリ。
何度も繰り返される「Christe」から
どこまでも強く、熱くなっていく音楽。
最初から全開だ!


「Gloria」ではその響きの美しさとリズムの妙を大切に演奏し。

 

 

「Credo」では最初のフレーズから重厚に、力を込めて、
みなぎる力のままドラマ性高く。
眼前にキリストが十字架にかけられるのを見るように。

 

暗く重い音の合間は驚くほどしなやかに音楽は流れ。
クライマックスへ向けて
草原に放った火が燃え広がっていくように
熱く、どんどん熱く、
合唱団全体が爆発する最後のAmen。拍手!


「Sanctus」では合唱団内部の短い旋律の光が
またたき、そこかしこで輝くよう。
そして「Pleni sunt caeli et terra gloria tua」から
合唱団をドライブさせる山本さんの手腕。
現代的なセンス、スピード感あふれ、疾走する興奮!
思わず右手を握りしめながら、
競走馬が駆けぬける姿を一心に見るがごとく前傾姿勢!


最後の「Agnus Dei」でもその熱は収まることを知らない。
繰り返されるたびに高まる想い。
あふれ出る激情。
悲痛な音が長く伸び、やや裡に沈むかと思いきや。

最後の「Dona nobis pacem(われらに平和を与えたまえ)」は
客席全体、いや世界へ訴えるような強い祈りの音で終わった。



いやあ凄かった!
もちろん細かい粗はいくつもあるが
そんなことはどうでも良いと思わせる演奏だった。
それは「存分に遊べるオモチャ」を与えてもらったような
山本さん渾身の指揮もあるし。
感情に添い、傑作の呼び名も高いこの作品だが
宗教曲ということで自身と距離を置く演奏も多いのに、
同時代の「自分たちの音楽」として
共感度を最大限に高く演奏してくれた。
特に「Sanctus」は滅多にそんなことはないのだが
聴いているうちに
「これ絶対歌った方が気持ちイイやつだ!」と
思ってしまうほど。

演奏後に出た「Bravo!」に同意の拍手!

 

 





第4ステージは
混声合唱と2台のピアノのための「交聲詩海」

作詩:宗左近 
作曲:三善晃

指揮:雨森文也 
ピアノ:平林知子・野間春美


ピアノが向かい合わせに2台並ぶ光景は壮観。

波 送りながら 送られながら

けだるい、響きを浮かした
曙の海を思わせる音。
それがピアノのリズムから目覚めていく…。


雨森先生が語られたように
この「交聲詩海」は合唱団OMP(後の「響」)による
1987年の名演が伝説になった曲。
CAもコンクールでこの曲を演奏しようとし
制限時間の関係上、
曲のカットが必要なため三善先生にお伺いしようとしたが
既にご体調がすぐれない状態で、断念したと聞いた。


私もCDで何度も聴いたOMPの演奏には
さすがに音の精度、三善先生の音の煌めきの面で及ばない。
各章の立体感、彫りの深さもまだ欲しいところだ。
しかし、念願の曲を演奏するという
雨森先生の喜びがここに満ちている。


朝、真昼、そして夕暮れを
それぞれ青い薔薇、黄色い薔薇、赤い薔薇と
咲き誇る大輪の薔薇を思わせ。

2台のピアノは合唱を支え、
時に合唱を割って主張し、
音楽を華麗に彩る。
沸き立つリズム。


どんどん高まり、増していく音。
それでも雨森先生の要求は止まらない。
掲げた右手を何度も何度も大きく震わせ、
更なる音を、限界を越えた、遥かな音を!


合唱団の中から何かが弾け、生まれそうな。
クライマックス。


赤い薔薇 燃えて

夢の炎の炎の花

 


…ああ、これは、宗左近氏、三善先生が作り上げた
死者も生者もすべてひっくるめた
海、地球、宇宙の壮大な生命の賛歌なのだ・・・。
耳を圧する音と共に
そう納得している自分がいた。



雨森先生の手が止まった。
限界を越えた最大音量の音が消え、
時も空気も停止したような場。


…拍手!

虚脱とかすかに残る耳鳴り。
夏の暑い日、夕立を全身に浴びた後、
晴れた空を見上げたような
爽快さを感じた演奏だった。






最後のステージは山本啓之さんの指揮による
混声合唱と2台のピアノのための「であい」。

この曲の感想は後に。



「であい」の演奏が終わった後、
雨森先生から
「もう1曲、やりたい曲があるんです!」

会場の盛大な拍手。

三善先生の「唱歌の四季」より「夕焼小焼」を。
この曲については昨年5月の
「三善晃先生の合唱作品を歌う会」でも
雨森先生が仰られたこの作品のエピソード。
http://bungo618.hatenablog.com/entry/2015/07/22/081530


「唱歌の四季」の「夕焼小焼」の最後で
ソプラノにHi-Cという非常に高い音があることに言及され

「三善先生は東京大空襲に遭い、
焼死体がたくさん横たわる背景に、
美しい夕陽が沈むのを見られた。

『あの風景が自分にHi-Cを書かせた。
 だからあの音は、
 綺麗な音じゃなくて良いんだよ…』と」


美しく、そして哀しく響く女声の
「夕焼け小焼けで日が暮れて…」
ピアノがその美しさを輝かせるように入り。
合唱も、2台のピアノの音も、ステージ上から客席へ。
夕陽が全世界を照らすように広がっていく。

この日の演奏会でも
死者と通じ合う宗左近氏のテキストが多く演奏された。
「夕焼小焼」の「お手々つないでみなかえろ」にも、
生者、そして死者とも手を繋いで帰ろうとの
三善先生の強い思いが込められているのではないか…と。


振り絞るように歌われた
最後のHi-Cは、音が消えた後も
いつまでも耳に残っていた。

 

 

 

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(演奏会後の岐阜の夕焼け。CANTUS ANIMAE公式ツイッターより転載)

 

 

 

 

 



最初に、CAとMODOKIに共通するものとして
「限界まで自分を追い込む厳しさ」。
「そこまでしないと自分たちが歌と認められない」と書いた。

この日の合同2曲はいわゆるジョイントコンサートでは
あまり考えられない難易度の選曲だ。
それを6月と演奏会前日の2回だけの練習でやってしまう。
相手の合唱団への信頼という言葉だけでは済まされないことだ。

ただ、自分が真に追い求めようとするものを
出逢った相手も追い求めようとしているのを感じたとき、
そこに喜びがあり、
今日の演奏があるということを実感した。
人と人とが出逢って歌になる。
そんな想いを強く感じた演奏会。




感想の順番を変えた。
山本啓之さんの指揮による

混声合唱と2台のピアノのための「であい」

作詩・作曲 三善晃

 


優しく入る歌とピアノ。


 ここでであいましたね みんなは 
 あなたの眼差し あなたの眉 あなたの声 
 そして みんなで歌いましたね 
 ここで 秋のこの地で


まさにこの演奏会にふさわしい詩。
ステージ上、ひとりの団員さんに目が留まった。
Yさんというこの女性は、
MODOKIの団員というだけではなく、
CAの遠隔地団員でもある。
それだけでも凄いことだが、
Yさんは今年地震があった熊本在住。
ご自宅もかなりの被害があったようだ。
しかし、練習ではYさんは持ち前の明るさで
そんな辛さを見せることは無かったという。


 ここでであいましたね みんなで
 みんなの風 みんなの川 みんなの光 
 そして 夢見ましたね みんなで 
 ここで 秋の地で


「秋の地で」 
想いたっぷりに音はゆるみ、伸ばされ、
高まる2台のピアノの音。
そしてリズミカルに、踊るように音楽が変わる。


 さよならは 別れではないのですね
 さよならは 信じていることの証し


合唱団の中心で、隣り合う人たちと
何かを確かめ合うように歌うYさん。
その顔は仲間と歌う喜びで輝いている。
あの顔、あの表情、なんて嬉しそうなんだ!
ここで「かどで」でも「永遠の光」を聴いても
あふれなかった涙があふれた。

今までの数々の演奏会や
出演できなかった人も多くいた2011年のジョイント。
Yさんを通して、今ここで歌う人たちと、聴いている私たちを繋ぐ
出会いの糸が見えてくるようだった。


三善先生の晩年の作品「であい」を筆頭に
後期の作品群では合唱曲がかなりを占めている。
命を救った妹への想いがこもった「嫁ぐ娘に」から
この「であい」まで、
三善先生の心に寄り添った合唱の音。
つまり、人と人との繋がりが生み出す声の音。


何度も繰り返される「さよなら」という言葉を聴きながら
当たり前のことを言うなと怒られるかもしれないが。

(合唱とは、とても、良いものだなあ…)

そう、しみじみ思う自分がいた。

 

 

目の前には、笑顔のYさんとCA、MODOKIのみんながいた。

 



 さよなら いつか またあう日まで
 さよなら みんな
 さよなら いつかまた さよなら




(おわり)