合唱団訪問記:雨森文也先生へのインタビューその5

 

 

 

合唱団訪問記の再掲。

第5回はコンクールに対する雨森先生のお考えを。

(文豪の部屋HP掲載時 2002.5.31)

 

 

 

 

 

合唱団訪問記

 

第25話

 

 

「コンクール」について

雨森先生のお考えは?!

 


 

「合唱団訪問記」

 

 『雨森先生へのインタビュー』

 

その5

 



<雨森先生のコンクールへの姿勢>

文吾  「先生は合唱を始めてから
     コンクールに参加されて来て。

     そして今でも参加され続けています。

     …先生のコンクールに対する考え方を
     聞かせて頂きたいのですが」

雨森先生「うん。
     …コンクールの良い面、悪い面の
     両方を見て来ていて。

     『いいものだから参加しなさい!』…と
     ことさら他の人に言う気もないし。

     かと言って
     『参加するのは止めたら?』…と
     言う気もないんだよな。

     日本のコンクールなんかは特にそうでさ」

文吾  「日本のコンクール…」

雨森先生「例えば・・・
     CANTUS ANIMAEが
     なぜコンクールに出ているか、と言うと」

文吾  「はい」

雨森先生「コンクール出なきゃ練習しないんだよね」

一同  (苦笑)。

雨森先生「もちろん演奏会とかステージがあれば練習するんだけどさ。

     でも『演奏会』って自己満足の面があるじゃないか?」

文吾  「う~ん…」

雨森先生「自分たちが『いい!』…と思えば良いわけでさ。
     別に公的な評価は必要としないし。
     自分たちで評価できる…ということだよね。

     逆に言えば自分たちで評価できる、とは
     『自己満足』と同じじゃないか。

     アマチュアの合唱団だったら、
     観客は身内とかそういう関係の人ばっかりだろ?
     そういう人たちが、そう悪いことを言うわけもないし。
     「良かったよ」…とか言ってくれるだけの場合が多い。

     だから合唱団にプラスになる評価を得るのが難しい!
     ・・・と思うんだよな」

文吾  「なるほど…」

雨森先生「例えば演奏会のアンケートでも内容が

     『○○ちゃんへ~♪』…とかさぁ!」

文吾  (笑)。

雨森先生「その点コンクールは良い悪いは別として
     客観的な評価を得ることが出来るよね。

     ・・・僕が音楽をやっているポリシーとして

     『いいものは、やっぱりいいはずだ!』…というのがあって」

文吾  「良いものは、やっぱり良い?」

雨森先生「だから、100人が同じ演奏を聴いて
     100人全員がいい!…という音楽は無いだろうけど。

     でも100人中90人ぐらいの人がね。
     『ああ…。 良かった!!』・・・と
     感動できる音楽って絶対存在すると思うんだよな。

     普遍的に感動をもたらす、と言うか」

文吾  「そうですねぇ」

雨森先生「コンクールの審査員でも
    10人中7人ぐらいが
    『いいっ!』…と言ってくれる音楽って存在すると思うんだよ。

    それを踏まえて、
    コンクールに参加するに当たって、
    『悪い点を言ってもらえる場』は普遍的な音楽のためには
    活用できる場だと思う。


    言い方は悪いけど、僕自身はCANTUS ANIMAEの
    弱点とか、直さなきゃいけない所は理解しているわけ。

    …でもね、僕一人が団員に言うのと。
    僕が練習で言っていることを
    改めて第三者が指摘するのとではやっぱり

    『そうなんだ!
     練習でさんざん言われてきたけど
     誰が聞いてもそうなんだ!!』と思うよね。

     それが団員の推進力になると思うんだよな。
     『それなら、ここをこう直そう!』
     ・・・そういうものが出てくるのを認める、と言うか」

文吾  「はい、分かります」

雨森先生「ただ問題は多いよ。
     全日本合唱コンクールは
     ルネッサンスの曲も現代曲もいっしょくたに
     評価しちゃうじゃないか?」

文吾  「そうですね(苦笑)」

雨森先生「それはさ、
     ・・・和食と中華とイタリアンとフレンチと
     さらに漁師がいま釣ってきた魚を前にしてさ
     『さあ、どれが一番美味い?!』
     って聞くようなもんで。

     『そんなもんわかるかっ?!』
     という気になるよね」

文吾  (笑)。

雨森先生「だからそういうのが本当に正当なのか。

     そして審査する方も、
     ムジカ・フィクタを知らない審査員が
     ポリフォニーを審査しているわけだから。
     それはどうかな?…とも思うんだよ。

     続けて出ることに価値があるか?…と言うのも
     疑問が無いわけではないし。

     ただ合唱団にとっては、出るメリットはあるんだよ。
     例えば今回のCANTUS ANIMAEの
     全国大会での評価はケチョンケチョンだったけど。
     (「ハーモニー」誌冬号、No.119 全国大会座談会参照)
     僕はあれでいいと思うんだ」

文吾  「…と言いますと?」

雨森先生「アンサンブル能力と言っても、
    確かに良く出来るようにはなったけど
    まだまだ勉強不足なんだよな。
    音程や声の面に関しても。

    だからああいう風に言ってもらえるのは
    いいんだよ、あれでいいんだ」

文吾  「あれでいいんですか(笑)」

雨森先生「…裏返せば長谷川冴子先生みたいな
     意見を言う人が
     『良い演奏!』…って言うような
     演奏をすればいいんだよね。

     そのためにはアンサンブル能力、
     声とか耳の能力を高めれば、
     長谷川先生もCANTUS ANIMAEを
     目の敵にしているわけじゃないんだから。

     良い演奏なら「いい!」って言ってくれるに
     違いないんだからね。
     そう言われる演奏をしましょう、と。

     …そういう意味では今回も出場した価値は
     あったよね」

文吾  「弱点を指摘してくれた、ということで」

雨森先生「うん。
     だからあそこで良い事しか言われなくなったら
     もう出なくていい、と思う。
     みんなが絶賛して「素晴らしい!」と言われるような
     合唱団はね。


     ・・・でも逆に、そういう風に言われる合唱団こそ
     出て欲しい、という気持ちもあって」

文吾  「え? それは…」

雨森先生「日本はさ。
     そういう高水準のレヴェルの合唱を聴くチャンスが
     コンクールにしか『ない!』」

文吾  「あぁ~!」

雨森先生「そういう高水準の合唱団がコンクールで演奏しないと
     日本の合唱のレヴェルはどうなんだ?
     …と知る場が無いから。

     だとしたら。
     コンクールで育って、高いレヴェルにまでなった合唱団は
     『出続けて欲しい』」

文吾  「・・・・」

雨森先生「それは『義務』と言ったら言い過ぎだけど。
     その必要性はあると思うんだよなあ。

     ただ今のコンクールの様式だと
     出る気が無くなってしまうのは分からないでもないから。

     それなら合唱連盟が高水準の合唱団に
     演奏する場を与える、とか。

     全国の不特定多数の人間が、
     高水準の合唱を聴ける場を作らない限りは、
     コンクールに出なきゃいけない、と思ってるんだ」

文吾  「私も地方出身者として、とても分かります」

雨森先生「だってさ、言い方が悪いけど
     僕以外にも松下(耕)先生と藤井(宏樹)先生が
     コンクールに出なくなったら
     聴いても面白くないだろう?!」

文吾  「確かに(笑)」

雨森先生「それにね。
     CANTUS ANIMAE以外にも
     合唱団ゆうかとか
     なにわコラリアーズなどに憧れて
     目指そうとしている合唱団は
     全国にいくつもあると思うんだよ。

     ・・・僕もそうだったからね」

文吾  「先生もそうだったんですか?」

雨森先生「そうだよ。
     僕がコンクールに出た時には
     合唱団OMPとか
     京都エコーが出場していた頃でさ。

     『あぁ、アマチュアでもこんな素晴らしい演奏が出来るんだなあ』
     …と。

     そして自分も全国大会に出場できるようになって
     そういう合唱団と同じステージに立てるのが
     とても嬉しかった。

     その時に、そういう憧れの合唱団が出ていなかったら
     とっても寂しかったと思うんだよ。

     でも当時は栗山文昭先生もコンクールの最盛期だったし。
     (憧れの)人も合唱団もいたんだよ!

     そういう人達と同じステージに立つ喜び。
     そして一歩でも近づきたいという思いがね…」

文吾  「・・・・」

雨森先生「繰り返すけど。 

     コンクールに代わる場がないんだったら
     やっぱりそういう合唱団は
     『出なきゃいけない!』

     だから今のところ僕はコンクールを辞める
     つもりは無いよ。

     CANTUS ANIMAEも
     学ぶべきところは、まだまだたくさんあるしね」

文吾  「まだまだ(笑)」

雨森先生「そう。
     悪口書かれている間は出なくちゃいけない(笑)」



(次回は「CANTUS ANIMAEはどこへ行くのか?」です)


 雨森先生の御発言にある「ムジカ・フィクタ」について
CANTUS ANIMAE団員はじめさんが丁寧な解説を
して下さいました。
 はじめさんに、心から感謝するものです。  


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ムジカ・フィクタ

音符の前ではなく、音符の上下に添えられている
半音記号(♯、♭等)のことです。「偽りの音楽」という意味です。

教会旋法にあっては、もともと音階は全音階
(ピアノの白鍵のドからド、もしくはラからラまで)
しか認められていませんでした。
ところが、実際の演奏にあっては、終止感を強めるため等で
半音上げ下げするというようなことが行われていて、
作曲された当時は、どこにムジカ・フィクタをつけて歌うか
ということは、演奏者の間ではわかりきっていたことでした。
もちろん、半音記号は添えられていませんでした。

時代を経るに従い、ムジカ・フィクタの付け方の共通認識が
失われてしまったので、曲を正しく再現するには半音記号を
付す必要が出てきましたが、もともとの調性を示す半音記号
(つまり原曲にも付けられているもの)との区別をつけるために、
音符の上下に付けるようになっています。

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